リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

1年ぶりのオカルト(霊と生命)

2017-01-21 13:44:43 | オカルト(途中から)
 こんにちは。東京地方、通勤道の公園では相当多くの紅梅の蕾が開き出しました。今年は昨日が大寒だそうで、ありがたいことにもうこれからは暖かくなるわけです。といいながらひどい風。これで中身が雪ではたまりませんね。
 
 さて、本日のテーマはトランプということになるんでしょう。トランプの最良の日。上りつめたら後は下るしかないと。下るしかないと、何割の人が気づいているでしょうか。
 くだらなくて皆様と同じく内容のない悪口しか言いようのないところですが、まずは、今日以降、トランプ投票者の8割は苦虫を噛んだ顔になるでしょうね。わかっていながらも、今日見せ付けましたように、これからは大統領様ですから。下々の投票者たちとは身分が違う。本人や報道官の資本家づらが毎日テレビに出て、あれを見るたびに投票しなきゃよかった、と後悔するんでしょうね。
 で、半年ぐらいは思い通りにやるでしょうが、半年もたてば政策の影響も出るというもの。
 物価上昇、販売不振、自分の馘首。「そら見たことか」と反対派に言われてさらに苦虫が噛み潰され、ストレスで身体を壊して病院にいきたいがオバマケアがなくなって医療保険もやめてしまってた、という流れ。
 資本家はウハウハで株価は上がるが、1年もすりゃ誰でも先行きのないことに気づき大暴落。トランプ投票者はやっと就いた臨時の仕事も倒産により失業。踏んだり蹴ったり殴られたり。
 トランプも思い通りにならなくてめんどいから自主的に辞めちまうことでしょう。もう70だし後期高齢者もすぐ。

 というわけで、いちおう基本は抑えようと、このかん何冊も借りて読んだのがアメリカ政治関係本。全部むだ。事態をまじめに捉えようとなさるみなさまは間違って買わないように(借用は他館の予約取り寄せなので中身が見れない)。そこらで入手できるこの20年間の政治関係本は、全部評論かエッセイ。政治学者というのは、科学的・実証的根拠とか、って習ったことないんだろうね。「こんな制度だからこう推測される」「人と話したらこうだといってましたよ」 本。いつも思うのですが、本が売れないんじゃなくて、買わんでいい本しか売ってないんだよね、現状。
 そんな中では(題名に即さず)「現代アメリカ経済論」ミネルヴァが、まともでした。政治学じゃないからまともなんだ、とシンプルに思います。
 まあ、同情的に言えば、物事が州単位なんで実証するのも難しい、ということもあるかも。他はダメですがアメリカ論だけは、アメリカ人の研究の訳書のほうが、実証のあるのもありそうで、よいようです。
 
 さらに政治学の実りのなさにあせって借り込んだのが哲学本。これも30年間のは全部むだ。ほんとに哲学者って頭悪い。しかもどんどん悪化してるのでは?
 正しく言うと、哲学で食ってるために、哲学史が生んだ既に腐り切った論題をさらに食い散らかすんで腐敗物質が頭に回ってるんだね。設問が悪ければ答えなんぞ望むべくもない。こんな本にカネを使わされる人間が、いい面の皮だ。昔はまともな設問もありえた、ということですが。
 
 ま、そんなこんなで新知識の披露もできず、なんか役に立つことはないか、と本日はオカルト。
 1年ぶりの隈霊学。
 去年、16,1,1付けで、生命はエネルギー=物質とバーターで生まれた旨お話しましたが、ここで、注意。(って、はじめから眉唾な話ですから全編注意ですが)
 生命と霊は違う、あるいは違わなくてはならない。
 生命細胞の多様的構成物が人間なのでありますから、生命≒霊であれば、霊は多様な細胞によりひっちゃかめっちゃかになってしまいます。しかし、それでは古今の宗教のかけらも成り立たない。人間に関係のある霊的世界というのは、個別、人間個人として確固とした世界であります。単にエネルギー不滅の法則のように生命不滅の法則を唱えてもしょうがないのです。唱えた結果それが正しかろうが、そんな正しさは人間には役に立たない。それはミトコンドリアの世界であり、ミトコンドリアの霊の世界でしかないからです。
 人間の意味ある霊とはそうではない。問題は人間の意識がどうなっていくかであり、そのことだけのために幾百万の宗教家や呪術師が生きてきたわけです。
 そうした先達の教えの霊とは、人間を代表とする細胞多様体に理想的に固有なある種の構成物でなければならない。(そこらの木も多細胞の構成体ですわな。枯れて落ちる葉っぱは、ただの「部分」)
 かくて、霊は、生命が元の平準的宇宙の構成に戻ったとしても、その後に残り、しかし、時とともに消えてゆく、そうした好ましい存在だ、ということが理論上措定されるわけであります。なんとなれば、
 第1に、生命は全体であり不滅である。そこには時間の概念もない。ただ存在するのみ。
 第2に、しかしその一方、霊は個別の構成物であり、不滅であるはずがない、というわけです。不滅でない、「時」を持ったものが霊であります。
 ま、第3に、霊なんてない。という答えを否定しているわけではありませんが。
 しかし、この辺が心霊現象理解上、妥当な結論、全てを説明できる議論なんじゃないか、と思うものであります。
 こういう妥当本位な議論を、正統プラグマティズムといいます。知らんけど。
 
 春とは名のみ、寒い冬がもたらす思考は、ともかく暗いですね。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする