こんばんは。本日は久しぶりの花見びより。私儀、久しぶりに昭和記念公園なる名称の公園にいってまいりました。
よかった、花吹雪、その他。20年ぶりくらいですが、荒地だった公園もすっかり草々に包まれて。東京地方の方には、すでに井の頭公園よりお薦めといわざるを得ない(なお、他の花との関係で、少し遅めの時期が良いです)。まあ、名前が悪いのは本人のせいではありません。
さて、そのため夜になった今このごろ、テレビには小室等とか谷村新司とか吉田拓郎とかが出てて。
なっとくいかん人々のソサイアティだ。
結局、「フォーク」も歌が好きなやつだけの世界になってしまった。「歌わなければならない」人たちは二度とマスコミに出ることもなく。そんなもんはフォークじゃあねえ。そんなもんらがボブ・ディランを歌ってもしょうがあんめえ。
歌が好きなだけのやつなんかのことはどうでもいいですが、そういえば、なぜ「歌わなければならない」人間が消えるのか、次回作品「上部過程」も9割がたできたのですが、こうゆうのは書いてなかった。といっても100字くらいで消えるそんなテーマは読んだって誰も気にとめやしない、3行だかんね。読者の方々の頭はもっとでかいことにめくるめいている(はずだ)し。じつはそんなとこがこの1、2日の課題。うまく、種々の立場の読者の要求を統合させるという。
さて、前回に引き続いてしまおう、中高年的言い残し。本日は、勉強のすすめ、4月だかんね。
大学生の方々には教授陣がいるからどうでもいいけれど、まあ聞けないところで、新入生は英語を多読し、第2外国語の語尾変化をきちんとやるように。で、20歳になったら多読の済んだ英語と、それに語尾変化の済んだ第2外国語を、今度は1字1句ごまかさずに読むように。文系、理系を問わず、これしかありません。
といっているのにどうせやりゃしないだろうけど、「これしかない」とまでいっている心に気づかないようでは、何をいってもしょうがないし。「いやこれは」「ではこれは」、、、学生が当たり前のことをやるのは当然です。
さて、労働者の方々への勉強のすすめ。これは文系でも社会科学限定。
英語等はいりません。そんなものは学者になりたいだけのやつがやればいい。何語で読もうがおんなじです。ときどき、「原語で読むとこんなに簡単」とか「これは原語の意味はこうだから本当はどうで」とかいいたがるバカがいるが、はっきりノータリンです。人間の思想とは、そんな一字一句で左右されるものでは決してありません。本筋が分かれば目を瞑ってもあなた自身で代書できるものです。そんなやつのいうことを聞いて人生をムダに費やしてはいけない。
社会科学で重要なのは
1 「ドイツ・イデオロギー」を初めとするマルクスの書。
2 アダム・スミスの「国富論」。
3 「法の哲学」をはじめとするヘーゲル。
4 「経済原論」をはじめとする宇野弘蔵。
5 労働法の労働者の立場に立った概説書。
まずはこれだけでよろしい。これらをきちんと読めば、あとは興味のある分野を「知識」として読むだけ。それで大学卒、院修了、その他の人間と同等以上の社会科学的能力がつきます。近代経済学書など1冊もいりません。不安でしたら高校の政経の教科書をよく読めばよろしい。それ以上はまったく不要。安心して毎日勤務してください。
ここで、5番目がミソ。
ほかの事はよいのですが、社会科学系の大学に行かないと、あるいは行っても、「法律」の読み方ができません。法律はこれを都合の良いように解釈して主張する「道具」です。頭の悪い法学部学生に「法律にこう書いてある」などとだまされてはいけません。ほんとにアホほどそういいたがるものです。「書いてある」!!! びっくり。
根本が違う。法には何も書いてありません。法律はあなたが使う道具です。
労働者サイドの労働法は、その点、わかりやすく「ほんとかよ」みたいな論理を駆使してくれます。ほんとかどうかはどうでもよろしい。法はあなたが解釈した結果が正しい。これを学んでくださいまし。
なんか少しテーマがずれましたね。
こんなことを書こうとしてたのかな?? 忘れた。
なお、エンゲルスはマルクスを凌ぐ天才ですが、初学者には難しすぎて読めないはずです。マルクスを全部読んでから、まず「国民経済学批判大綱」を読んでください。薄いです。
よかった、花吹雪、その他。20年ぶりくらいですが、荒地だった公園もすっかり草々に包まれて。東京地方の方には、すでに井の頭公園よりお薦めといわざるを得ない(なお、他の花との関係で、少し遅めの時期が良いです)。まあ、名前が悪いのは本人のせいではありません。
さて、そのため夜になった今このごろ、テレビには小室等とか谷村新司とか吉田拓郎とかが出てて。
なっとくいかん人々のソサイアティだ。
結局、「フォーク」も歌が好きなやつだけの世界になってしまった。「歌わなければならない」人たちは二度とマスコミに出ることもなく。そんなもんはフォークじゃあねえ。そんなもんらがボブ・ディランを歌ってもしょうがあんめえ。
歌が好きなだけのやつなんかのことはどうでもいいですが、そういえば、なぜ「歌わなければならない」人間が消えるのか、次回作品「上部過程」も9割がたできたのですが、こうゆうのは書いてなかった。といっても100字くらいで消えるそんなテーマは読んだって誰も気にとめやしない、3行だかんね。読者の方々の頭はもっとでかいことにめくるめいている(はずだ)し。じつはそんなとこがこの1、2日の課題。うまく、種々の立場の読者の要求を統合させるという。
さて、前回に引き続いてしまおう、中高年的言い残し。本日は、勉強のすすめ、4月だかんね。
大学生の方々には教授陣がいるからどうでもいいけれど、まあ聞けないところで、新入生は英語を多読し、第2外国語の語尾変化をきちんとやるように。で、20歳になったら多読の済んだ英語と、それに語尾変化の済んだ第2外国語を、今度は1字1句ごまかさずに読むように。文系、理系を問わず、これしかありません。
といっているのにどうせやりゃしないだろうけど、「これしかない」とまでいっている心に気づかないようでは、何をいってもしょうがないし。「いやこれは」「ではこれは」、、、学生が当たり前のことをやるのは当然です。
さて、労働者の方々への勉強のすすめ。これは文系でも社会科学限定。
英語等はいりません。そんなものは学者になりたいだけのやつがやればいい。何語で読もうがおんなじです。ときどき、「原語で読むとこんなに簡単」とか「これは原語の意味はこうだから本当はどうで」とかいいたがるバカがいるが、はっきりノータリンです。人間の思想とは、そんな一字一句で左右されるものでは決してありません。本筋が分かれば目を瞑ってもあなた自身で代書できるものです。そんなやつのいうことを聞いて人生をムダに費やしてはいけない。
社会科学で重要なのは
1 「ドイツ・イデオロギー」を初めとするマルクスの書。
2 アダム・スミスの「国富論」。
3 「法の哲学」をはじめとするヘーゲル。
4 「経済原論」をはじめとする宇野弘蔵。
5 労働法の労働者の立場に立った概説書。
まずはこれだけでよろしい。これらをきちんと読めば、あとは興味のある分野を「知識」として読むだけ。それで大学卒、院修了、その他の人間と同等以上の社会科学的能力がつきます。近代経済学書など1冊もいりません。不安でしたら高校の政経の教科書をよく読めばよろしい。それ以上はまったく不要。安心して毎日勤務してください。
ここで、5番目がミソ。
ほかの事はよいのですが、社会科学系の大学に行かないと、あるいは行っても、「法律」の読み方ができません。法律はこれを都合の良いように解釈して主張する「道具」です。頭の悪い法学部学生に「法律にこう書いてある」などとだまされてはいけません。ほんとにアホほどそういいたがるものです。「書いてある」!!! びっくり。
根本が違う。法には何も書いてありません。法律はあなたが使う道具です。
労働者サイドの労働法は、その点、わかりやすく「ほんとかよ」みたいな論理を駆使してくれます。ほんとかどうかはどうでもよろしい。法はあなたが解釈した結果が正しい。これを学んでくださいまし。
なんか少しテーマがずれましたね。
こんなことを書こうとしてたのかな?? 忘れた。
なお、エンゲルスはマルクスを凌ぐ天才ですが、初学者には難しすぎて読めないはずです。マルクスを全部読んでから、まず「国民経済学批判大綱」を読んでください。薄いです。