「感謝しています。」
という。
では何に感謝するのか?
配偶者であれ、親であれ、友達であれ、一般的に対象は《誰か》である。
カープの四番打者だった山本浩二は引退の時の手記で「自分の身体よ、ありがとう。」と綴っていた。一見、おかしな表現だが、自分と自分の肉体を分けて考えている(と思えばいい)。練習したり、打席に立ったり、球を投げたりする自分と、配球を読んだり、ボールの落下地点を予測したり、インタビューに受け答えたりする自分とを分けている。山本にとって、いや我々にとって、肉体とは借り物に過ぎないのかもしれない。つまり《精神》《思考》《心》こそ自分自身なのである。
という。
では何に感謝するのか?
配偶者であれ、親であれ、友達であれ、一般的に対象は《誰か》である。
カープの四番打者だった山本浩二は引退の時の手記で「自分の身体よ、ありがとう。」と綴っていた。一見、おかしな表現だが、自分と自分の肉体を分けて考えている(と思えばいい)。練習したり、打席に立ったり、球を投げたりする自分と、配球を読んだり、ボールの落下地点を予測したり、インタビューに受け答えたりする自分とを分けている。山本にとって、いや我々にとって、肉体とは借り物に過ぎないのかもしれない。つまり《精神》《思考》《心》こそ自分自身なのである。
「三郎君」とその周辺の人々、番外編として相撲取りである「梅の若」を主人公にして童話風の話を書いて参りましたが、本年も続けたいと思います。
今年もよろしくお願いします。


※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます