リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

オカルト(その13;2つの生命イメージ間の選択)

2021-08-14 11:37:16 | オカルト(途中から)
 こんにちは。今日はお盆ですが、本州以南全部雨のようで。しかもこれからも雨。洗濯が嫌ですね。混紡シャツがすぐ乾いて一番いいのですが、わたしのようなまじめな人間がシャツ姿をしちゃ救われない、しかたなくポロシャツを着るので乾かなくてイヤ。
 子供の多いうちはわざわざコインランドリーに行くんだって? 賢いね。
 もう秋雨前線だってさ。温度も下がっちゃって、子供がいたらプールもいけなくて悲しいよね、ってどうせコロナだけど。当家はちっきょ。車のあるところは実家に顔を出してあげるといいですよ。
 
 首都圏、コロナは手が付けられなくて。先月ネットで「「8月に東京新規コロナが5千人になる」などとバカなことを言ってあおる輩がいる」などとはやしてさらにコロナ感染を増大させたネットウヨのような評論家がいたけど、何してやがるかな。たぶん「だからどうした、5千人なんて屁でもない」とか言ってんだろうね。ほんと、デマゴーグには真実なんてどうでもいいのさ。
 もうロックダウンしかないけど、政府は若い衆が立て続けに10人くらい死なない限りぜったいやらないし。みんな医療従事者と救急隊員任せ。これで運良く危機が通り過ぎれば、「そら見たことか、いい判断だった」と自画自賛するに決まっている。頑張ったのはおめえらじゃねえよ、馬鹿野郎。そんな奴らは今でもいるから今いっといて間違いじゃない。
 と思えば、ずっと大連休に天気が悪いのは神様のご加護だね。大雨の福岡・熊本にいる御親戚にはいえないけれど。そもそもオリンピックやったのは私のせいじゃないし。
 
 というわけで話は変わって、オリンピック。階下の家の歓声でつけてみました閉会式テレビ、おお光が綺麗ですごいじゃん、と思ったらテレビ用のCGだって? なんだかねえ。
 しかし、この閉会式の行動様式って、世界文化なんだよねえ。世界共通の運動会のパターンとディジニーランド文化。いや、わたしにはピューロランドに見えましたが。ちょっと恥ずかしい。
 ともかく、これで世界の規準たる文化が一つ(の欧米文化)に収斂されていくんだな、と感心しました。参加国206か国だって。もう全部の国家といっていい。地球は一つ。人類はみな兄弟。
 あ、ピューロランド、出し物とかそこそこ面白いです。8歳以下ならお薦め。東京都・多摩センタ―駅すぐ。コロナが終わったらね。ほんとは雨でも行けるんだけど、換気がね。
 
 さて、本日の本題はオカルトなので、その前に普通の人用にちょっと知った情報。
 立石俊一「日本人とアフリカ人」、1994。アフリカったってガーナ1国だけの話だけどね(あとは風聞)。それを「アフリカ」にしちゃうのもすごい。ま、性格に疑問は残りますが、それはさておき。
 その1,なんでもガーナ人の身分意識は「白人>黒人>黄色人」なんだって。気づいてなかった。白>黄>黒だと漠然と思ってた。まあ考えてみればそうでしょう、自分たちが一番下はないな。で、黄色人の訳語は「チャイニーズ」なんだって。ま、それもそうかな。
 その2、ガーナは宗主国「イギリスと同じ」階級社会なんだって。ほほう、これも言われてみればそうでしょうけど、知らなかった。ガーナの女は地位のある人間もいるけど、それは女が偉いんじゃなくて、そもそもが「上流階級の」女なんだって。ほう、そう。これも言われなきゃ気づかない。
 で、も一つの著者の主張は、あんな金持ちのたくさんいる国にODAは必要ないと。ま、そうだろうね。
 立石氏はODAで2年半ガーナに居て、さんざん現地人にバカにされた模様。おつかれさまでした。30年前の経験だけどね。30年じゃ階級構造は変わってないでしょう。
 ともかくためになりました、が、こんなことを250ページもこれでもかこれでもかと読まされるのは苦痛。速読の出来ない方には薦めません。

 さて本題。旧盆なので、恒例のオカルト。エビデンスなしの思弁番組。

 自然科学によれば、人間(や恐竜)の身体は生命の統合体というわけです。人間の細胞一つ一つに生命がこもって、例えばミトコンドリアとの他の生命体があって初めて成立しているのが生物の基本態、その統合として目に見える生き物が存在しているようです。そうではない生命の原点は、そこらの細菌。生命数十億の歴史を作ったのはそこらの細菌だ、と。
 そう思うと、生命なんつっても大したものじゃないな、と思いません? 魂も神への祈りもありえないただのうごめく細菌が、偉そうな「生き物」の本体なのであります。人間はただ細菌を統括してるだけ。ただの身体会社の社長さん。
 と、ここまでは自然科学者の「エビデンス根拠の随想」からの話で、私は責任はもちません。ま、それは一つの生命のイメージではあります。

 しかし本当はそうではない。
   (どう? 「そうではない」って、すごくないですか?
   (いいのかね、そんなこと軽々しく言って。

 先の自然科学者の見解は、ただの近代分析主義の産物に過ぎません。なんでも小さく分けていけば、その先にあるものが本体だ、と。
 違います。
 物質をいくら分けても最小粒子にはいきつかないように、他方、存在するのは鉄マグマでありFe2でさえないように、人間の目に見えないものは自然科学者にはわかりはしない。

 われわれはすでに生命は「大生命」であることを知っています。これに対応する「大なるもの」が物質エネルギーです。
 そして生命は、宇宙の物質の存在形式に対応して、個々に分断されたものであることを見ました。その当初に分断されたものが細菌生命なのであり、そこからの生命の歴史は、何とか元の大生命に戻ろうとする合同への傾向性の歴史、しかも失敗しかない歴史にほかならないのです。人間や恐竜に合体された物質をまとった生命の合同組織、それは残念ながら統合への失敗の現象形態なのです。(つまり、すべての生物が行う「食事」とは、分裂生命が物質世界で行う悲しい統合の儀式なのです。)
 これが大生命をにらんだ正しい人間の生命イメージの選択です。だって、初めのイメージじゃ、人間にとって世界は意味はないもの。まあ「失敗」じゃさみしいとも言えますが、しかしそれはあくまで大生命としての現象形態です。本来世界では統一されている、大生命の、物質世界での現象形態なのです。

 では霊とは何か。
 霊は生命の影です。
 しかし、物質に当たった光の「影」が、人間が各々の物質のエネルギー状態をどう呼ぼうとそれらは存在するエネルギーの交互作用の結果の現象という、影を作る物体が何であれ生ずる唯一無二の状態であるように、生命の影も、物質エネルギーにはおかされない状態の生命を映す、最高度に大生命本体に近い純粋の現象なのです。
 これはおまけね。

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