リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

叙情における天才とは

2008-09-05 22:15:58 | コーヒーブレイク
詩とは心を語るもの。
「二十億光年の孤独」でわたし的思春期を風靡していたこの器用な詩人は、ずっと天才だと思っていました。
その頃の他の天才といえば、私の中では中原中也、以下、せいぜい「荒地」の詩人たち。
そんな人たちとかけ離れたところで、谷川俊太郎は、ずいぶんと私より年上にも拘らず、青春詩人の名をほしいままにしていたものです、と書いても誰も文句は言いませんよね。
しかし、中原や長谷川、ちょっと小さいけど田村が、世間で天才、異才といわれても、谷川はただの青春詩人だった。
気持ちを歌うに才高く、なんでこんなにうまいのに天才といわれないのか。

で、本日(9月5日)、朝日新聞の夕刊に「キンセン」なる詩が載ってまして、なんでも朝日では、これから谷川詩を載せていくと。

で、驚愕したことに、なんじゃこれ、こんなの詩か、、、何の心もありゃしない
「心のこと」を歌っているだけ。
なぜ、天才であるべき谷川が、、、と風呂に入ってしばし考えたところ、
この「キンセン」は、老婆のことを子供が思う詩だったのです。
そんな詩あるかよ、てめえは77歳だろ。

ああ、そうなのね、だから天才といわれなかったんだ、、、

自分の気持ちを詠んでいった者たちは、そうやって挫折して死んでいった、
そんな時代。
中学生でさえ異和感を持つほどの健康詩人は、自分の心ではなく、その才で歌を作っていたんだ、、、たまたま若かったからタテマエも心のように見えただけ
恐るべし、詩壇。
きちんと生きていた老詩人の集団には、それ、みえてたのね。

谷川は、結局天才ではなかった。
好きじゃなかったけど、中原中也に次ぐ私の思春期の詩人
ちょっとさみしい、、、


コメント
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