リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

考えごとの合い間

2024-11-09 16:08:45 | 断片
 こんにちは。東京地方木枯らしも吹いて、もう冬になってしまいました。どんぐりがコロコロ落ちて、日差しがうれしい。結局今年の秋は1週間。(来週は少し暖かいといっている)。
 先日の手続きでようやくS区図書館予約が可能になったので、空いてる名探偵コナンを一番近い図書館に集めてみました、が、99と100までしか予約が空かない。まだ見てない新しいのが6巻も残ってるのに。これじゃテレビのアニメにどんどん置いてかれてしまう、、
 買えばいいんだけどね、電車賃740円も払って。古本、2冊買えちゃうんだけどね。でも、うちにおいとくとこないの、部屋ガラガラだけど。金出したもん捨てたくないし。
 でもこの図書館にも知ってる人がいなくなっちゃった。ここ3回あってない。これではわざわざ行くこともない、といえばない。通りのお店も変ってしまったし、、

 まずは訂正です。この時代、情報を広めた人間にも罰則が来るようで。
 以前デブリの量を3gと伝えたところ(すべての報道機関でそう言ってましたが)新ニュース。
「<福島第一原発>取り出したデブリは約0.7グラム 4つの研究機関で分け合えるギリギリか」(福島テレビ)
 3gとの比較では4分の一。
 先週「880,000,000g」といったところ、先週と比較上、3,520,000,000g相当。
 もうええわ、、、なぜ関西弁??

 新しく知ったことには、ワンルームマンションて,IHヒーター(1口)なんだって? まあマンションだからね、そんなこともある。で1口は想定内だけどシンクが浅くて鍋も洗いづらいって。へえ、と思って賃貸のyahoo画像検索でシンクを見たら、きれいだけど小さいの。昔の木造4畳半アパートの付属はもっと大きかったぞ。ふちが薄いせいかね。ともかく使いにくそうで、へええ、と思いました。これは大変。自炊と言ってもお総菜とコラボだな。こんなとき鍋物はいいね。
 
 さてニュースは、
 アメリカは予想通りプーチン。しょうがないね、バイデン、いないも同然だったし。民主主義はどこ行った、って、民主主義なんてそんなもん。日本人が礼儀正しいだけ。とりわけ若い衆。
「プーチン氏、トランプ氏との協議に意欲 自ら電話する可能性も示唆」(朝日新聞デジタル)
 おかげさまでウクライナは戦争止めるかも。しかし今さらやめたって無駄に百万、二百万と人民が苦しんで。だいたい小麦来なくて、玉突きで食えなくなって飢え死にした中東・アフリカ人は何十万人なのかね。こっちこそ世界に無視されてるぜ。
 
「何でも「カスハラ扱い」する店が失う重要な情報 正当なクレームを取りこぼさないための方法」(東洋経済オンライン)
 最近の若い子は他人に言ってもらわないと自信が持てないようなのでいいます。 
 馬鹿が。何が正当なクレームだ。資本家が喜ぶだけの「正当性」。
 アルバイト店員の皆さん、店が喜ぶことをするのがあなたの正当性になったことがありますか??
 おためごかしで弱いものをこき使う。”若い時わたしもクレームは良く受けて、だからよく知っておりますよ” ってわけだ。こういうのもあなたの裏切り者カテゴリーに入れると、社会学的実証に役に立ちます。
 ああ、、いやだいやだ。私の「過去の友だちたち」の重要な部分。「友だち」はそれだけで複数か?
 
 さて本の話題。
 4か月前次回作の題名変えた時読んでないのに悪口を書いた「福祉国家の基礎理論」、S区で借りられたので読んでみました。だからどうということはありませんが、まあ悪口言って気になるので。想定通り勉強家でしたが。
 しかし、ひどいことに中身が想定外。
 「福祉国家」なんて北欧以外あるのかよ、何の基礎理論だ、と思ったら、勉強家だから、「福祉国家」じゃなくて「社会的投資国家」のことだって。そんなの題に書けよ。ネット通販で買ったら大変だぞ、4600円もするのに。
 ばかばかしい。ただの資本主義の現状政策紹介。何の意味があるのか、わたしにはわかりません。
 福祉国家に理論があるとしたら、「ニューディール政策を人が福祉と思うのはなぜか」というメカニズム理論だとおもうけどね。
 しかも、昔は先進国は「福祉国家」だったそうな。何の話だろう? そもそも北欧に一番近い日本でさえ、福祉があるかよ。ある、だ? どこに。ねえよ。
 ときどき現金給付があります?
 母子や障碍者の手当? そんなのは生活保護じゃないか。年寄に年金が出る? 一回出なくしてみろよ、日本資本主義国家なんてもたねえから。基礎理論なんて、人民が持つ観念体系の理論になるに過ぎない。
 この際、もう一歩突っ込んでおきましょう。日本は国家がもたないが、アメリカ国家はもつ。アメリカには福祉は不要なのだ。なぜか? アメリカには下層階級の行為共同性がないから。行為共同性のない=反撃力のない人間たちに、国家が手を出す必要はない。仮に死んでは困る人間がいるのなら、地域が養えばいい。慈善活動である。ニューディールはただの資本活用論に過ぎない、しかしそれさえアメリカでは福祉として忌み嫌われる、そんな人民性はある、だから福祉の基礎理論があるならそれは観念体系論なのであります。
 ま、いいや。そういうことでした。

(割り込みp.s.
  著者の文脈に対しては上記だけでいいのだけれど、普通の人がみるとわかんないかもしれませんので追記します。最近のわたしの考え事って、経済社会学を「普通の人の文脈では」に翻訳しようというわけで。
  で、普通の人は、「日本にはたとえば福祉六法ってあんじゃん、それは福祉国家だからじゃん?」って思うでしょ? ちがうの。それは「見た目」、観念体系。
  日本の「福祉」は戦後経済復興のなかで、生産共同体的扶助=家庭内扶助があちこちほころんだところから始まります。家庭で生存を助けていたものが助けられなくなってきた。ここで種々の取り組みが始まる。なんでか? 生産共同体とというのは食物を与えればいいというものではない。家庭内的な「助け」が必要だ、とその頃「=村で育った」の年寄り連中は思うわけだ。かくて「家庭的」に粉飾された「生存」扶助が始まる。これが日本の「福祉」です。なに、先進国だって地域宗教組織が確保されてりゃあそんなもんだ、北欧以外。
 ところで、それらは「福祉国家」なんかでは「ない」。いや、「である」というのはかまわないが、先の著者の趣旨はそうではない。それが著者の「基礎理論」だったから、なにいいたいのさ、と反論しただけでした。)

p.s. ほんとただのグチ
   今日もお風呂で考えたアイデアがきれいさっぱり消えてしまった。
   これで連続(に近く)5アイデア目。
   いつも20文字くらいにまとめて呪文のように繰り返して上がるのに。
   私のアイデアはどこに行ってしまったんでしょう?
   これが決して戻ってこないし。
   ああああ、、、

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