リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

昨日の続き、その他ちいさなこと

2010-02-20 21:45:50 | 断片
 こんばんは。世界先進国文明、雪に青印付けて平気な顔してるようじゃ、2酸化炭素がうんぬんとかいう話はただのポーズだな、と思う今日この頃。
 これは、冬季オリンピック、私の好きな滑降の話。遊びのスノーボードで色つけるのは勝手にすればいいが、なんで神宿る雪山滑降の競技に青ペンキがつけられるかね。なんとかしてくれよ、自然派のだんな、ってそんなの海洋アジア人種しかいっこないけどさ。

 昨日の続きでは、例の人の心のわからぬ朝日新聞短歌評者中西進、元教授。
 今日の朝日夕刊では、なかなか気持ちの入った防人の子を思う心を述べていました。
 とゆうふうに、わかるところは分かるし、分からぬところは1流大学国文学元教授だってわかりはしない。そんなの試験問題にだすな、と、なんてついでな話。

 さて、今日の小さな主題は、、、なんだっけ。すぐブっとんでしまうよ。

 以前にアイヌ語の良い文献とその著者についてお話しましたが、その後、実はモンゴル語の良い著者(とその文献)にお会いしまして感心したのですが、専門外なのでメモもしなかったところ忘れてしまいまして、残念だけどまあヒマないし、
 と思ってましたら、その師匠のようなモンゴル語学者の良い本を読みまして、このまんまではまた忘れてしまうな、というわけで、書いておきます。
 長田夏樹「邪馬台国の言語」学生社、1989.
 書名だけ見ると「際物」なので、ネットでいろいろ見てもほんとに読んだ人はいなそうでね。中身は書くのはやめます。でも、先のアイヌ語とこの本は、どっかの若き天才にきちんと把握してもらって、本当の日本語学を作ってほしいな。

 で、本題は、他人の仕事にはケチしかつけない私がこんなにも褒める仕事も、ネットの情報発信者には十把一からげ、見もしないで他と一緒に片付けられてしまう。ネットに限らず、そこらの評論大学教授も一緒ですけどね。
 別にそれでもいいけれど、結局世間なんてそんなもんだよな、という、(目的もなく手なぐさみで書いている人々なんて誰も当てにできねえや、バカといわれても怒んなよ)、というこれまで私が抱いてきた認識を新たにした、ということです。(お前もネット情報で判断してる、って、まあ、ある意味、そうですけどね)
 私は、実はまれにみるやさしい人間だ、というのは付き合っていただいた友人等は知っていることですが、一見して、このブログで典型的なように、他人への悪態がひどい。
 なんでも理由があるんですよ、人間の世の中。
 人が怒る理由なんて、生き死に以外ならどれも非常に微妙なもの。他人がみたらバカな話ばかり。しかし、その微妙な差が、パーソナリティと脳細胞状態によって増幅される。

 さて、そこで、その増幅を抑えるかどうかが、今の幸せな世で、潜在的に問い掛けられているところです。なんておとなしく書くと分かりませんね。けど、黙っとこ。
 ま、そんな心理学的設問は、それ以前に、不況が押し詰まる結果として変わっていくんで、結論は不要ですけどね。


   ここんとこ毎日の更新ですが、あまり続けるのは仕事(自分自身のみの)に差し障りますので、次回は来週末で。
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