リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

博物学上の1知見

2017-06-03 21:18:54 | その他
 こんにちは。ときどき夏が垣間見える今日この頃、蚊は出るし風は濁るし。
 まあしかし、初夏は盛夏ではなく。関東地方の方々はそろそろ紫陽花の季節で、関西もそうだろうけど、どこで花を楽しむかというのが違って。鎌倉のグチ。
 私どもが青春のみぎりは、アジサイ寺こそ老人のぞろぞろ歩きという感じは出てきたけれど、円覚寺も東慶寺も平日はほとんど人もなく、東慶寺なんか来る人間はあの境内で墓場を入れてもまあ2人、紫陽花や花菖蒲が楽しめたんだけど、もうダメだよね。この十数年行っていないけど。イモ洗いの観光客では文化も何もないと思うのだが、如何? 早く消えないかねえ、年寄りたち。そしたら若人も日本文化を取り戻せるかも。
 
 今日は近くのS大学にいってきましたら、キャンパスで「トッキョ、キョカキョク」という鳴き声が。ま、田舎なんですけど、これ、「ホウ、ホケキョ」と似てるなと思ったところです。参考情報を書いておきますと、「ホトトギスは鶯の巣を乗っ取り、そこで育ったホトトギスは周りの(本来の)鶯の卵を蹴落として、自分だけ鶯の子どもに成り代わって育つ。」という話で、でも、評判はすこぶる悪いけれどやはりホトトギスも鶯の子どもなんだな、本人はそのつもりなんだろうな、と感心したところです。(発声器官が違うのに、一生懸命母親のマネをしている、の意)(おっと、パパか。「ママのところに来るオス野郎の真似」というのもあるか。)
 そんな話聞いたことないしょ。
 鳥類博物学150年を経てもだれにもできやしない。
 私など聞いたことのない話ばかりをし続けて早30年、当たり前の世界。
 誰も同感しないか。
 あ、でもこれを本日の役に立つブログのテーマにしよ。はっきり書くと罪のない野鳥愛好家氏が紛れ込むのでトボケつつ。
 
 で、S大学の学食で500円でミニカツどんとうどんセットをいただき、おなか一杯。この腹いっぱいの満足をもって若人は夢のある午後の一日に邁進するんだろうな、とこれも明るい感想を持ったところです。いいね、若いって。何の根拠もなくても、若いという夢が確実にある。
 ただあの女子学生が制服のようにみんなで着ている筒袴、あれなに? いいと思ってんのかね。サラリーマン世界じゃ見ないけど、なんとも変。知らない? 田舎じゃ流行ってるみたいよ。もちろん服がどうだろうと自由ですけどね。ただ変。 
 
 さて、本日のネタ探し。
 ときどきためになる情報があるので見るネット赤旗。今日は、
「参院本会議で2日、公権力の行使を含む自治体窓口業務を地方独立行政法人に外部委託(アウトソーシング)できるようにすることなどを柱とした改定地方自治法が自民、公明、維新の各党などの賛成多数で可決・成立」したそうです。知らねえなあ。朝日新聞を見直しましたが「首長の賠償額に上限」とか書いてあるだけ。いいのか、朝日。ま、朝日なんてそんなもんだけど。別に左翼でもなんでもなくて政府権力をおちょくるだけなのに右翼はそれさえ気に入らず左翼とか言われる。要するに右翼なんて政府権力の糞拾いなだけだ。そりゃ他に生業がなきゃしょうがねえ立派な生業だが、そういう看板を掲げてやれ。 ウワ言のような弱いもの罵倒じゃなくて男なら正々堂々と民族イデオロギーを開陳しろよ。あ、失礼、女か。
 じゃなくて、行政権力の外部委託の話。そんなものはいいも悪いも大方の人間には関係ないけど、また人民の所得が減るな、というわけで。残る正規官僚たちはすでに人民じゃないし。つまり人件費が委託料に変わり、人材派遣会社登録賃金代+会社の儲けとなるわけで。
 シンプルには事務総量は変わらないので、投入労働力日当ての人民の賃金総量が減る。
 もっともその分を核シェルター用体育館土木整備費(自民党案)につぎ込めば少ないパイを人民の間で取り合いできる、というわけだ。
 かくて、年寄りの年金も自分の家族の貧困若人に分割されざるを得ず、わざわざ年金算定基準を減らして基礎年金だけの年寄の収入に影響を与えるまでもない、という都合のよい話だね。
 三菱銀行頭取の収入は2010年で1億1千万円。三菱は1975年には2千万ちょっとだった(いや千6百万ほどかも。年で違うんで)と思うけどねえ。上下でどんどん差は開く。まだまだこれからです。
 
 ついで、朝日新聞には道徳教科書教材論特集がありました。本当のことしか言わないブログ。道徳も身に付けなかった人間たちがなにをいってんだろうねえ。
 本当の道徳なんてもんは小学校で先生の姿を見て自己獲得するものだよ。教科書で何が分かるか。教科書が教えるのは世間の賞賛基準のみ。ワシントンの桜の枝、だね。「ウソをついちゃいけないよ」 なんてウソばかりの教師がなにを言ったところで子供のものになるわけがない。逆に、道徳基準を実践してそれを常にコトバ化している教師の生徒は、政治家がいかに嘘つきであろうとも、嘘は恥ずかしいものだ、と知る。問題は教科書なんかじゃない。教師の行動だ。
 と本当のことをいっても、小学校には口先ばかり、自分に甘い教師ばかりでムダなんだけどね。道徳なんつっても教科書や教材の話をして、「ハイ、道徳の授業をしました」 なんてもんさあ。、
 政府は政府の賞賛基準を教えることで権力の枠を思い知らせ、右翼が動きやすい世の中にすればいい。道徳がどうのなんて思っているのは初等教育のショの字も知らない文部官僚と評論家ばかり。こりゃどうも倫理教諭の資格保持者としては悲しいものさ。
 そもそも人の髪が茶色だろうが天然パーマだろうがハゲだろうがアデランスだろうが気にするようなバカじゃ、初めから人間の平等や自由など教えられっこないけどね。しかし筒袴はやめたほうが、、
 
 おお、長いっし。9時過ぎ。
 じゃね。
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