リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

プレ資本主義の蜜月(その1)

2024-09-21 17:16:45 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。想定通り寒さ予報が一日一日先送りになる今日この頃、彼岸花もコスモスもまだまだ。
 ここで、去年話題にした彼岸花の咲く理由、とりあえず咲いてないのは普通なら暑いから、でまあ終わらしてもいいや、だけどね、咲いてるのもあるんだよ、日影っぽいとこ。ここは土中が寒くなったの? ずっと最低25℃切ってないぜ。なっとくできないなあ、、
 と、とつぜん話題を振ってもご迷惑。
 最近左肩の動きが悪くて、とうとう五十肩が来たか、と思いましたが、どうも寝るときパジャマだけなんで丸まって寝るのが悪いのかも。そうすると痛いし。何が五十だ、って、柔道整復学上では五十までしかないようなので(by wiki)嘘ではありません。いずれにせよ唯一の運動の素振りができなくて困って。
 
 そういえばやっと新札全部にお目にかかりました。千円、五千円はおつりで来るけど、一万円札が手に入らなかった。やっぱ資本家より聖徳太子がいいね。って、一万円、今まで誰だったか忘れております。って、ネットで画像見直しましたら1万円はおろか、五千円も千円も誰のがいつやらわからない。
 で、新札、出来はキラキラ輝いてきれい。ただどれも数字が安っぽいのは外人向け仕様でしょうか

 さて、そろそろ秋鮭、クマの好物、っていうけど、クマ、骨はどうすんのかしら? ばりばり齧(かじ)りそうだけど、喉に刺さんないんだろうか? 不思議。刺さると痛いぞ、お医者いないし。
 というわけで諸ニュース。
 「息子抱いたママが蹴りでクマ撃退 元自衛官だが「倒し方学んでない」」(朝日新聞デジタル)なんて記事がありましたが、子連れグマだよ、哀しいことだ、クマも相手も子連れだってわかってんだろうし、、
 
 「大谷翔平、3連発含む6打数6安打10打点で「51-51」到達 ドジャースは12年連続PS進出」(日刊スポーツ)
 やっぱ、もってる人間はちがうね。神様のひいき。努力してるからね。
 おかげさまで退職者はネット中の賞賛を読んでしまいました。すごく面白い。
 ただ、昨日の夜のニュースで画像も見ましたが、なんともあっけなく終わってます。これが現実? ネット記者の感動記事で想像してたほうがいい。文科系なんだね。

 「坂本哲志農相は17日の閣議後記者会見で、「週ごとに(スーパーなどの)棚にコメが並ぶようになった。品薄感が減った」と成果を強調した。」(共同9.17)
 で、なんでうちの1軒のスーパーにいまだに米が一袋もないんだ? (17日現在)
 皆様、よくご記憶ください。「坂本哲志農相」なる人物です。くずが。
 クズですがすいません、熊本県人です。だけど菊池の人間です。
 、、、と、そこまでいうと差別か。
 熊本は北と南が違うって、すでに根拠もない、が昔はあった。菊池は大宰府支配。南はただの熊襲。いつの話って? 

 自民党の解雇規制緩和ばなし、朝日のアンケートで全体では29歳までは6割賛成だと。よく覚えといてね。男と女じゃ男の賛成が多いから、男の7割は賛成、とこれはただの想定。
 そんなこといってて、自分がクビになるときはぶうぶう文句を言うんだからわけわかんねえ。わかるけどね。物心ついてからみんながそうしてきたのを見てきたから、ワケなんか要りやしない、不愉快なだけ。ま、お前らなんか同情してやんないし。早くクビになれ。とにかくよく覚えておくように。

 というわけで、本日の題は、おタクっぽくないけど細かっぽいので読者を選びます。
 来週は涼しくなってるといいですね。じゃね。
 
 
 さて、気を取り直して
 元はといえば非常に感心した1冊、
 服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記増補版」、中央公論社、2009.
 これはよい本。著者である元総裁が独立すぐの小後進国でどう資本主義国家を作ったか、という話。
 いい本だけど、本人の認識が現実に埋もれ過ぎてるんで、これでは単純な市場主義礼賛になってしまう、んで、どういう限界があるかを書き留めておこうか、と。
 
 まずは、開発独裁なのはしょうがないが、そのままでは平公務員が働かない。政府だけが存在する国では働く理由がないから。平公務員が働くには全人民と行為共同性ができた段階に立ち入る必要がある。公務員は公僕なのだ、が、独裁国家で平民が自分より偉いはずもない。そこでまず必要なのは、公務員の綱紀粛正であり、税の最小化であり、商業的自由化であり、人民の市場主義的陶冶である、と。
 本書には先の3点の説明があって、ま、そりゃそうだ、と。カネがあったところで買うものが目の前になければ経済は独立以前になる。同時に、ブツがあったところで人民にカネがなければやはり経済は独立以前になる。著者は本業は銀行業なので、このカネとモノの動きを安定的スムーズに確保させ、独立に貢献しました、というわけです。
 小後進国には大事なことをしてよかった、と思われます。もう50年以上前の世界ですが
 
 それはよいですが、若人が、そらみたことか、資本主義万歳! なんて喜ぶのが困る。
 そこで、人民サイドの説明を追加します。 
 さて、陶冶といっても(って私の集約)後進国ではそれは自主的なものです。
 そこでは商業関連者(農業生産物の売却者や商人)は通常よりちょっと豊かの日常を手にできます。
 商品の取り扱い自体は人間の日常、常に生ずる「取引」であり、それ以上のものではありません。
 この人間の相互行為をそれ以上のものにするのは、カネによる賞賛と優越です。
 ある後進国=前商品社会において取引によるカネの入手は、彼に多大の自由を与えます。 
 「私を束縛した生産共同体からの離脱」
 「生産共同体では手に入らない「製品」の入手」
 「なによりも、そんな社会的位置に存在する自分」
 生産共同体からの一時的な離脱は、つまりそれまでの社会から排除されたわけではない離脱は、彼の生理的最低限の常態をあいまいながら保証するのです。つまり、いざとなれば、そこでの昔のよしみにたよったり、あるいは「実家」に帰るのも良い。
 であれば、あとはどんな「儲け」が少なかろうと、賞賛と優越が勝利する、つまりみんなに自分の身を誇れるのです。
 開発独裁での政府の命令的作業や年貢収奪と、この前商品社会的存在と、さて、どちらがいい? そんなこたあ言うまでもない。
 
 ここには衒学的意味を越える「疎外」は存在しません。あるいは、生産共同体内中人ほどの疎外しか存在しない、といえば哲学者は満足するでしょうか。 
 このプチ商人資本にとっての資本主義的疎外は、これから何段階もの歴史の先に存在するのです。

 さて、では前商品社会ってなんのことだ? なんて気がする方はいないでしょうが、そこは礼儀で、あとでのせようか、とも。

 
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