リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

身分制度と階級構造

2018-12-01 10:35:27 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。おやおやもう師走。しわす、ってなんだろね。坊主が走るなんてわきゃあない。他の月と比べて異質すぎるやね。正月の反対なら、「〆め」とか「出来上がり」って意味のはず。まあいいや。来年はお正月もないので気が楽。
 
 さて、本日はなにか起きたかな、とyahooをみたら、「とっくりでのお酌は注ぎ口を使ってはいけない? 驚きの飲み会マナーにネット騒然」などという見出しが。なんてばかったれなんでしょう。やってごらんよ、こぼれた酒でテーブルべちゃべちゃ。飛び跳ねた酒で部長の自慢の絹のネクタイは復活しません。注ぐ本人の意思と液体の意志が齟齬をきたすからね。本日の役に立つブログ、とっくりに注ぎ口があれば、そこを盃に向けること。
 
 あ、終わっちゃった。
 まあ世間話。大阪でまた万博だって? いいねえ大阪は。お祭りの余裕があって。国税使わないでね。
 ところで愛知万博って知ってる? わたしゃ知らない。まったく記憶なし。2005年、仕事がひたすら忙しかったし。大阪だって知らないが岡本太郎がいたからね。他のことは知らない。父ちゃんが50年前いってシャーペンを貰ったのをくれたので、まだたまに使いますが。melcom 7000 pilot と書いてある。昔の日本製品は良かったね。
 
 羽生選手が休業だそうな。よくモチベーションが続くよね。プルシェンコへの敬愛が大きいと思う私。人生、偉そうに先達を全否定してると虚しくなるからね。フラワーボーイのボロゾフくんもよかったよね、もっとも弟に抜かされそうだけど。
 
 赤旗には、共産党が「国保引き下げ政策国保料(税)を構成する「均等割」と「世帯割」を廃止して、負担をぐんと下げる提案」をしたとのこと。おう、いいじゃん。小池書記局長は本物だからねえ。

 他方、yahooのネット遊びでは、どっかの誰かが「最低時給1200円にって、算数のできない日本の政策議論が困る それ「月給21万円」のことですよ」なんて見出しが。続けて
「それはサラリーマンで言うならば額面21万円に過ぎません。社会保険料などもろもろ引かれて17万ちょっとの手取りで、結婚し、子どもを儲け、育み、自らの老後に備えようという気持ちになれるのか、というのは、政策に携わる人はもちろん、いまを生きる現代日本人全員がよく考えていくべきことなんじゃないかと思うわけです。」(山本一郎。1973年生まれ。作家、個人投資家。) ま、さ、態度はそれはそれでいいとして、なに驚いてんだよ、って気がしますよね、私のお友達がた。算数もできないって、できなくたって、それただの現実じゃん。東京985円の最低賃金は日本人値段だよ。それに、時給1200円なら23万越えるのはざらじゃん? 週休2日でない会社なら低賃金じゃあもっと働くさ。わたしゃ正社員だったけど、時給1200円ていいよねえ? 評論するならよく勉強しろよ。

 さて、本題。今日も長い。
 ここのところ読書は怒涛のように不作な本ばかり。過去のいい本は読み終えてるしね。で、プロ-マルキストの本を2冊続けて読んだら(プロ-は「ひいきの」ってゆう意味ね)(渡辺雅男「市民社会と福祉国家」、山之内靖「システム社会の現代的位相」)、両方とも手に手を取って「現代は階級社会に見えない」とかおしゃべりしてるのね。マルキスト系者が見えないんじゃ、若人に見えるわきゃないねえ、と溜め息ひとつ。
(山之内のはシステム論者(メルッチ)の受け売りだから無視するとして。渡辺は、)なんでも世界は階級社会と市民社会との2側面があるんだそうな。市民社会は平等なのだが、現代ではこの市民社会が危機を迎えてるんだと。は~。何語を聞いているのかおじさんにはわかんないよ。
 2つも側面もある社会なんか、社会科学には要りはしない。相互行為論と一緒さ。2つ作った瞬間に融通無碍。因果連関は評論家しだい。したいほうだい。法則性など何一つ掴めやしない。規定性に2面はあっても現実に2面はない。規定性の2面はそれぞれに展開できるが、現実の2面なるものをそれぞれに展開すれば出来上がるのは精神分裂だ。
 世の中というのはシンプル。ある個人について規定性がのしかかる、「情を立てれば、義は立ち辛く」。そんなことは、普通の人間であれば、誰でも知っている。「こっちをすれば得だけど、それをしちゃあケダモノだ」。けだものさん失礼。
 利害が貫徹する中で、ケダモノになりやすい奴と善良な諸君が、認知上の葛藤を繰り広げる。それだけの話。
 さて、それだけの話が成立するために、前提があります。利害関係の存在の如何はシンプルですが、その次。人情はどう発生するのか。ケダモノにはなりたくない、という前提はどう発生するのか。これがマルキストには理解できない事情です。 
 この人情の範囲を「行為共同性」といいます(隈理論)。オレとあいつは同じ将来を持っている、という認識であり、この認識の下に、同情ないし仲間意識が生じる。この事情が身分制度を映し出します。

1 身分制度と階級構造
 領主の官僚である侍同士には同じ将来があります。しかし、侍と百姓・小作人とは同じ将来はない。従って、米さえ自分の倉に湧いてくれれば百姓がどうなろうが侍の知ったことではありません。知ったことではない上に、百姓はこれに対抗することができない。 
 第1に、侍の持つ武力です。もっとも武力を過大に見積もってはいけません。たかだか民衆が自分と同じ境遇者と協力すればどちらが強いか分からないほどの武力です。
 第2に、それよりもその後に百姓に生ずる生産手段の喪失が問題なのです。反逆した小作人であれ奴隷であれ、その先に生きる手立てが見つからなければ、武力の有無に関わらず、死ぬわけです。
 これが江戸時代の身分制度です。この身分制度と別に、階級構造としての領主階級と農民階級が存在し、この2概念がほとんど二重写しになっているので誤解も生ずるわけですが。
 といって、もちろん身分制度の基礎は、それぞれの気持ちの持ちようなどではありません。現実に対する事実認知なのであって、その現実とは、階級が生産手段の私的占有に基づくのに対し、身分は生産手段の権力者の手による再配分の固定化が決定します。人は、生産手段の占有者に、彼らの収奪の場としての生産手段を与えられ、そこにしがみつかざるを得ない。
 
 さて次の時代。初期資本家と労働者とは同じ将来を共有していません。資本家にとって、どうせ来週は工場に来るか来ないかも知れやしない週決めの人間です。いや人間であるかどうかも怪しい。そんなやつが路上で飢え死にしようが、オレに何をしろというのだ。これが資本主義初期の身分制度です。若人には誤解があるかもしれませんが、自由主義期資本家にとって、労働者は「同じ人間」ではなかったのです。
 同じ人間ではない上に、第1に、資本家の武力はヤクザやウヨクによって自前のものとして存在していました。第2に、もちろんこの時代も、労働者に自前の生産手段はありません。
 で、この場合にも、別に階級構造としての資本家階級と労働者階級が存在し、これがほとんど二重写しになっているので誤解も生ずるわけです。
 つまり人間の目に見えるもの、すなわち行為者が自分たちの行為の中で具体的に現実化していく事実認知は、(すべて)身分制なのです。そしてこれを決定づけるものは、それぞれの行為共同性です。階級構造など、そもそも目には見えないものなのです。
 
 長いね。やっと本題です。
 
2 団結による事実認知の累積、あるいは平面状の行為共同性の拡大
 ではなぜ現代では身分制度さえ目に見えないか。
 理屈上、行為共同性が隔絶していないからです。ではなぜ隔絶していないか。権力者の手による生産手段の再配分は、資本主義社会にあっては固定化する必要もないからです。誰が資本家になろうが権力者の知ったことではない。その必要のなさを、過去の無産階級は着実に突いた、というわけです。もっとも「数打って当たった」だけでしょうが。
 すなわち、武力的闘争。 
 貧困大衆の団結は、階級闘争によって生まれた、と美文調でよく言いますが、その実態は、理論上、もっと散文的です。あるいはなんら哲学的・形而上学的論議の問題ではない、というか。
 人は、同一と事実認知できる環境において行為共同性を認知します。自分と同じ境遇の人々が行う「闘争」事象も同じ。しかし、これに直接貢献するのは、闘争への参加ではなく、闘争の「存在」なのです。闘争なんか参加しようがしまいが関係ない。たとえ貧困大衆の一部しか参加しない闘争であっても、その他の大多数大衆が彼らと同じ位置にあると認識すれば、闘争的団結はその役目を全うするのです。これは理屈を敷衍しただけで、評価の問題ではありません。それが常に普遍的に運動がもたらす役割です。
 ここにおいて、労働者は階級となる。
 ここにおいて労働者階級は肉体的合同の力を得る。
 権力者はあわてて弾圧し、その弾圧に成功しますが、その事実は弾圧を超えて残る。方や資本家という階級と、方や労働者という階級が存在する。権力者も資本家も、触りたくない階級の存在を確認する。
 こうして、階級的妥協が始まる。権力者の事務官僚は資本家を説き伏せ、国家に秩序を復活させる。

3 行為共同性の上下間の同一化の発生、あるいは市民社会の成立
 といって、階級構造は変わりはしませんから、誰にとっても全ては身分制度のセットのし直しでよい。それが事実なのは、さっき見たプロ-マルキストの言にあるとおりです。権力者は「あなたも国民です。でも愛国心はもってね」と適当にまるめこめばいい。資本家は「お前は仮にも課長なんだから」「お前は正社員だろ」「お前は4月から正社員にするって社長に言ってあるから」。生産手段の強制的配分の面目躍如というわけです。生産手段のない労働者には2択しかない。押し付けだろうがなんだろうが自分の生産手段を確保するか、革命で負けて死ぬか。
 民主主義? 議会主義? 名称など何でも良い。労働者が、そこにいる何百人かが自分たち「労働者階級」の味方だと思いこんでくれればそれでよい。これにより、権力者と資本家と労働者は、見かけ上の行為共同性を共有する、これが「市民社会の成立」なるものです。
 見かけ上というのは、基底に階級構造がありますから、いつでも変化してしまう、という意味です。
 その後の武力上の安定も権力者の事実認知のさなか。武力と引き換えに、自称労働者の代表が政策決定に関与する、かのごとき外見を呈する。権力者はそれで一向にかまわない。国家武力のうち警察機構は極小化される。いざとなれば名称はなんであれ「軍隊」があるからそれでよい。これが、わざわざ新理論などということもない、隈の『行為の集成』に書いた立言どおり、どこにも謎のない平凡な社会過程です。
 ほんと、私はこんな平凡な事態を明らかにするために生まれてきたのではない、が、こんなことさえ分からずに死ぬ大学教授も恥ずかしくて死にたくなるのではなかろうか。

4 再度、闘争へ
 さて、このまま終われば平和でよろしい。私は平和が好きです。
 しかし、世界規模での資本主義は、「資本主義制度内資本家にあたる先進資本主義国の労働者」には、いつまでも楽させてくれない。すでに中進国労働者は蜘蛛の糸のすぐ下に迫っている。かたや資本家はいつまでも楽だ。とりわけ彼らの行動は、階級構造に沿って利害追求をしなければならないから、日々賃金は削減される。こうして支配者層と人民の間の行為共同性は化けの皮がはがれてゆく。大衆には見えなくなっていた身分制度が、新たな装いを持って大衆の生活を覆う。

 はい、おつかれさま。
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