リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

右や左の擬似思想

2007-12-31 18:37:33 | 上部構造論
 というわけで、こういう主義を長年やっていますと、左翼だのウヨクだのという話がちゃんちゃらおかしくなります。
 なあにが左翼だあね。たまたまの、「今だけ左翼」のくせに。
 あるいは、「ウヨク」とかって、要するに昔の新サヨクじゃんか。
 ま、長年生きると、若い人が思う以上に世間のことがわかるものです。

 だいたい、被支配者というのは、権力者が嫌いです。偉そうに行為を束縛されて楽しい人間はいやしない。
 反面、反権力が好きなはずで、そこで昔ならサヨクなわけですが、このおめでたい現代日本では、まず、お年寄りが脱落する。40過ぎれば大部分の人間はそこそこの権力者ですわな。おまけに、どっちに転んでも大部分の人間は食っていける。
 といって権力のない若者が喜び得る反権力の対象とは、自己の生理性に関わらないことを条件に、自己の自由を束縛しようとする試みですね。これは、つまり、空語な道徳のお題目だ。今、空語でも道徳を持っているのは、大昔サヨクの石原慎太郎(知らないだろうね)とか、同じくそのままサヨクの高齢者だけだからね。どんな勝手なことを言うのも、反権力さ。
 普通選挙制下の権力者というのは、基本的に大衆を取り込もうとするわけですが、どうすればよいかというと、反体制思想の価値を剥奪していけばいい。生理的な課題(貧乏で食えない)とかいうのは、どちらにせよ、騙し切ったほうが勝ちなので、それ以外のところで政府に歯向かわれると困る。それには、「反体制の思想なんか君たちの将来にはなんの関係もないよ、ウルサイだけじゃん」といっておけば足りる。実際、現状そうだし。なんの思想構築の努力もいらない。
 
 では「君たちに関係のある将来」がウヨク側にあるかといえばちゃんとある。
 人が他人の行為に思うのは、その他人の行為がもたらすはずの将来のことです。
 これがうまく成立すれば、自分の利害に関係がない限りにおいて、「あいつはうまくやったな」、「あいつはよくやったな」ということになります。
 うらやましい、とか自分もああだったらいい、とかいうことですね。

 つまり、人は自分の生理的な次の将来に関知しない他人の行為に関しては、別に彼の価値観にそぐうかそぐわないかに関わらず、想定される将来を体現するその人間の行為を、妥当なものとして追認します。
 ところで、そういう他人て、政治家の場合は、自分もなりうる同一の階梯上の行為者であれば、権力者でよいのですね。
 「同一の階梯(ハシゴのこと)」と呼んだのは、地位の差はあっても自分も夢の中ではそうなりうる、という社会的状況の中の人間のことです。
 たとえば、ヒトラーに生理的に関わらない「ゲルマン人」右翼Aは、どうせ彼の今晩のパンに関わらないヒトラーについては、ヒトラーが独裁者であればあるだけ、彼の右翼的心情を体現しうる他人として、ヒトラーを支持するでしょう。
 同様に、ヒトラーがどうだろうと生理的に生きていられる「ゲルマン人」左翼Bは、彼の組織上の人事にさえ手を出さない限り、自分がそうできたらいいなあと思う「彼が理解しうる右翼ヒトラー」の「思い通り」の施策をするヒトラーに好意を持ちます。

 簡単に言うと、
・やるだろうと思うことは本当にやる
  という好ましさ。
・やって欲しくないだろうがやる(あきらめてるさ)
  という「敵ながらあっぱれ」
  
 というわけで、ま、食うのに関係なければそんなもんですよ。支配権力に対抗する権力がない、ということはありますが、それは今日の趣旨ではないので。 
 若者ウヨクというのもこんなもんです。
 
 もひとつ言っておくと、逆に、同一の将来を作りうべき者の逡巡なり妥協は、裏切りでしかありません。昔はこれを「近親憎悪」といいました。ちょっと流行ったんですが、あんまり本質をつかんでないので好ましくないコトバです。
 簡単にいうと、
・やるんだろ、てめえ。なんだ? やらないだ? ふざけんな!
 ってことですね。
 
 てなわけで、ウヨクとか左翼とかということに対応しているヒマがあったら、まともな将来の青写真を提出し、妥協なく行動したらいいんです。曲りなりには青写真を持つ共産党が「自分だけが正しい」という立場を外したら怖いですよ、、、こわかねえか。そんときはつぶれるかね。すごくピントがずれてるなりに、(理論はダメでも)政策では正しいこともいうんだから、もっと正直になったらいいのにね。でも対抗権力にはなれそうもないけど。
 
 などなど。本年も終わり。
 例年、同じ会社の製品でゴマメを作るんですが、今年はカラ炒りしたらゴマメからクサヤの匂いが。
 ずっと炒ってもフニャフニャやわらかく、、、なんだ、腐ってんじゃん!
 いいかげんにせいよ、土佐食品。なさけねえなあ、今年はやっぱり「偽」でした。
 来年は「義」だといいなあ、、、正義は勝つ。以上、おじさんでした。
 来年もよろしくお願いいたします。
 

(注)階梯が支配者層とは異なる被支配者の場合、具体的には「奴隷」のような場合、支配者がどうだろうが彼には何の関係もない。独裁者が大衆社会で生まれるというテーゼはこの同じ点に根拠がある。独裁者は、大衆社会、ないし奴隷制的民主主義社会で生まれるのだ。ただの弱肉強食の世界では、偉そうにしてもすぐに食われてしまうからね。
 では奴隷は? 奴隷にとって、頼れるのは神だけだ。 第三者が、宗教をアヘンだとかいってけなすのはよしたほうがいい。

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