リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

バカな男や

2013-07-06 22:16:03 | 断片
 こんばんは、東京地方もいよいよ夏。2,3年前から、季節2週間前倒しですよね。早く秋がくるならそれはそれですが、ともかく夏はつらい、プールや海に行かなくなって、夏だからといいことないし。

 さて、また昨日あたま来て場を汚したもので、翌日的になんとか普通の話題でブログトップページを糊塗しようと。
 
 今日は将棋の棋聖戦3局目、羽生三冠に対しひいきの渡辺三冠の逆転勝ちでとてもうれしい。なんで勝っても勝ちは勝ち。
 ともかくひいきが負けるのはゴメンですね。野球ファンとかってどうしてひいきのチームが年間60回とか負けるのに我慢してられるのか理解不能。
 
 というわけで、本日はためにならないただのヨタ話。
 
 男ってなんか勝負事好きじゃないですかね。「俺は嫌い」? ま、私も賭け事は(負けるから)好きじゃないですが、要するに面白い気分に浸りたがるというか。
 強いなら強いでもっと強くなりたがるというか、1番なら1番で、なんか面白い趣向を凝らしたがるというか。
 たとえばまともな創業者社長というのは、「社長になった、もういいや」か「もっと大きなことしてやろう」とか「もっと面白いことしてやろう」とか、要するに基本、他の迷惑顧みず、《おもしろきゃいい》でやってる気がしませんかね。
 金儲けしたいとか、そういうやつって、永続的な金持にはならないですよね。せいぜいなっても犯罪者で、自分はそれで上等と思ってる、ような。別にカネをたくさん溜め込むことがいいと思ってるわけでもなさそうな気がしますが。
 要するに、思うに実のところ、男というのは、なにも希望や夢がないんですね、じっとしてたらつまんないから何かやってる、「どうせ生理的消耗品」のような。

 じゃあ女は、って、女って「綺麗が褒められる」というのが宿命的に大ネックと思いませんかね。
 「綺麗」なんていうのは人の評価なんで、美人や頭の良い者ほど人の評価を気にしたがる、したがるというよりも生理的反射になってませんかね。
 ということで「なりふりかまわず」、という設定ができない。これじゃあいかに地力に勝ろうと、生理的消耗品にはとても努力の結果が勝りませんな。

 こうゆう側面で、「非合理な男と世間的に合理的な女」と括られたりもするわけでしょうね。
 
 なんて、だからなんじゃ、ということでもありませんが、きほん、男も女も馬鹿なことばっかりしてる気がします、という埋草的世間話で。
コメント
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