RUNNING BEAR Ⅱ

くまこの日記です。コメントは承認制とさせていただきます。

終わっちゃいました。

2016-08-17 21:41:32 | オリンピック
体操競技のリオ五輪は、終わってしまいました。

もう、早起きして、眠い目をこすりながら気合を入れることもなくなるんだ。

五輪とか、世界選手権とか、時差があってとてもつらいんですけど、この、真夜中に起きて応援というこの感じが、いかにも世界大会、って感じで、嬉しくなるんですよね~。

航平君がずっと言い続けてきた「団体金メダル」。
ついに、実現して、本当に良かったと思います(*^。^*)。
そして、個人総合の連覇。
歴史に残る死闘。
後輩愛に満ちた種目別ゆか。
毎日毎日、感動をありがとうございました。
自分も頑張らなくては。
航平君のすべてが、自分の原動力になります。

団体、個人総合と、WEB記事沢山出すぎたのと、ちょっと時間の余裕がなかったのとで全然アップしてないのですが(読み逃しもいっぱいあるかも)、少しづつランダムに、胸キュン記事を見つけたら残していこうと思います。
そして、大切なレコーダーのHDDの整理(^-^;。
まだ、帰国という大きなイベントが。(いつかな)
記者会見もあるだろうし。
もうギリギリの自転車操業になってます(._.)。


米田さんが、ブログをアップしてくださいましたヽ(^。^)ノ。

この五輪中、ずっと「ガチャピン」の記事のまま止まっていて(笑)、今回はエールを送ってくださらないのかなと寂しかったですが、最後にドカンと総括ヽ(^。^)ノ。

米田さん公式ブログこちら

米田さんが航平君のことを「航平」と書くのは、珍しい(゜o゜)。
米田さんがつい、ブログの中でそう呼んでしまうほど、航平君はやっぱり愛されキャラなんだ
みんなが自分のレベルまで追いついてくるまで待っていた。
この言葉が、重い。
航平君は、ロンドンの翌年は団体戦がなかったこともあって、とにかくみんなで楽しく体操をする。みんなが自分の仕事をしっかりして。タスキをつないでいく、そういつも言っていました。
0.1で金に届かなかった南寧の試合の後は、「みんなで1から出直そう」と言いました。
金メダルを手に入れたけれど思い描いた鉄棒の演技が出来なかったグラスゴーでは、「(ともに失敗があった)佑典と二人で頑張っていきたいと思います。」と言いました。
1人で突っ走ってしまったロンドンとは全然違いましたよね。
4年かけて、航平君は一人一人に目を配り、気持ちが弱くなった選手には声をかけ、皆の気持ちが一つに揃うのを忍耐強く待っていた、そういう印象ですよね。


内村、満点演技は東京で 止まらぬ王者の歩み こちら

31歳で迎える2020年東京五輪。スポーツ界全体を見渡しても、同じくらいの年齢の選手で内村ほど東京への意欲を公言しているアスリートはいないだろう。その思いは結構、強烈である。

 「僕の中ではほぼ強制みたいに思っている。東京に決まった瞬間、何かこの五輪に出るために体操をやっているのかなと思ったりした」。感覚的にはノルマやミッションに近いのかもしれないが、そもそも今の内村は体操に「楽しさ」だけを求めてはいないだろう。リーダーとしての自負心が競技をする上での原動力となっているのは、団体金メダルに懸けた熱い言葉や迫真の演技からも明らかだ。


航平君のビジョンは、いつでもとても明確で、そして、果てしなく強い。
目標をそこに定めたら、決してぶれない。

そして、超胸キュンワード

故障が増える年齢に差しかかり、練習と同じくらい体のケアが必要になる。「航平だけは2020年まで頭の片隅に入れて面倒を見ている」と今井は話す。コーチ陣や今井の目の隙を狙って難しい技をやろうとする内村に目を光らせるのも仕事だという。「演技構成はできるだけ上げない方が長持ちする」

いつも自分の練習を見逃さない今泉コーチが見ていないすきを狙って、難しい技をやろうとするキングって

もお~~(*^。^*)
胸キュンすぎる(*^。^*)。

前にどこかの記事で、前はどうしても我慢できずに追い込んだ練習をしてしまった、みたいなことが書いてあった記事があって、それも胸キュンワードだったなあ~。たくさん読みすぎて、どの記事だったかわからないんだけど(笑)。
我慢できずに練習してしまった、って・・・(・o・)。
もう、ね・・・。




コマネチさん和訳。

2016-08-17 21:06:14 | 航平君記事
昨日ご紹介したコマネチさんの記事。こちら

和訳、頂きました\(^o^)/。
毎回、感謝して、載せさせていただきます(*^。^*)。

やっぱり、海外の記事は、とても好きです(^^)。

内村航平は史上最高か? 「Yes、その通り」とナディア・コマネチ

内村航平が、ハイリスクな鉄棒の演技において、高く舞い上がり、よろめくこともなくピタリと着地した時、彼にオリンピック個人総合の二連覇をもたらしただけでなく、彼を史上最高の体操選手にならしめた。これは、ナディア・コマネチの評価である。

4年前、コマネチはまだ、その日本人体操選手のことを、前人未到の世界選手権3連覇とオリンピック金メダルを個人総合で達成したのにも拘わらず、「史上最高」と呼ぶには時期尚早と考えていた。

だが、内村がその後も3年連続世界選手権個人総合のタイトルを取り続け、加藤澤男が1972年に達成して以来のオリンピック個人総合2連覇を達成した時、コマネチは議論は終わった、と言った。

「内村は史上最高です」とコマネチはインタビューに答えた。

「彼がこれほどにも長期間にわたって彼が達成してきたことを見て下さい。世界選手権とオリンピックで8年間もの間負けなしです。それが彼のレガシーです。」

トップ選手たちによる、落下の無いハイレベルな試合において、ウクライナのオレグ・ベルニャエフは3種目目からトップに立ち、最終種目の前まで日本の偉大な選手に0.901点の差をつけていた。

心臓が止まるかのような演技は、最終的に「スーパームラ」を追いかける者たちの上に押し上げた---わずか0.099ポイント上回った。

その差は、前人未到の世界選手権個人総合6連覇の記録を持つ内村を、史上最高の体操選手と決定づけるものでもあった。

「オリンピック史上最高の体操競技の試合でした。金メダルを獲れたかも知れない選手が5~6人いました。」と、オリンピックで初めて10点満点を取り、その後40年以上もの間、最も著名な体操のチャンピオンであり続けるコマネチは語った。

「なので、内村は鉄棒でリスクを取りました。そして大変なプレッシャーがかかる最終種目で、彼は、本当に、本当に素晴らしかった。彼はピタリと着地しました。もしほんの少しでもよろめいていたら、彼は金メダルを逃していて、その結果、彼が史上最高かどうかの議論はまだ続いていたでしょう。」

水曜日まで、史上最高と名乗りを上げられたかもしれない体操選手が数人いた。

加藤は1976年にあと1ポイント以内でオリンピックの個人総合3連覇というところまで行った。彼は3大会で、8個の金メダルを含む、12個のメダルを獲得した。

ソ連のニコライ・アンドリャノフは加藤の3連覇を阻止した選手で、7個の金メダルを含む15個のオリンピックのメダルを獲った、史上最もきらびやかな男子体操選手となった。

また、1992年のバルセロナ大会で、圧巻の6個の金メダルを獲ったビタリー・シェルボもいる。

彼らと比較し、内村はオリンピック3大会で、3個の金メダルを含む7個のメダルを獲得したにすぎない。

しかしながら、数では足りなくても、内村は彼の体操のスタイルとエレガンスで、それを補って余りある。彼は、体操界のロジャー・フェデラーだ。彼が演技を行う時、彼はその素晴らしい才能と優美さで、観客を魅了するからだ。

「彼の体操はアメージング。彼の演技の出来映えは、たった一つの欠点もなく、本当に完璧なものを見られることがあります」とコマネチは熱弁した。



加藤澤男さん、アンドリャノフさん、シェルボさん。
航平君の体操人生において、カギになる人たちですよね。

航平君の世界選手権の試合が終わると、2位との差を報じられ、その点差が小さくなってくると、次の優勝は危ない、みたいなことを書かれたりもしました。
しかし、今回はこの考えられないほどの小さな点差が、非常に意味のあるもののような気がします。
両者ミスらしいミスがなく、お互いの良いところを遺憾なく発揮し、もう、難度を下げるという選択肢はなくなる、そんなギリギリの闘い。
そんな闘いだからこそ、航平君の強さが更に引き出されたのだと思います。

世界に衝撃を与えた体操選手であるコマネチさんの言葉はとても嬉しいです(*^。^*)。


演技の途中なのに、なんでこんな無垢な瞳なんでしょうか