くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景092 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 桜田濠の彼岸花

2013年09月17日 07時55分00秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、江戸城(皇居)の桜田濠(さくらだぼり)で彼岸花(ひがんばな)の撮影です。
 皮肉な話ですが、おそらく、都心部で一番自然が残っているのは、都心のど真ん中にある皇居です。
 皇居として、一般人が立ち入らず、盗掘(とうくつ)も開発も行われなかった結果、昔の状態が残っているのです。
 その為、皇居周辺の濠沿いでは、都会では珍しくなった野草が咲いていたりします。

 桜田濠に咲く彼岸花もその一つです。
 見ての通り、花が放射線状に広がっているので方向性が無く、撮影し易い被写体です。

【彼岸花、曼珠沙華(マンジュシャゲ)、サンスクリット語(古代インドの言語)では「マンジュシャカ」】
 彼岸花の名前は、秋の花には珍しく、毎年、お彼岸(9月23日頃)に花を咲かすことからきています。
 ただし、9月でも暑い年は、開花が1週間程度遅れることがあります。

 彼岸花は、他の草が花が咲かす春から夏にかけては地上には姿を見せず、9月になると、ひょっこり伸びてきて、花だけを咲かせます。そして、花が終わった後に、細長い葉が出てきて、冬の間、緑の葉を広げているという不思議な植物です。他の植物のとの競合を避ける事により、うまく環境に適合してきた植物ともいえます。

 彼岸花の鱗茎(りんけい、球根の一種)は、アルカイド系の有毒物質を含んでいる為、そのままでは食べられません。しかし、この有毒物質は水溶性の為、水に浸しておくと流れて、食べる事が出来るようになります。
 江戸時代においては、有毒の為、作物では無く年貢の対象外とされ、救荒食物(飢饉の時に食べる非常食)として、畑のあぜ道や、墓地に植えられて、広がっていったと考えられています。
 一説には、田んぼ荒らす動物(ネズミや虫)などが、有毒物質を嫌う為、植えられていったという説もあります。
 いずれにしても、昔の人の生活の知恵として、彼岸花は、日本全国の人里に広がっていたのです。

 彼岸花は、田んぼなどで、土を掘り返す時に、鍬(くわ)の刃により、球根である鱗茎が分裂して増えてきました。
 これは、子孫を増やすというより、1つの彼岸花が、2つの同じ彼岸花に分かれたと考える方が正しいでしょう。
 驚いたことに、日本に存在する彼岸花は、全て遺伝的に同一であり、三倍体(種子ができない)だそうです。
 つまり、日本に存在する彼岸花は、わずか1個の個体が、千年をはるかに超えるの長い年月に渡って、分身を続けてきた姿だったのです。
 (例えば、マンガ風に置き換えると、ある人間が分身の術を使い、顔・姿が全く同じで、全てが本体である人間が、田んぼのあぜ道に連続的に並んで立っていて、それが日本全国にいるような、とんでもない話なのです。)

 最近は、白い彼岸花を見かけるようになりましたが、彼岸花とショウキズイセン(黄色の彼岸花)の交雑種(人により作られた雑種)です。その意味では、皇居のお堀の花も、人出により植えられた花も多いのかも知れません。

 仏教の曼珠沙華は、「白くやわらかな花」という意味らしく、赤い彼岸花とは全く合いませんが、その意味では、こちらの方がイメージが近いのかもしれません。

 昨年、平成24年は9月になっても暑い日が続き、お彼岸頃に行っても、ほとんど彼岸花は咲いていませんでした。
 下の写真は、江戸城(皇居)の半蔵門(半蔵門)と桜田濠です。

 下の広重の絵が描かれたのは、この付近です。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第51景 糀町一丁目山王祭ねり込」(夏景)です。

 絵の説明は、「名所江戸百景042 ・・・ 日枝神社の山王祭(2)」で説明ずみですので、省略します。

 ここは、6月の山王祭の時に場所の下見をしています。広重が描いた場所から、さらに後ろに下がったこの位置からは、半蔵門の土橋も見えますので、この付近に目星をつけておきました。お堀の奥が半蔵門の所です。

 この付近は、彼岸花も多く咲きますが、しかし、ここも、白い彼岸花が1本だけ、ちょこんと咲いていました。

 桜田濠は、ここで大きく東に向きを変えます。桜田門の近くから、上の写真の撮影場所を見た風景です。

 ここは、下にある広重の絵が描かれた付近です。今でも桜田濠内側の高い土塁(どるい)は変わりません。
 昨年は、9/29になっても、まだ彼岸花は「ちらほら咲き」です。
 わずかに赤い彼岸花がまとまって咲いていましたが、距離が遠い上に、昨年平成24年は、桜田濠の石垣保存修理工事(写真左の工事船)が行われていましたので、写真になりませんでした。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第54景 外桜田弁慶堀糀町」(夏景)です。

 桜田門(右後方の絵の外)のある方向から、桜田濠(江戸時代は、弁慶掘(べんけいぼり)と呼ばれた)の奥にある麹町(こうじまち、江戸時代は糀町(こうじまち)と呼ばれた)方面を望んだ風景です。
 夏景ですので、緑の木と青い濠のコントラストが目を引きます。左下に武家の人が歩いていますが、城への登城路でした。大名行列も通ったそうです。

 とりあえず、手前に白い彼岸花がありましたので、なんとなく、それらしく構図を作ってみました。俯瞰と水平アングルの違いはありますが・・・・

 赤い彼岸花の撮影が目的ですし、開花前のつぼみの彼岸花が多いので、再度、出直しです。

 10/5になって、やっと、彼岸花が満開に近くなりました。(非常に開花の遅い年でした。)
(絵画調)

 半蔵門側から桜田門側を見た風景です。お昼前なので、逆光気味なのですが・・・

 彼岸花が多く咲いている場所を見つけました。彼岸花が日陰になっているので、明暗比が大き過ぎます。
(絵画調)

 いつも、ここに来る方に聞いたら、例年より花は少ないそうです。なんでも、役所(宮内庁か?)が草刈りをしたとのことでした。(全く刈らないと、草ぼうぼうで、最後は、つる植物が繁茂してしいますので、判断できませんが??)・・・

 午後になると、日陰が増えてくるので、彼岸花に光が当るのを待って、撮影しました。画面の奥が半蔵門です。 

 この写真を、広重の名所江戸百景「第51景 糀町一丁目山王祭ねり込」に対応する「くまドン板」の景(確定・秋景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 一応、補足説明に、皇居周辺の地形図を載せておきます。(黄色が台地、水色が低地で、緑色が中間の高さ)
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(東京皇居周辺)を使用しました。」

 江戸城は、太田道灌(おおたどうかん)により、武蔵野台地の東端に造られた城でした。
 真ん中の江戸城(皇居)を囲む濃い青色が、内堀です。左(西)側にある門が半蔵門、下(南)にある門が桜田門です。その間の濠が桜田濠(江戸時代の弁慶掘)です。
 現在、弁慶濠と呼ばれている濠は、図の左外にあります。(こちらついては、「名所江戸百景039 第85景 紀ノ国坂赤坂溜池遠景 江戸城の外濠(2)」の方を参照願います。)

 最後に、皇居の内堀沿いは、現代の都心では、ほとんど見られなくなった野草の咲く貴重な場所です。
 彼岸花の咲く数が減ったのは、色々な理由があるのでしょう。
 過去には、内堀の斜面を整備して、人が休める殺風景な芝生に植えかえようという計画もあったそうです。
 写真のように都心では珍しい草花が今も残る場所を、無粋な発想で壊して欲しくないと、「くまドン」は思います。

 もう一つは、思うように撮影できなくても、草地には足を入れないで、歩道から撮影しましょう。
 (足で踏んで地面が固めると、土の中に酸素が入り難くなって、植物が育ち難くなり、花の数が減っていきます。)
 花が小さいなら、データサイズを最大にして、撮影した画像データをトリミング(画像の切取り)するのも方法です。
 いつまでも、きれいな景色と花が見れるように、皆さまの協力をお願いします。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 今回の3連休は台風が来て残念でした。被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。
 15日の東京国体のボート競技も、決勝が荒天で中止になり、決勝各チームが同時優勝になったと、新聞には書いてありました。「くまドン」は3連休は仕事と台風で撮影不可能でしたが、15日の夜には、平井駅前にあった祭りの提灯が片付けられていました。16日は子供神輿という情報があったのですが、台風が来ていたので、中止でしょうね・・・(確か今年は、4年に一度の本祭りなので、残念)。

 「くまドン」がブログを初めて載せた日から、今日で半年となります。桜の開花が早過ぎて、最初から、ドタバタ状態で、今日までブログ作成を続けてまいりました。気がついてみれば、名所江戸百景「くまドン版」の確定数も50を超えて、半数近くなっています。色々な人に助けられて、応援していただき、今日までやってこれました。ブログを見ていただいた方へ、「ありがとうございました」と御礼申し上げます。

 引き続き、ここ数回は、同じ日に撮影した桜田門・皇居外苑や日比谷周辺の予定です。

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名所江戸百景091 第5景 両ごく回向院元柳橋 相撲と両国回向院

2013年09月15日 09時30分40秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、大相撲(おおずもう)の秋場所がもうすぐ始まりますので、墨田区(すみだく)の両国(りょうごく)付近の話になります。
 今年、平成25年の大相撲秋場所(両国国技館)の日程は、9/15(日)~9/29(日)です。

 JR総武線の両国駅を出ると、すぐ隣に両国国技館があります。下の写真の右に両国国技館の屋根があります。
 国技館付近の町名は「横網」です。字が似ているのですが、「よこづな」ではなく、「よこあみ」と読みます。

 両国国技館は西向きですのですが、午後遅くなると、写真のように西側のビルの影が伸びてくるので、撮影は午後早くの方が向いています。時々、お相撲さんが、国技館に向かって歩道を歩いていきます。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第5景 両ごく回向院元柳橋」(春景)です。

 この絵は、両国回向院から、隅田川対岸の元柳橋方面の俯瞰(ふかん、上から下を見下ろす)で望んだ風景です。
 名所江戸百景の特徴である近景構図(近くの物の一部分を極端に大きく描いて、遠近感を表現する)が使用されていて、回行院の勧進相撲が開催されていることを示す梵天(ぼんてん)と櫓(やぐら、相撲では、太鼓を打つ場所)が大きく表現されています。
 広重の絵の隅田川対岸の正面に見える橋は、薬研堀(やげんぼり)が隅田川と合流する場所に架かる元柳橋(元から柳橋と言う名前だったのですが、すぐ北にある神田川にも同名の柳橋ができた為、「元」をつけた名前になりました)
 薬研堀は、3代・家光(いえみつ)の正保年間に東日本橋にできた米倉に舟を引き入れる為に造られた堀でした。その後、米倉が焼けてしまい、築地(つきじ)に移転した為、大半が埋め立てられてしまいました。
 広重が「名所江戸百景」の絵を描いた頃は、隅田川近くの10m程を残すだけとなっていました。元柳橋は、そこに架かる橋だったわけです。現在では、全て埋め立てられています。

 迫力を出すために、櫓のすぐ下から撮影したら、梵天が画面から切れてしまいました。

 広重の絵は、春景ですので、相撲は初(春)場所です。遠くに見える富士山が白く、美しい姿を見せています。
 空の色は、夕暮れ時の青から赤へのトーンに見えますが、写真では、逆光になるので、前景は全て黒く陰になり、絵のような表現は不可能でしょう。

 やむえず移動して、櫓の梵天や雲も入れて撮り直しました。
 それにしても、永谷園(お茶づけ)の旗が目を引きます(食欲が湧きます)。

 この写真を、広重の名所江戸百景「第5景 両ごく回向院元柳橋」に対応する「くまドン板」の景(確定・秋景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 両国国技館前の道を南に進めば、両国回向院にぶつかります。両国駅の南側の町名が「両国」です。

【両国回向院】
 浄土宗の寺です。
 4代・家綱(いえつな)の時に発生した明暦の大火(めいれきのたいか)の10万人を超える犠牲者が発生し、その多くが身元不明で、引き取り手がありませんでした。そこで、幕府は両国に「無縁塚」を作り、遺体を弔いました。これを永年に渡り弔う為に念、仏堂(ねんぶつどう)が造られ、有縁・無縁・人・動物に関わらず、生ある全てのものへの仏の慈悲を説くという理念の元に、「諸宗山無縁寺回向院」が建てられました。
 その後も、安政大地震や関東大震災、戦災を含めて、多くの人の供養しています。

 右奥が、鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)の墓のある所です。刑死者の弔いも回向院の役目です。
 歌舞伎・テレビで有名ですが、架空の人物と思ったら、実在の人物でした・・・・・・

 近くには猫塚(ねこづか)があり、江戸っ子の間に広まった「猫の恩返し」という昔話が書いてありました。

 動物も供養してもらえるので、ペットの墓も多いそうです。
(絵画調)



【相撲の歴史】
 相撲自体は、素手の力比べですから、古代からあって、「古事記」や「日本書紀」にも記載があるほどです。
 戦国時代には、織田信長(おだのぶなが)が相撲を奨励(しょうれい)したことは有名です。
 江戸時代初期も、道ばたに小屋を作って行う辻相撲(つじずもう)が行われていましたが、戦国の風潮が消えていいなかった為、幕府が禁止令を出したりしています。
 5代・綱吉(つなよし)の時代(西暦1684年)になって、寺社奉行(じしゃぶぎょう、寺や神社を監督する幕府の組織)の監督下で、勧進相撲が認められました。この時は、江東区深川(ふかがわ)の富岡八幡宮で行われています。

 この話は、「名所江戸百景024 第69景 深川三十三間堂 深川(4)」でしましたので割愛しますが、戻るのが大変と思いますので、一枚だけ再度入れておきます。富岡八幡宮にある横綱力士碑(よこづなりきしひ)です。
(絵画調)

 寺社奉行の管轄ですから、以後、相撲の興行は、寺や神社の境内で行われています。

 10代・家治(いえはる)の天明年間には、両国回行院でも勧進相撲が興行されました。
 11代・家斉(いえなり)の天保年間(西暦1833年)になると、両国回向院での相撲が定期的に行われるようになりました。この頃は、春・秋の2場所でした。
 広重が名所江戸百景を描いた頃は、回向院で相撲が行われていた分けです。
 両国回向院にあった「力塚」です。すでに亡くなった力士や、年寄(としより、親方)の霊を祀っています。

 時代が変わり、明治になると、相撲廃止の動きもありましたが、明治天皇が相撲好きだったことから、一転して存続になり、明治43年に両国国技館が建設されるまで、大相撲は回向院で行われてきました。

 両国国技館ができてからの歴史も色々あって、火災、関東大震災、陸軍による接収、戦災による焼失と困難が続きます。この時は、後楽園球場(入場者数8万人の記録だそうです)や、色々な場所で本場所が行われたそうです。
 昭和24年に中央区浜町(はまちょう)に、仮設の国技館ができましたが、公園だったため、2場所で取り壊し。
 昭和25年から昭和59年までは、蔵前国技館(くらまえこくぎかん)で、相撲の本場所が行われていました。
 昭和60年からは、現在の両国国技館(2代目)で相撲が行われています。

 隅田川沿いの親水テラスには、手すりに相撲の技があります。後ろはJR総武線の陸橋。



 最後に、両国に来たのですから、「ちゃんこ鍋」食べて帰ろうと思いまして、両国駅に向かいました。
 写真の後ろにある店も「ちゃんこ鍋」で有名な店です。空いている時に入った時がありますが、美味しいですよ。

 ところが、大相撲の秋場所中ですから、どこの店も予約客で一杯です。
 「くまドン」は、両国駅南側に店が沢山あるので、ここで探してみる事にしました。
 細い道に入ると、「ちゃんこ鍋」と書いてある紙がぶら下がっていました。「つきじ」という店でした。
 前日に目黒でサンマを食べそこない、築地市場にも行く予定でしたので、興味を感じて入ってみました。
 正確には、「つきじ市場食堂 両国店」という店で、毎朝、築地市場から魚を仕入れているそうです。
 「ちゃんこ鍋」と「サンマの刺身」を注文しましたが、鮮魚専門なだけに、新鮮な魚貝類と野菜を使った「ちゃんこ鍋」でした。美味しいだけあって、食べている途中から、どんどんお客さんが増えてきました。
 普段は新鮮な魚介類の店(すし・ランチ・定食・宴会)ですが、相撲の場所中だけ、「ちゃんこ鍋」もやっているそうです。

 両国周辺には、その他に「江戸東京博物館」を始めとした資料館や、「旧安田庭園」、「横網町公園」などありますが、長くなりますので、旧安田公園(きゅうやすだていえん)の1枚だけとさせていただきます。

 潮入り回遊式の大名庭園です。江戸時代は、松平(本庄)氏(常陸笠間藩→浜松藩→丹後宮津藩)の下屋敷でした。隅田川の水を引き入れ、潮の干満を眺める庭園でしたが、現在はポンプで人工的に干満を再現しています。

 隅田川に架かる両国橋や、対岸の柳橋の話は、下のブログで話しましたので、そちらを参照お願いします。
 「名所江戸百景056 第60景 浅草川大川端宮戸川 柳橋と屋形船」
 「名所江戸百景057 第59景 両国橋大川ばた 両国橋・柳橋の夜景」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 次回は、彼岸花(ひがんばな)の予定です。

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名所江戸百景 2020年オリンピック東京決定の特別ライトアップ

2013年09月14日 09時30分14秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されたIOC(国際オリンピック委員会)総会で、
 2020年オリンピック・パラリンピック競技大会の開催都市が東京に決定いたことは、うれしいことです。

 以下のように特別ライトアップが行われています。(決まる前のライトアップの延長に近いです。一部違いますが・・、東京タワーとスカイツリー以外のライトアップやっていた事自体知りませんでした・・・・・)
 「くまドン」は、祝いに撮影に行きたいのですが、残念ながら、今週の週末は、撮影に行ける日が無いので、
 今年2013年3月にIOCが視察に来た時のライトアップ写真を載せておきます。
 (今回のライトアップとは異なるのもありますので、ご了承ください。)

(1)都庁第一本庁舎 9月8日(日)~20日(金)  点灯時間:18:00~0:00
 4色(青・黄・緑・赤)にライトアップ。
  (※)決定前の9月初めに行っていたライトアップと同じものです。
 (注)下の写真は、2013年3月のオリンピック招致ライトアップ時に撮影した写真です。(同じ?感じです)


(2)東京ゲートブリッジ  9月8日(日)~15日(日) 点灯時間: 日没~深夜0:00
  橋側面を5色(水色・白金色・桔梗・新緑・緋色)のラインによりLED照明。オリンピックの色をイメージ
   (※)決定前の9月初めに行っていたライトアップと同じものです。
 (注)下の写真は、2013年3月のオリンピック招致ライトアップ時に撮影した写真です。(同じ?感じです)


(3)東京スカイツリー 9月8日(日)~16日(月・祝日)
 点灯時間: 18:15~19:00 「2020年東京オリンピックへ!」(決定前の行っていた黄金色のライトアップ)
        19:00~20:00 「招致特別ライティング」
         以降23:00まで1時間毎に交互に点灯
 (注)下の写真は、2013年3月のオリンピック招致ライトアップ時に撮影した写真です。
   (今回のライトアップは、5色(青・黄・紫・緑・赤)を交代に動かしていたのと、少し違うような?下段が白?)


(4)東京タワー 9月8日(日)~14日(土)
   2020東京オリンピック開催決定ダイヤモンドヴェール(日没~22:00)
   4色(青・緑・赤・黄)のダイヤモンドヴェールの点灯、大展望台の南側に2020の窓文字も点灯。
   9/15(日)も、グリーンライトアップ(18:30頃~22:00) :心・血管病予防デー

(5)レインボーブリッジ 9月8日(日)~16日(月・祝日) 点灯時間: 日没~深夜0:00
 主塔をレインボーカラーにライトアップ+ケーブルイルミネーションを白色・桃色の交互配置で点灯。
   (※)レインボーカラー決定前の9月初めに行っていたライトアップと同じものです。
      ケーブルイルミネーションの白・ピンク色の交互配置点灯は初めての実施となります。
 (注)下の写真は、2013年3月のオリンピック招致ライトアップ時に撮影した写真です。
    (今回のレインボーブリッジは、年末のライトアップ(橋桁が虹色)に近いです。下の写真とは異なります。)


 2020年(平成32年)のオリンピック・パラリンピックが東京に決まった事自体は、嬉しいニュースなのですが、喜んでばかりもいられないでしょう。
 ここで、あえて、厳しい話を入れさせていただきます。

 結論を先に言えば、「くまドン」は、
 「都民や日本国民の税金の負担が増えないように、お金のかからないオリンピックに専念して欲しい。
  東京都知事(現在は、猪瀬知事)や、日本の首相(現在は、安倍首相)は、オリンピックの招致に成功させたからといって、固執せず、オリンピックの為と言う理由で、いたずらに予算を使わないで欲しい。」
 これが、都民のため、日本のためと思っています。「勝って、兜の緒(かぶとのお)を締めろ」が必要です。

 そもそも、東京がオリンピックの開催地に立候補したのは、2005年(平成17年)頃に、石原前知事が2016年オリンピック開催地に立候補を表明したのが発端です。
 その当時は、東京都も財政再建の真っ最中で大変な時期でした。このような財政状態で、オリンピックみたいお金のかかる大会に予算を使う必要があるのかと、大問題でした。
 その時に、立候補できるとした理由は、「東京には、前のオリンピックなどで造った施設があり、都の財政に負担を与える事無く、オリンピックを実現できる。」でした。
 都民に負担を負わせない為に、お金をかけないで、オリンピックをするという方針でした。
 「くまドン」がオリンピックの東京招致に賛成だったのも、「お金をかけない=都民に負担がかからない」という理由からです。
 また、東京都には、約4400億円の潤沢な開催準備金があると言っていますが、逆に言えば、赤ん坊からお年寄りまで、すでに、都民一人当たり4万円近い税金が使われている事実にも気がつくべきでしょう。この予算で、他の都の仕事ができるのかを考えれば、これだけでも、十分大きな出費でしょう。この上、浮かれた気分で、「オリンピックが決まったから、もっと予算を使わせてくれ」という甘い考えを許してはならないでしょう。

 2009年のリーマンショックより前の話で、日本は不況を脱却できず、東京都を始め、多くの地方自治体は財政再建を迫られていました。
 これに対して、ヨーロッパはバブル景気の真っ最中で、2020年オリンピック開催地のライバルだったスペインのマドリードには、財政難という考え方すらなかったのです。(マドリードは、2016年オリンピックの開催地に立候補していて、2009年の最終選考で、最後までブラジルのリオデジャネイロと争っていました。)
 リーマンショックによるバブル経済の崩壊は、ヨーロッパを襲い、スペインも財政難に苦しむようになりました。
 しかし、東京都は、リーマンショックがはじける前に、ある程度、財政再建が進み、なんとか、苦しみながらも、リーマンショック後の税収不足を持ちこたえてきました。これを可能にしたのは、外国のバブル景気に浮かれずに財再再建をしようとした人たちが努力した結果でしょう。この時、いい加減な人達が甘い事をやっていたら、ろくな結果にならなかったでしょう。
 オリンピック招致の決め手の一つとなった、現在の東京都の財政状況があるのは、都知事・東京都(議員・職員を含む)・東京都民が、しっかりした財政規律を持っていたからこそ実現できたものです。
 たとえ、猪瀬都知事がオリンピック招致に全力を尽くしたとしても、東京都の数年にわたる努力と、しっかりした財政が基盤になっているのです。
 オリンピック招致が決まったからと言って、財政規律を緩めず、「オリンピックだから・・」という甘い考えの出費を許さない姿勢を貫いていただきたく思います。
 「くまドン」は、テレビのニュースとか見ていると不安です。猪瀬都知事も浮かれていますし、マスコミの報道にも、オリンピック関連予算目当だらけです。猪瀬都知事も努力して、招致の喜びもあるでしょうが、冷静になって、しっかりした東京都の健全な運営と財政規律を守って欲しいと思います。(逆に、これができなければ、東京都知事としての価値ありません。東京都に財政難の迷惑を作る都知事は不要です。オリンピックの東京招致は都知事の仕事のごく一部でしかありません。いたずらに固執しないことです。前回の都知事選で猪瀬知事に投票した人は、「バカ騒ぎ」では無く、堅実な都政の運営を期待した人が多いはずです。都知事は基本に立ち返ってください。)

 テレビや新聞のニュースでは、2020年オリンピック招致の最終プレゼンで安倍首相の演説が決め手になったと、盛んに報道していました。
 しかし、それには、東京都の長年にわたる招致努力と財政健全化努力、都民・国民の理解が、東京決定の基盤にあるのです。その招致努力が、最終プレゼンの段階で、IOC委員の票を獲得するための首相・選手を含めた演説の必要性に結びついたのです。
 そして、IOC委員の説得に首相が必要な時に、首相をやっていたのが、安倍首相(他の人が首相やっていれば、その人がやっていた)だったというだけなのです。たとえ、安倍首相の演説が福島原発問題に対するIOC委員の疑問を解決したプレゼンが良かったとしても、長年のオリンピック招致の流れの中の一つに過ぎないのです。
 (一応、猪野都知事の弁護をしておきますけど、東京都知事は、福島原発問題に対しては、都知事の管轄外で、無責任な発言はできませんからね。)
 2020年オリンピックの東京招致が成功しても、安倍首相が消費税増税をするのは間違っているでしょう。そもそも、「財政再建の為に消費税増税をする」という考え自体、間違っているでしょう。
 消費税増税が当り前だと考えている事自体、消費税増税する為の世論誘導の結果にしか見えません。
 2013年8月に自民党の麻生財務大臣(元首相)が、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」と言って問題になっていましたが、これを消費税増税でやっている(マスコミも加担している)ようなものなのですから。国民の皆さまも「消費税増税は間違っている」ということに気がついて欲しいです。
 国民が日本政府がやらせるべきは、なんでもかんでも理由付けて税金を使おうとする行為を認めず、消費税増税に対して「No(否定)」をすることだと思います。
 (一応、安倍首相に対しても、応援しておきます。中国や韓国のようなワガママで身勝手な国に対しては、相手の勝手な言い分を認めず、毅然とした態度と冷静な対応で日本を助けてください。また、いたずらな予算の増加を防ぐには、安倍首相だけではどうする事もできず、国民一人一人が、いかなる理由づけによる予算増大化を認めない態度が必要です。予算獲得の族議員化し始めている国会議員や、官僚の行動を否定したり、マスコミ自体が予算増額を肯定してしまっているので、国民からマスコミへの圧力すら必要なのです。)

 特に、オリンピック名目で行うインフラ整備には目を光らせましょう。教育目的や選手育成目的などで話をすりかえて、インフラ整備を計画するごまかしもありますので、断固阻止しましょう。
 オリンピックが東京に決まった事が、将来の日本にとって仇にならないように、甘い考えと、いたずらな財政出費を排除して、将来の日本の人達が幸せになれる堅実な方法を選択しましょう。

 IOC(国際オリンピック委員会)が、お金のかからないオリンピックを目的としているのは、好感が持てます。
 ぜひとも、日本のオリンピックが、お金のかかららないオリンピックとして、世界の見本になる様に、どんどんプレッシャー(圧力)をかけてください。(2020年オリンピックが日本の東京で行われる事は当然としてですが)
 国民に税金負担(増税)を増やし続け、予算を減らさず、何かの理由をつけて出費を増やし続ける現状を認めないことが必要です。日本政府(政治家と官僚の両方の要因がありますが)のいたずらな予算の使用を認めず、排除して、お金のかからないオリンピックの見本を日本が世界に示しましょう。お金のかからないオリンピックを実現することが、日本の為でもあり、IOCの目的にもかない、敗れた後に東京決定を祝福してくれたトルコ首相を含めた世界へのお礼になります。

 そのためには、「オリンピックだから・・・」とか、「景気の為・・・」というような理由を楯(たて)にして、予算を増やし続ける行為自体を否定しすることが必要です。逆に、「オリンピック」や、「震災復興」、「景気」という言葉を利用して、予算増額の邪魔する者を悪人にしたてようとする行為自体を、予算獲得目的の身勝手で卑怯・卑劣(ひきょう・ひれつ)な行為として攻撃する必要があるでしょう。
 実際、「震災復興」といつ名目で、デタラメな予算使用(これは、民主党政権と自民党政権両方にまたがりますが)した上に、それが発覚して、今度は「景気対策」で別の予算枠を作り、予算(国民の税負担)を増やそうとし、今度は、オリンピック名目に飛びついていますからね。
 都民や日本国民の一人ひとりが、冷静な目で、ごまかしや、すり替え、いい加減な予算使用を許さず、やらせない、排除するという考え方と、厳しい態度を持つことが必要です。(当り前の事なのですが・・・)

 「くまドン」は、あまり考えをまとめて文章することが苦手で、思うように表現できず、ブログを作るのが遅くなってしまいました。また、多くの人と同様に、政治の話をするのは、好きではありません。
 こういう問題を書くと、うんざりして、嫌われるのですが、今の状況を見て、日本が正常な方向に進んで欲しいと願い書きました。
 次回からは元の「くまドン」の雰囲気に戻りますが、今回の記事が原因で嫌がられるも覚悟して書きました。

 ブログの後半を考えている間に、安倍首相が消費税の増税を宣言してしまいましたが、
 最後に、お金(税金の負担)のかからないオリンピックを実現しましょう。そして、消費税増税に反対します!


名所江戸百景090 平井諏訪神社の大祭(9/14~9/16)

2013年09月13日 12時25分52秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、江戸川区(えどがわく)平井(ひらい)の諏訪神社(すわじんじゃ)の大祭(9/14~9/16)です。
 54年ぶりに東京で、スポーツ祭東京2013(東京国体)が開かれています。ボート競技が江戸川区で開催中なので、合わせて簡単に紹介します。
(明暗比が大きく、絵画調を使用)


 昨年、撮影に出かける為に、JR総武線・平井駅に行った所、平井駅北口の広場に神輿(みこし)がありました。

 撮影から戻ってきた時には、神輿がありませんので、留守番の方に尋ねた所、平井諏訪神社まで渡御中とのことでした。
 「くまドン」が行ってみると、諏訪神社の近くまで神輿が来ていました。
 下の写真は、諏訪神社の入り口に来た時の写真です。

【平井の諏訪神社】
 8代・吉宗(よしむね)の享保年間に、隣の平井聖天を中興した恵祐(えゆう)というお坊さんが、出身地の信州(現在の長野県)にある諏訪大社から、神霊を分霊したのが始まりと言われています。
 社殿は昭和44年完成ですが、これとは別に、江戸時代の天保年間に建てられた旧社殿も北隅にあります。

 すぐ隣には、平井聖天(ひらいしょうてん)があります。下の写真の神輿の後ろにあるのが平井聖天の本堂です。
 関東大震災(かんとうだいしんさい)後に建てられた本堂です。京都宇治平等院(きょうとうじびょうどういん)風の三屋根造り(みつやねつくり)だそうです。

【平井聖天、燈明寺(とうみょうじ)】
 正式名称は燈明寺で、真言宗のお寺です。本尊は不動明王ですが、境内に聖天堂があり、地元では、平井聖天とと呼ばれることが多いです。この付近では、一番有名なお寺です。
 お寺の創建は平安時代と伝わりますが、詳細は不明です。江戸時代中期には荒廃していたそうです。
 8代・吉宗(よしむね)の享保年間に、京都から赴任した恵祐(えゆう)さんが、お寺を再興したそうです。
 この時に、聖天(歓喜天・かんぎてん)を勧請して、聖天堂を建てた為、以後聖天の寺として信仰を集めました。
 下の写真の門の奥に見えるのが、聖天堂です。

 現在は、妻沼聖天(めぬましょうてん)、浅草待乳山聖天(あさくさまつちやましょうてん)と並ぶ、関東三大聖天の一つとして知られています。
 この辺は、葛西筋(かさいすじ)と呼ばれる将軍の鷹狩り(たかがり)の場所で、鷹狩りの御膳所(ごぜんしょ、将軍の食事する休憩所)にもなっています。
 ちなみに、御膳所の場所は、毎回、別の場所が割り当てられていたらしく、この付近の寺は、将軍の御膳所になった寺がいくつかあります。

 今年は、「くまドン」は、週末も仕事で忙しいので、撮影に行くのは無理そうです・・・・・・・(残念)


 ボート競技の写真は、2013/9/11のブログ「スポーツ祭東京2013 ボート競技(9/11撮影)」で乗せましたので、割愛させていただきます。一応、ボート競技の日程も、再度載せておきます。

(1)ボート   9/11(水)~9/15(日) 会期前開催ですので、注意!!!
 場所: 荒川特設ボートコース(江戸川区平井運動公園付近) 最寄駅は、JR総武線の平井駅
      ボートコースは全長1kmもあります。
 日程:9/9~9/11 公式配艇練習日
     9/11(水) 7:30~14:30 予選 33レース
     9/12(木) 7:30~13:50 予選、敗者復活 31レース     
     9/13(金) 7:30~14:20 準決勝、敗者復活 40レース     
     9/14(土) 7:30~11:40 準決勝 24レース     
     9/15(日) 7:30~11:40 決勝・5~8位決定 24レース、13:00~表彰式(平井小学校)
 江戸川区や(財)東京都ボート協会(9/5修正版)の日程を見て書きましたが、
 予定が変更になる場合もありますので、正確には(財)東京都ボート協会のホームページをご覧ください。


名所江戸百景089 第82景 月の岬 台場の夜景 レインボーブリッジ

2013年09月12日 12時25分17秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、台場(だいば)の夜景です。ここは、レインボーブリッジと東京タワーの撮影スポットです。

 台場に撞着したのは、夜の7時頃でしたが、この時間は、この場所の屋形船(やかたぶね)は1隻だけでした。

 1隻だけですと、構図も限られてきますので、撮影位置を変えたり、フレーミング(撮影段階で画面の一部を切り取り作画すること)したりで、時間が過ぎて行きました。


 台場からレインボーブリッジを見ると北北西の方向になるので、月と合わせて撮影することは、できません。
 台場から西側にある品川埠頭(しながわふとう)を望んだ景色ですが、満月ではありませんが、一枚載せておきます。

 月見は、前回の向島百花園で、百景を作りましたので、今回は、これ一枚です。

 その他にも、海上保安庁の船も、停泊していました。
(絵画調)


 この日は金曜日の夜でしたので、夜8時近くになってくると、だんだん、屋形船が1隻、また1隻と集まってきます。
 カメラのフィルター(画像変換)機能で、クロススクリーンがありましたので、使用してみました。

 屋形船が増えてきましたので、海岸から移動して、後方の展望台からの撮影に切り替えます。
 展望台に上がると、右の方には、屋形船が多数固まっていました。何故・・・・?


 レインボーブリッジの正面には、3隻程度でしたが、それでも、時間が経つと、だんだん数が増えてきました。


 上の写真ですと、画面が広すぎて、漫然としていますので、フレーミングしてみました。

 誰でも撮影している平凡な写真かもしれませんが、これが、台場らしい風景ですので、
 この写真を、広重の名所江戸百景「第82景 月の岬」に対応する「くまドン板」の景(確定・秋景)とさせていただきます。(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 参考に絵画調も載せておきます。


 お台場の代表的な観光ポイントである「自由の女神像」です。
(絵画調)


 2020年のオリンピックが東京に決まった為、レインボーブリッジや東京タワーでも特別ライトアップを行っています。今回のライトアップとは異なりますが、今年2013年3月にIOCの視察があった時の特別ライトアップの時の写真を載せておきます。

 この時のライトアップは、青・赤・黄・緑・紫の5色を交代で点灯させるものでした。橋桁の片側だけライトアップの為、奥の橋桁が真っ暗でした。
 今回のライトアップは、年末に行っている橋桁を虹色に点灯させるタイプに近いです。こちらは、両面ライトアップです。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第82景 月の岬」(夏景)です。

 名所江戸百景の中で、月見の景です。そして、絵に場所を特定させる情報が全くありません。「月の岬」と呼ばれた場所が港区三田(みた)付近にあったらしく、一説には、品川区の北品川付近にあった「八ツ山」(江戸時代に埋め立てに使われて、山がなくなっています。)だとの指摘もあり、絵が描かれた場所の特定が難しい絵です。

 下の地図は、現代の品川周辺の地形図です。
 一度、「名所江戸百景070 第83景 品川すさき ・・・」で載せた地図を再利用させていただきます。
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(東京東部地形図)を使用しました。」

 図の右上にあるのが第3台場と第6台場、海上の黒線がレインボーブリッジです。
 手書きですので、大雑把ですが、左下の赤丸の所が「品川すさき」です。
 広重の「品川すさき」の絵は、西の高台(黄緑色の地形部分)から望む視点になっています。
 オレンジ色の線が、以前、目黒川が流れていた部分で、絵の「品川すさき」に流れ込んでいました。
 江戸時代末期には、図の中ほどにある天王洲(てんのうす)や品川埠頭(しながわふとう)、そして、東京港にも台場が築かれていました。

 一応、直近の情報を入れておきます。
【東京タワーのライトアップ情報】
 通常の日は、日没~23:00まで、オレンジ色のランドマークライトが点灯されています。
 その他に休前日や特別な日には、ダイヤモンドヴェールと呼ばれる特殊なライトアップが点灯します。
 平成25年9/8~9/30の予定です。(予定が変更になる場合もありますご注意ください)
  9/8(日)~9/14(土) 2020東京オリンピック開催決定ダイヤモンドヴェール(日没~22:00)
      4色(青・緑・赤・黄)のダイヤモンドヴェールの点灯、大展望台の南側に2020の窓文字も点灯。
  9/15(日)は、グリーンライトアップ(18:30頃~22:00) :心・血管病予防デー
  9/19(木)は、下は青色、上は真っ暗のダイヤモンドヴェール(20:00~22:00) :お月見用です。
  9/20以降の金曜日と土曜日は、青色のダイヤモンドヴェール(20:00~22:00)

【東京タワーのライトアップ情報】
 9月8日(日)~16日(月・祝日) 点灯時間: 日没~深夜0:00
 主塔をレインボーカラーにライトアップ+ケーブルイルミネーションを白色・桃色の交互配置で点灯。
   (※)レインボーカラー決定前の9月初めに行っていたライトアップと同じものです。
      ケーブルイルミネーションの白・ピンク色の交互配置点灯は初めての実施となります。

 今回は、長くなりましたが、これで終わりとさせていただきます。

 次回は、相撲の秋場所が近付いてきましたので、両国の予定ですが、中間に何か入れるかもしれません。

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