熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ぼったくられる

1985年03月09日 | Weblog
宿を移ろうと思い、荷物の整理をしていると午前9時頃にあのリクシャー運転手がやって来た。昨日、約束をすっぽかされた割に、相変わらず陽気で少々気味が悪い。宿を変えることを話すと、紹介してやるという。彼が紹介してくれた宿はコンノートの中にあった。一泊150ルピーと高いのだが部屋が清潔なので決めることにした。

その後、彼にクトゥブミナールへ連れて行ってもらった。たいへん有名な場所なのでさぞかし観光客がごった返しているだろうと思ったら、そうでもなかった。朽ち果てた寺院跡というせいもあり、どこか侘しい風景であった。どことなく、奈良の古寺に雰囲気が似ているように思われた。

再びコンノートに戻り、アグラへの日帰りバスツアーの予約をしたり、駅へ行って列車の切符の確認をしたり、明後日の宿の予約を入れたりして宿へ戻った。宿の近くの酒屋でビールを強請られた。この運ちゃん、ちょっと厚かましくなってきたなと思った。ホテルのルームサービスで昼飯を一緒に食べ、宿のボーイに法外なチップを払えと言い出した。とうとう本性をあらわした。親切にしてはしつこいと思っていたが、ちょっと気を許しすぎた。そもそもリクシャーの運ちゃんと大学生というのは両立し得ないのではないか。ここでは、学生というのはエリートなのではないだろうか。リクシャーワーラーから銀行員への転進などあり得ないのではないだろうか。確かに、彼の身なりはきちんとしていた。そこそこのスニーカーを履き、ちゃんと靴下も履いていた。だが、ニューデリーでは果物売りの屋台のオヤジだって靴を履いているのである。これまで旅してきた地方都市とは明らかに違う場所である。もっとはやくこんなことに気づくべきだった。そして、私が責められるべきことは、心にできた隙である。インドに来て初めて近代的な大都市の姿を目の当たりにして、思わずホッとしてしまったのである。また、日本人が多く、やはり安心してしまったのである。インドで何日かを過ごし、慣れが出てしまったこともある。体調を崩して心身の緊張を持続できなかったこともある。少しぐらい親切にされたからといって、どこの馬の骨だかわからぬ輩の言いなりなるとは、私の馬鹿さ加減は尋常ではない。奴は私に宿紹介や観光案内の手数料として100ルピーを要求してきた。ああでもないこうでもないと口論の末、50ルピーで話がついた。でも、ビール代やら飯代を入れれば100ルピーくらいになっているだろうし、フィルムやTシャツまでくれてやっているのである。そもそも金など払う必要はないくらいだ。

この一件のおかげでいろいろ学習をしたこともある。自分のアホさ加減がよくわかったということが最大の収穫だが、他にもある。都市下層民のネットワークの一端を垣間見ることができた。リクシャーワーラーが宿とつぐんで、客を紹介するごとにいくらかの謝礼を受け取っているのはこれまでにもあった。宿だけでなく、土産物屋や旅行代理店、ホテルの従業員など様々なつながりがあるのだ。

また、この一件で、インドで旅行者たることに対する後ろめたさのようなものがなくなった。インドは貧しい国である。彼等からすれば大金を持った若造がふらふらとやって来て金を湯水のように使う状況というのは人々の反感をかうのではないかという気持ちが常にあった。今はそれがなくなったのである。少なくともやましい行為をしなければ、自分の良心に照らして恥ずべき行為をしなければ、堂々と自分を主張してよいと思う。生活や考え方の違いはあって当然なのである。無理に相手に合わせようなどということを考える必要はないのである。

奴と別れてからオールドデリーへ行く。鉄道のガードをくぐるとそこはオールドデリーと呼ばれる地域である。ここはニューデリーとは街の様子が全然違う。インドをまるめて饅頭にしたような街なのである。たくさんの人、牛、車、埃、排気ガス、屋台、糞、ヒンドゥー語の看板、路上生活者、寺院、祈り、などなど。オールドデリーはラールキラーとジャマー・マスジットを囲むように城壁が巡らされていたようだ。今も残るデリー門、トルクメン門、アジメーリー門などの城門がその名残をとどめている。夕方、日が沈むころになると人々は祈りを捧げるために寺院へ集まってくる。ジャマー・マスジットでは外に設置されたスピーカーからコーランの朗誦が響き始めた。夕陽に照らし出された人々の群れは大地を流れる血流のようにも見え、そのエネルギーが伝わってくるようだ。

再びコンノートのセントラルパークへ戻ってきた。ここに来ると必ず日本人のひとりやふたりはいるのである。今日は6日にジャンパトホテルの近くで出会った帰国間際の彼がいた。途中から3日ほど前にインドに来たばかりという二人組みも加わり四人でインド人に負けないためにはどうしたらよいか、ということについておもしろおかしく語りあった。

宿へ戻る途中、カトマンズから会議に出席するためにやってきたというネパール人にYMCAへの道を尋ねられた。私は持っていた地図を広げ、わかりやすい場所まで移動して、地図を見せながら説明してあげた。彼は、私が自分の目的地とは反対方向であるにもかかわらず途中まで案内したことにとても感激した様子でとても喜んで何度も礼を言って去っていった。こういうのが日本人なのだ。リクシャーの運ちゃんごときには絶対に真似のできないことなのだ。