リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

だらだら書き

2015-11-07 11:51:33 | 断片
 こんにちは。東京地方、花粉も消え暑からず寒からず1年で最高の季節、パソコンの前なんかにいると、こんなことをしてていいのかと思います。雪国はそろそろ雪囲いでしょうか、大変ですね。
 地域ネタ的には今回の剣道選手権。前回つまらなかったので見ませんでしたが、なんか輪をかけてひどかったもよう。熊本男児の恥さらしかと不愉快でしたが、(熊本健児という言葉は作ってないかね) 他の県の出身のようで安心しました。ネットで見るとそんなの当たり前、みたいな意見が続出。どこが剣の道なのか、棒振りスポーツ、つまらないのも当たり前のようです。

 季節ネタ的にはそろそろ蚊も終了のような。朝の掃除どき、家人より、お風呂で蚊が死んでいるとの報告。昨夜食われまして。(食うは標準弁のようです)。せっかく血を吸えたのに横死して「ちくしょう、こんど生まれ変わったら」 とか思うのでしょうか。世の中理不尽なことが多いものです。理不尽というのはロシア語で不条理といいます。もちろんウソですが、今検索してみたらネット情報がもっともらしくいい加減で。ロシア語というのはカラマーゾフですね、米川正夫の。
 元に戻って、「自然界になぜそんな理不尽なことがあって『よい』のか」 という疑問の答えは、公式的に隈の「風とベイシティ・キャット」 にて報告済みです。宗教書ではありませんが。
 面白いですぜ、理論部分を除けば。
 といって、理論部分を除いたら、隈がなんのために書いたか分かりませんが、しかし、もはや理論部分は「行為の集成」で別途まとめてあるので、そう発言するのも不誠実ではないかと。
 
 さて、ここんところ、出版社様に指摘された、お前の原稿は改行、行空けが多すぎ、につきまして、頭っから修正中。まあ「行為の集成」でもそうでしたが、改行が多いといかにも初心者のように見えます。初心者は、改行で説明の代わりをするんですね。当たり前だから説明を書くに値しない。自分で考えろ、って意味です。これに反してプロは、毎日教壇でしゃべっていてそんなことを読者に要求しても無駄だと知ってますから、書くんならだらだらと書く。
 まあ、よくよく考えると、ここで考えて欲しいといっても、頭へ刺激がこなければ人間考えられない。一塊り、情報をどんとぶつけて、あれ、この中の1行わかんねえぞ、と思ってもらうのがプロセスとしては普通、かつ、しょうがないのでしょう。
 とゆうわけで、説明文を加えるでなく、ひたすら段落統合。説明してたら終わんないし。
 というわけで直しはしましたが、やっぱ基礎力のある人が丁寧に読むには、センテンスが固まってしまっていてはかえって検討しにくいと思う。
 まあ、読者の方でユニークな論を書く人がいたらご参考に。

 で、だらだら書きの例で「親族の基本構造」 レヴィ・ストロース。リーバイスですね。両方流行った時期は同じ、40年前は長崎屋で4,800円、私もはいたことあります、ベルボトム26インチ(昔はそういうサイズがあった)。懐かしいですね、これと共にある思い出の片棒の方々は死んでしまったかもしれません。
 ではなく、フランスの民族学者。図書館に岡本裕一朗という人の思想入門書があって、なかなか理解力のある人と感心しましたが、その人が(言外に)褒めていたので、そういや眺めたことしかないし読んでみようかと。
 で借りた、ハードカバー800ページ、字だらけ。読む気しないって。内容も外から眺めて評論するただの民俗学書で、何がいいのかわかりゃしない。お前どうやってわかったんだ、って気持ちが湧き上がるのみ。コトバも通じないのに、ほんとはなに思ってるか、どうしてるか、なんて分かるわけないじゃないですか。変な外人がうちにやってきて根堀り葉堀り聞くんでカタコトで適当に答えたのが本になったら、あなたならどう対応しますか? (しかもデータ、寄せ集め) こんな本読んでも批判のネタにしかならないので、読むのはやめました。貸し出し中だった「野生の思考」のほうがマシなようですが、40歳でこんなの書いてるようでは、そちらもためになりそうもありません。
 で、解説かと思った丹下隆一先生の本(意味と解読)を一緒に借りたんですが、これがまあびっくり、好き勝手な本。こんな本、よく出せたねえ。この先生の授業は、出したい人はレポート出してください、といわれて出さなかったのが頭に引っかかって、(「優」もらい終わってたんで。他人の弟子の評価は適当にというのが文系大学院の鉄則。)その後20年くらい夢に出ましたが、そんなに気にしなきゃよかったと思いました
 本の内容自体は面白かったです。言語社会学(以上のものではない)ですが。言語社会学といってもこのごろの無味乾燥のゲーム感覚のような社会構築主義なんかより格段によろしい。文の中で生きている。これは個性なのか時代の文化なのかわかりませんが。学問なんだから次世代の基礎にならないといけませんが、こういう社会へ対峙するスタンスを伝える、というのも重要な使命のようにも思います。
 
コメント
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