熊本レポート

文字の裏に事件あり

熊本県OB会が合同で陸に上がった日立造船

2020-01-15 | ブログ
宇城広域連合(会長・守田憲史宇城市長・宇城市、宇土市、美里町)は、現在のごみ焼却施設が耐久年度を過ぎて老朽化したということで、回収型廃棄物処理施設の建設を計画。
回収型とは、国の循環型社会形成の推進という施策に基づいた再新電力化である。


同施設は今月末の同メーカー側による技術提案書、入札価格書等の提出に基づいて3月、審査委員会の総合評価において発注先が決定される。
同委員会は会長に篠原亮太元熊本県立大学教授、副会長に日本環境衛生センターの田北茂熊本所長、そして二市一町の議員らがメンバーとして構成されているが、実質的には会長と副会長の専門家による評価、審査で発注先は決定される。
会長の篠原元教授は北九州市の元職員という異色の経歴を持ち、業界との交流もあったと噂されるが、となると公正な判断は田北副会長に託されるということになる。
さて、ここでの事案は日立造船の関係者から漏れ出た「宇城、天草のいずれかは貰う、運良くば両方」という噂に始まった。
そうなると八代市環境センター、菊池広域環境工場(合志市)に続いて、さらに連続となると、大規模災害でも再び起きた場合、その復旧対応に日立造船は苦闘するという予測まで出て来る。
そうした可能性の問われる危機管理能力はさて置き、東北における爆発事故、大分県での暴力団の介入という噂で落札無効という不運の中で、「何故、熊本県だけには強いのか」という疑問は浮上する。
陸へ上がって、船を造らなくなった日立造船の熊本県での強みの裏である。
その裏とは、日立造船と熊本県との仲、親密度。
実のところ、エンジン部門の分工場だけを残した現在であっても、誘致企業第1号として熊本県との繋がりは生きていたのだ。
それが熊本県からの顧問としての天下りで、現在の山本理氏は元県会計管理者という元県三役。日立造船側の意向は、公共工事の要として県OBが溢れる測量業界の思いとは大きく異なる。
誘致企業第1号という繋がりは、もちろん県民、また熊本県との縁でもなく、県OBによるジョイント。
しかし、それだけでは受注も簡単ではないだろうと一般市民でも疑問視をする通り、また関係するそこにも県OB会の存在があった。
それが先述した今回の審査委員会において、最も鍵を握る副会長と記した田北茂で、彼も日本環境衛生センターの熊本所長に天下った県OB。
それでも「思惑通りの随契なんて無理だろう」と、専門的な建設業界からの疑問に応えたのが、某公共調査機関から漏れ出た「二人一緒の営業活動」という現場証拠の噂。
さァ一つ目の解答は3月だが、「宇城か天草のいずれかは取る。場合によっては両方」という話を信じるのか、信じないかは貴方次第…。


信義なき野田毅事務所 第2回

2020-01-13 | ブログ
助け合うのはお互い様、他人の世話にはなるなという一見、相対的な美徳の教えから日本人の心には元々、差別などは存在しない。だが、か弱い少女や夢ある若者を拉致し、50年近くも帰さなかったり、また反日種族主義なる考えで日本人の文化、自治を侵蝕し、占拠するとなると、そこに半島嫌いというものが浮上するのは当然。
そんな中、北朝鮮への経済制裁に反対したり、在日の地方自治への参政権を推進するとなると、そこに違和感を覚えるのも当然。
だが、これからの話は、野田毅代議士が主人公ではなく、その野田代議士の教えに従い、同代議士への支援活動を行っている野田後援会事務所の実態。
10年ほど前、元同僚が珍しく電話をくれて、
「熊本県警が国立市にある代議士の秘書宅を訪ねたらしいのだが、何んか知らんか」
尋ねて来たが、「余りにも多過ぎて、どの事案か分からない」と応えた。事実、新幹線工事の下請けを全て握っていたとか、公共工事の発注を巡って介入しているといった噂は飛んで来ても、どの物件がどうなのか、事案数が多くて、また関係者の口も固く、簡単に検証など出来るものではなかった。
また公共工事の受注合戦には妬みや反発からのガセネタも多く、名前が浮上しても「働き(稼ぎ)がイイな~」の印象しか出て来ないのが事実である。
建設関連業者の間には「熊本県5番目の代議士、いや現職議員らを差し置いてナンバー1」という評が存在するが、その善し悪しはともかく、出産した母親から後期高齢者まで利益誘導を欲する熊本県にあって、その貢献度にかかるのが国会議員、また同事務所。そこに汗を掻けば当然、そこには見返りが存在する。仮に貢献者が複数いた場合は、その戦いが表面化する場合もあるが、そこは心得たもので調整し、妥協して、その見返りは意外なところまで配分される。このシステムを構築し、ここに力を発揮するのが現実的な政治家の仕事である。


2014年春頃、『アンタ、度が過ぎると警察にパクられるよ』、『いや、アンタこそ警察に注意した方が良いよ』と、誰が聞いても物騒な話が入り込んで来た。
第三者が、そんな内々の話を外に漏らすはずがないし、それが事実としたら二人の何れかが、相手を牽制する意味で語ったと思われるが、これだと調整は不成立で普通だと、これは表ザタとなっても決して不思議ではなかった話。まして一方には、警察OBが、慣例として在職していた。
当時、JA熊本県中央会は、会館の改築を控えていた。
「農家も農協も厳しい時代にあり、予算に見合った形で郊外に新築してはどうか」
そうした提案も出たが、「農林中央金庫も入居」という理由で、現在の場所に新築と決定。
同中央会側の「農林中金の入居」という理由は取って付けた話で、使用するのは農家ではなく、便利性で絶対的に支持する同中央会職員。
さて、計画された現在地での新JA熊本会館は、JA全国連合会が大株主であるJA三井リースに担保提供し、同社が建設して、JA熊本県中央会は賃貸料を払うという方式。もちろん完済後には、JA熊本県中央会の自己物件。
設計は三菱地所設計で、入札は同年9月の予定であったが、6月頃には既に発注先に大成建設の名前が浮上。それは幾つかの条件から99%
、それが確実と思われた落札前情報であった。
そこで、そこに介入したのが野田事務所。
その渦中に飛び込まされた使い走りが、憤怒の思いで語るそれからの3ヶ月間…。(次号へつづく)






不動産業に本格転換か祟城大学の少子化時代

2020-01-12 | ブログ
熊本空港の県有地譲渡書不存在から駐車場経営まで、その不透明さに何と幸運な私学だろうかと見ていた君ケ淵学園(中山峰男理事長・熊本市西区)が、いよいよホテル経営に乗り出した。
ホンダ航空のパイロットをアルバイト講師として、宇宙航空システム科も新設したものの航空会社の国際、せめて国内航路パイロットを目指して入学する学生らが、小型機の整備工が就職先だとなると、入学全学生が特待生という案内でもしなければ学生は集まらない。
もちろん、少子化時代に突入し、私学経営の厳しいのは同学園だけの話ではなく、近所には文部省の許可なく別事業を運営していた私学もある。
平成15年9月、同学園は同市中央区花畑105番25、26、27の838平方メートルを購入。持ち主が、その9ヶ月後に経営破綻した恒和興産(大阪市)だった事から、種々の疑惑話も浮上。
日本私立学校振興共済事業団から5億円の低利融資、即ち国民の税金を借りての購入。
同学園は、そこに情報専門学校を開校。
「生徒の姿を見た事もないし、外から目に入ったのは客の居ない画廊と、その案内スタッフなのか、暇な女性スタッフがいつも二人」
街の入口で、何んと生産性のない物件を遊ばせていると語ったのは震災前、同地まで含めた都市開発のプランを立てていた業者。
それが、「多額の震災補償があったらしい」と、そんな噂まで飛び出して、いよいよ「転がる先は」と思っていたらホテル。


ダイワロイネットホテルというビジネスホテルを既に建設中だが、同ホテルは大和ハウス系列。
ちなみに同地はまだ売却されておらず、祟城大学からの賃貸という可能性が高い。大学がホテル経営と驚く人もあるだろうが、同大学の中をここまで覗いて知ったのは、文部科学省元事務次官が今や「アベガー、アベガー」の毎日の通り、風俗店以外なら何でも許可、寛容の文部科学省。
そして、このホテル建設の元請は何処かというと、それが君ケ淵学園グループの秀拓(多良木慶輝代表・熊本市西区)。君ケ淵学園の中山理事長他役員が、同じく役員を兼任する建設及び不動産事業の会社。
そもそも原資を税金とする私学助成金、私学振興会からの融資を受けて、校舎建設を秀拓(元請け)に発注しても問題ないとする君ケ淵学園だから、この土地購入からホテル経営までの経緯に問題のあるはずがない。
しかし、やはり利益相反行為に当たると、疑問を持つ人でも出て来ると、君ケ淵学園の歴史が引っくり返る大騒動と思うのだが、少子化で仮に全員特待生と案内しても学生の集まらない私学において、祟城大学が元の不動産業、建設業に舵を切ったことだけは確か…。




信義なき野田毅事務所        第1回

2020-01-10 | ブログ
いかに正義であろうと、追い討ちとは卑怯な振る舞いと思われがちだが、それも待ちきれぬ程も待った夕暮れ時なら道義、武士の情で通るとは、やはり勝手な解釈だろうか。
二十年近い前の話になるが、民主党の国会議員に絡んだ不祥事があって、その極一部しか知られていないネタを週刊誌に持ち込んだ男たちが居た。ライバル陣営にあっては、猫の手でも借りたい選挙となると、よく有る戦術。ただ、それを週刊誌に届けるとは、他とは異なり、その構え、規模からして違う。
その持ち込む資料を整理している二人の前に来て、若い男が立ったまま
「親戚の伯父が弁護士仲間だったという知り合いから聞いた話だけど、あの先生の祖国は(朝鮮)半島だったらしく、熊本は拉致の関係者も居ることだし、これを表に出すとダメージも大きいんじゃないですか」
自慢気に新ネタを差し出した。
対面のソファーに揃って背を伸ばし、それを聞いていた二人は一瞬、嫌な表情で顔を見合わすと、ネクタイを締めていた方の男が、それを両手でゆっくり緩めながら
「分かった、有り難う」
素っ気ない感じで、そう言うと、腰を折って再びテーブルの資料に目を通し始めた。


野田毅といえば鹿児島出身で、百人斬りで処刑された陸軍少佐を思い出す人も、今やいなくなったが、熊本県二区選出の野田毅代議士(七八歳)は、同姓同名でも大きく異なる。
良識の政治家で「政界屈指の政策通」と称される野田毅代議士は、先代である武夫元代議士の婿養子で、実の父親は大阪で在日朝鮮グループを仕切っていた男と、元国会議員は語った。もちろん、現在は帰化の野田毅代議士である。
本来、民族的差別は人道、人権上であってはならないことである。しかし現在、「反日種族主義」という教育が現に存在し、日本の文化が侵蝕され、似非の人権主義によって自治が占拠されるようになると当然、将来の日本が懸念される。
一度、拉致被害者支援の関係者から「野田先生はブルーリボンバッジを付けられない」
そんな、皮肉とも受け取れる話を聞いた事がある。彼は小泉元首相の靖国神社参拝に強く反対し、北朝鮮への経済制裁にも反対して、在日の地方自治参政権を推進する国会議員の一人でもある。もちろん、そこには彼なりの政策理論があると思われるが在日、帰化が意外に多い地方の熊本にあって、支援の地方議員、経済人の中にも、その関係者は多い。
現在の総理官邸とは遠距離にあると見られているが、これらもその理由の一つ(官邸記者談)と語られる。
さて、これから述べる事は、野田代議士についてではなく、彼を支える野田毅事務所を巡る話。
それは早々と後継者に県北出身の財務官僚を絞ったとか、また公明党関係の女性芸能人のルートから覚醒剤使用で逮捕された元秘書が、その逮捕から報道される一週間、そこに、どのような動きがあったかではなく、熊本県第5番目の代議士と称される野田毅事務所の、その所以である。
その一部を早刷り版として、これから簡単に紹介するが、その善し悪しはもちろん、陽の沈む夕暮れ時を待っての武士の情けというのをご賢察頂けたら幸いである…。(第2回へ続く)



未曾有の災害と憤怒の災害 第4回

2020-01-06 | ブログ
私は逮捕されてから釈放されるまでの間、担当した主人公のI 刑事を尋問、いや質問した。
「逮捕は誰の決断か」
事情聴取もない、あの大地震の最中での7、8名も動員した強制捜査の責任者を尋ねた。
『課長(K警察署刑事課長・2016年)』
Iは続けた…。
『実は署長の遺言でな~』
意外な名前と背景を出した。
翌朝、留置所での体操の時間、その話を同署管理課職員に語ると、彼は『まだ生きて居られるのに、遺言とは失礼な』と怒って返したが、上から指示のあった強制捜査であった事は明らか。
即ち、警察が嫌う民事に近い金銭事案で、まして刑事事件という事案であったとしても畏怖、金銭の交付からして犯意の想定しにくい事案について、果たして所轄署が、所轄署の命運を賭けて強制捜査に入るか、そういう漫画のストーリーのような疑問である。
結論から言うと、私から言う事件は、告訴を受理しての捜査ではなく、被害者とする話のみを端緒として事件化を図ろうとした、意図的な別件逮捕。
担当したI 刑事は、熊本市内ではメジャーと評される中華料理店の子息と、高校時代からの友人関係にあると漏らした。実は同店オーナーとは知己を得ていた事もあって、解放された後、そこで待ち伏せしてでも悪意を感じる行為があったならと、そんな子どものような気持ちも抱いたが、長い留置生活の中で、それも薄らいでいった。
Iは最初の段階で漏らしたが、「市内の北に戻りたい(事実その後、希望の署へ栄転)」、「退職後はD(本筋とは異なる社名)に就職できるかな」という話を思い出すと、釈放の際の詫びとも思えるセリフも加えて、彼も被害者という思いさえして来た。


さて、指示を下した(遺言)とされる署長は病気で入院中であった(その後K署以外の部に復職)が、「窃盗(こそ泥)担当から署長に昇り詰めた人で、そうした忖度が働くか否か」(同元幹部談)と疑問の声もあった。しかし、実直だからこそと、そういう想定もされてくる。いずれにしても、担当のI刑事、同課長は真相を知っての無理な強制捜査であった事は確か。
無罪放免された後、弁護士は告訴するか、監察部に申告するかとアドバイスしたが当時、私は「保留」と応えた。
それはK署から釈放された際、出迎えてくれた県警本部の刑事らへの礼でもあった。
しかし私は、ここまでの話を県警関係の10数名に既に伝えている。判断は、彼ら自身にある。
さて仮に想定通りなら被害の内容からして、それは反社会的で、その逆怨みとされた右翼団体と私との繋がりだ。
実は該当の入札前、複数の業者から「MとKは『貴方が右翼を動かしている』と言っているが、そんな金は貴方にはないと言ったけど…」
私と右翼との関係を疑っていると、電話が確かにあった。
その想像する根拠が、最近になって浮上した。
私にはf 氏という異色の親しい知人が居る。そのf 氏が親しく、親しく無いの関係で繋がった事のあるのが右翼団体S である。
同時にf 氏は、主人公側のK とは親密な関係(現在はK側から疎遠)で当時 、私の取材活動をf氏はKに報告していて、またf 氏と団体Sとの関係もK は詳しく承知していたと、それを知らされた。
結果、f 氏の企画で私、そして団体Sを使って、彼らの計画(謀議)潰しに入った、そういう想定が成されたという読みである。
想像の世界の仮説的な相関図だが、時系列的に検証すると、納得せざるを得ない話。
しかし私は、その結果で誰も好んで経験しない不当逮捕によって、21日間にも及ぶ初めての遠足を経験したどころか、社会的に大きな信用、名誉を失った。それが、未だ復旧への予定課題の多い憤怒の災害。
その代償とは何んだったのかだが、活かされたK市の1億円だとすると、そんな事を理解する市民が果たして居るかと、自ら首を傾げてしまう。
最近、熊本市へ下って来て、ここで生活を始めた頃に顔を合わせていた女性と、何十年ぶりかで再会した。
その彼女が開口一番、『何年か前、逮捕されたと記事を見たけど、大変だったね』と笑って顔を覗いた。私は、幸いにまだ生きていた…。