熊本熊的日常

日常生活についての雑記

大都市 カルカッタ

1985年03月15日 | Weblog
朝5時頃、向かいの博物館に住み着いているカラスたちの鳴き声で目を覚ました。今までインドというところは昼間がどんなに暑くても朝夕が涼しいので東京よりも住み良いかもしれないと思ったこともあったが、ここカルカッタは日が沈んでも気温が下がらない。おかげで目覚めた時には全身汗だくだった。シャワーを浴び、昨日の分の日記を書いているうちに7時半になったので朝食を食べに食堂へ降りた。

食事付の宿はインドでは初めてだったので、どんなものが出てくるのか楽しみだった。さすがに一泊130ルピーも出すと食事も立派で、オートミール、トースト、オムレツ、バナナ、紅茶という具合である。とにかく空腹というのはよくない。腹がへると心が落ち着かない。人間は空腹でない限り、たいがいのことには耐えることができると思う。昨年、オーストラリアを旅行してそう思ったし、歴史に残る革命の直接の引き金は人々の空腹である。フランス革命もロシア革命も太平天国の乱も主役は空腹な大衆であった、と思う。

今日はこれからタゴール・ハウスとカルカッタ大学にでかけた。まずは距離的に近いタゴール・ハウスへ向かった。カルカッタ市街の北部にあるので、なにはともあれ北に向かって歩いた。オベロイを過ぎ、リッツを過ぎ、エスプラネードを後にする。まだ地下鉄の工事が終わったばかりで、道路のアスファルトがはがされたままになっている。地図を見ながら、タゴール・ハウスのあるRABINDRA SARAINという通りに出るために、二つの目印を考えた。ひとつはB.B.D.BAG、もうひとつがナコダ・モスクである。ナコダ・モスクもRABINDRA SARAINにあるので、このモスクが見つかれば容易にタゴール・ハウスにたどり着くことができるだろうし、ナコダ・モスクはインドでも指折りの規模のモスクらしいので、すぐに見つけることができると思ったのである。

チョーリンギーを歩いて、エスプラネードを過ぎたところでGANESH CHANDRAを左折しB.B.D.BAGへ出る。近くのOld Court Houseの前にいたココナツ売りからココナツをひとつ買う。小粒で1ルピーだったが、実がついていなかったので損をした気分になった。ここで昨日、観光局で入手した地図を広げ、自分の位置を確認する。目指すRABINDRA SARAINがチョーリンギーの延長にあることがわかる。再び歩き出し、東京銀行の前を過ぎ、シティバンクを前にして右折し、RABINDRA SARAINに入った。あとはこの通りの右手に注意しながら北上するだけである。この通りは片側一車線しかない狭い通りであるにもかかわらず、路面電車が複線で走っている。人通りも激しい。路面も石畳がはがれていたり、陥没していたり、そこに水道管から漏れた水が溜まっていたりして、とても歩きにくい。このどうしょうもない通りでも数多くの屋台が営業しているのだから、インドの人々のエネルギーというのは驚異的である。YMCAを出て一時間ほど歩いて、ようやくナコダ・モスクの銀色のドームが視界に入ってきた。かなり大きな建物だが、道路に面しているところは商店になっているので、うっかり通り過ぎてしまった。ふと気がつくとドームと尖塔が自分の後ろにあった。しかし、タゴール・ハウスらしき建物は現れない。せめて住所があればよいのだが、そこまで調べておかなかった。だんだん道路が狭くなり、人通りも少なくなってきた。Cotton St.との交差点を過ぎたあたりに、果物の屋台ばかりがたくさん並んでいる一角があった。そのいかにも新鮮そうな西瓜やマンゴー、オレンジが視界に入ってきた瞬間、タゴール・ハウスのことはどうでもよくなってしまった。マンゴーはインドの代表的な果物だが、シーズンは4月から8月くらいだそうだ。カルカッタほどの大都市になると3月中旬でも豊富に出回るらしい。どの屋台にも山のように積まれている。私はどうしてもマンゴーというものが食べてみたくなった。通りに面した屋台のオッサンに値段を尋ねたら一個5ルピーと吹っかけてきた。私は値切るのは下手だが、下手は下手なりに努力してみた。しかし、奴は一歩も譲らない。そこへ地元の人らしい客がやってきて、やはりマンゴーを指差して何やら交渉を始めた。私は黙ってその成り行きを見守っていた。交渉は決裂したようだ。その客は何も買わずに立ち去ってしまった。インド人が交渉してもだめなのだから私がいくら頑張ってみてもどうなるものでもない。引き止める声を振り切って別の屋台へ行く。今度の屋台では言葉が通じない。爺さんに向かって「マンゴー!」と言いながら商品の山を指差す。爺さんが「これか?」というようにマンゴーの山を指差す。そうだそうだと頷くと、爺さんはしわしわの指を三本立てて見せる。天秤を取り出し、片方の皿にマンゴーを三つ、もう片方に重りを乗せて重さを量る。どう見ても釣合っていないのだが、彼はこのマンゴーに4ルピーという値段をつけた。まぁいいやと思い、黙って頷いて5ルピー札を出したら、紙袋に入ったマンゴーと1ルピー札をよこして首を横に振った。これはインド人のOKのサインである。私も彼に応えて首を振り、屋台を後にしてタゴール・ハウスへ向かう。この市場からさらに北へ歩いていくとK.K.TAGORE St.という通りにぶつかる。地図ではこの辺りにあるはずなのだが見当たらない。しばらくうろうろしてみると、この通りの5mほど手前に小さな路地があることに気がついた。路地の向こうに鉄格子の門があり、その向こうに赤レンガの建物が見える。門のところには貼り紙がベタベタと貼ってある。恐る恐る門を抜けると、通りの雑踏から切り離された静かで落ち着いた空間が広がっていた。庭を突っ切って正面の赤レンガの建物まで行くと、右手にタゴールの胸像があることに気がついた。どうやらここがタゴール・ハウスのようだ。人影はまばらだが、これでも大学である。大学の一部、即ちタゴールが暮らした建物がそっくり博物館として開放されているのである。階段をのぼって2階にあがるとガイド役の人が近づいてきて、いろいろ案内してくれた。タゴールが亡くなった部屋、彼の妻が亡くなった部屋、彼が書いた本、絵、手紙などが可能な限り生前の状態に近くして保存してある。小さな博物館だが、ガイド付のため、一通り見学するだけで1時間以上かかってしまった。見学してみて、タゴールが上流階級に属していたこと、インドで成功するためには財力とカーストに恵まれていることが必要であることを知った。

タゴール・ハウスを出たのは11時15分。来る途中、マンゴーを買った市場で小さな西瓜を買う。3ルピー50パイサだった。カルカッタ大学へ向かったが、Mahatma Gandhi RoadをChittaranjan Av.まで来たところで暑さと荷物の重さに耐えられなくなり、一旦宿へ戻ることにした。途中、G.P.O.に立ち寄りインドから出す最後の絵葉書を投函した。アメリカン・エキスプレスでトラベラーズチェックを換金し、宿へ向かって急いでいるとエスプラネードのところで日本人の女の子3人組みがお互いの写真を撮りあっていた。通りすがりに挨拶をしたらフリースクールストリートはどこかと尋ねられた。中華でも食べにいくのかと聞いたらそうだというので一緒に行くことにした。彼女たちは12日間のパックでインドへ来ており、おととい日本からカルカッタに入ったばかりだそうだ。今夜の列車でヴァラナシへ行くそうだ。香港飯店という店に行きたいというので店の前まで案内し、自分は同じ通りにあるHOW HUAへ行った。エアコンが入っていて店内は照明を落としてあり高級感を演出しているつもりのようだが、どこか大衆的な感じの店である。店の主人らしい中国系の人が注文をとりに来た。蟹と野菜の炒め物とご飯と中国茶を頼んだ。味はなかなかのもので、昨日の香港飯店よりもおいしかった。中華にすっかり満足して宿に戻ったのは午後3時過ぎだった。3時のおやつというわけでもないのだが、さっそくマンゴーを食べてみた。皮は薄く、果実は少々臭みがあるがみずみずしくて美味である。西瓜はシャワールームのバケツに水を張ってそこで冷やして明日の朝にでも食べようと思う。

4時過ぎ、Map Sales Officeに行って土産に地図でも買おうと思った。手元にあるガイドブックによればPark St.にあるはずなのだが、いくら歩いてもそれらしいものを見つけることができなかった。仕方が無いので予定を変え、プラネタリウムを観ることにした。

レクチャーはヒンドゥー語、ベンガル語、英語の三ヶ国語で行われ、英語の回は午後6時半からとのことである。まだ時間に余裕があるので、近くのヴィクトリア・メモリアルに行ってみた。これはヴィクトリア女王の即位を記念し、タージ・マハールを模して建設したものでシンメトリックなデザインである。もう内部の開放時間は過ぎていたので外から見るだけになってしまったが、広大なものなので時間つぶしにちょうどよかった。

プラネタリウムの入場料は5ルピーもする。レクチャーは30分しかなく、内容も寂しいものだった。外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。街灯は暗くてその用を成さず、時々無灯火の車が走っているので通りの横断にも昼間以上に用心しなければならない。そんな夜道を歩いて宿に戻ると夕食の時間であった。食堂に行くと、今朝、宿の前で見かけた日本人がいた。彼はDSTのカルカッタ往復便で来ていて明日帰国の途に着くそうだ。出川君も明日インドを発つ。そこで、私は今日買った西瓜とマンゴーを二人に振舞うことにした。3人で西瓜とマンゴーを食べながら夜遅くまで旅の思い出を語り合った。

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