当時は大阪の寝屋川市に住んでました
1月14日から16日まで3連休でその時に
入社3年目で和歌山営業所に勤務した当時の方たち3家族と
白浜の会社保養所にクエ鍋を食べに行きました
帰宅した翌日朝大変揺れました
蒲団の中できっと東京で関東大震災が勃発したと思いました
門真に支社があり電車も止まりマイカーで出勤しました
会社の電話は繋がりにくいでした
神戸が大変だと分かりました
妻の実家が三ノ宮から17キロ位西の 垂水です
公衆電話が繋がりやすいと聞いてやっと連絡が昼過ぎ取れました
時間が過ぎるごとに被害の酷さが分かってきました
その週の土曜日家を朝5時に出て 妻実家に午後1時に着きました(いつもなら2時間半です)
国道2号線はダメでぐるりと宝塚まわりで行きました
実家は屋根の瓦が落ちた位の被害でしたが街全体が妙にシーンとしていたのが忘れられません
阪神高速が崩れて間一髪で助かったバスが象徴的です
この運転手の方が現在77才
当時バスに乗車していた女性3人のうちの一人とまだ連絡を取り合っていると新聞にありました
地震 雷 火事 親父といいますが
2011年3月11日14時46分の三陸沖地震で
更にその感を強くしました
発生時間 46分がいつも気になります
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