くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景036 第102景 蓑輪金杉三河しま 都電とバラ(1) 

2013年05月20日 19時00分45秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、都電荒川線のバラの撮影です。

【開花情報】
 都電沿線の例年の開花時期は以下の通りです。平成25年は、5月20日現在、バラは見頃を迎えています。
  春 5月中旬から6月中旬
  秋 10月中旬から11月上旬


車両に「7031」と書いてあるので、現行の都電では一番古いタイプの7000形です。

【5月のイベント情報】
 都電車内にバラの装飾を施した特別電車「都電バラ号」を運行しています。
  車両 : 都電荒川線9001号(赤いレトロ車両)
  運行期間 : 平成25年5月3日(金)から平成25年6月2日(日)
 沿線では、バラのイベント「大塚バラまつり」(5/12~5/26)も開催されます。
(絵画調)


【撮影のお得情報】
(1)都電一日乗車券 / 都電IC一日乗車券 :大人400円/小児200円
  都電車内で販売しています。売り切れになる場合もあるそうです。
  都電荒川線を1日に限り何回でも乗車可能です。
  「都電一日乗車券」を提示すると、以下の沿線の施設で割引などの特典があります。。
   (注意)都電IC一日乗車券では、対応しておりません。
    あらかわ遊園(入場無料)
    飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢史料館(以上3館、入場料割引)

(2)都営まるごときっぷ(1日乗車券) :大人700円/小児350円
  都営の駅の自動券売機や、都電車内で販売しています。
  都営地下鉄、都バス、都電荒川線、日暮里・舎人ライナーを1日に限り何回でも乗車可能。
  深夜バスは差額(大人200円、小児100円)が必要です。

 前回の続きで、「くまドン」が都電の王子駅で電車を待っていますと、タイミング良く「バラ号」がきました。下の写真はバラ号の車内です。


 そのまま、最後の「三ノ輪橋」(みのわばし)の停留場(ていりゅうじょう)まで行くのかと思いましたが、三つ先の停留場「荒川車庫前」(あらかわしゃこまえ)で、下の写真の都電の車庫に入ってしまいました。
 「くまドン」は一日券でしたので、問題はありませんでした。

 一番、左奥の下が赤茶色の電車が「バラ号」(9001号)です。真ん中は8500形、右は8800形です。

 「くまドン」は都電と言っても、先頭の写真にあった緑の線が入った古い車両を思い浮かべますので、種類の多さには驚きました・・・・・・・
 「くまドン」は電車の事はあまり知らないので、調べてみた所、現在の都電の車両は現在4つの型に分かれていることが分かりました。通常は車両の前に番号がついています。

(1)7000形電番:
 現行車両では、一番古いタイプの車両ですが、更新されているので、今でも20台程あります。
(2)8500形電番:
 7000型・7500型の老朽化により、1990年(平成3年)より増備されましたが、財政面の関係で余剰車両を増やさないように5両で打ち切られました。
(3)9000形電番:
 昭和初期の東京市電をイメージしたレトロ車両として、2007年(平成19年)に運行開始した車両(9001号、1台のみ)。もう一台色の異なるの9002号があります。
(4)8800形電番: 
 2009年(平成21年)に運行開始した車両です。色はローズレッド(バラのイメージ色、5台)・バイオレット(2台)・オレンジ(2台)・イエロー(1台)の5色10両が存在します。従来の車両に対して2割の省エネで走っているそうです。


 荒川車庫は、「都電おもいで広場」があり、都電の旧型車両2台が展示されています。車内展示もあり。
 入場無料、開場時間は、土・日・祝日の10:00~16:00(振替休日含む) 年末年年始は休み。


 「荒川車庫前」と、次の「荒川遊園地前」の付近は、沿線沿いにバラが多く植えられていて、写真は撮り易いです。


【8800型の都市伝説】
 東京の路面電車として残った、都電荒川線と私鉄世田谷線のいずれも、黄色の車両は1台ずつしかない為、見つけると幸せになれるとの都市伝説ができてしまい、2011年11には、キャンペーンが開催され、「幸せのクイズラリー」が行われる事態となりました。
 「くまドン」が見たのは、ローズレッドとオレンジだけだったので、残念ながら、写真でイエローをお見せできません。

(絵画調)


【都電荒川線】
 明治36年に、都電(正式名称は東京都電車)になる前は、東京馬車鉄道(とうきょうばしゃてつどう)として馬車を軌道上で走らせていました。当初は日本初の私鉄だった。明治44年に東京市営となりました。
 都電は、昭和30年頃までに、東京23区内に多くの路線が道路を走っていましたが、道路を走る自動車の数が増えてきて、交通の障害になることと、赤字経営の為、昭和30年代~40年代に、そのほとんどが廃線となりました。

 昭和47年に、現在の荒川線のみが1路線の残って存続されることになりました。(正確には2路線を1路線にまとめて残した。)
 存続理由は以下の通りです。
 (1)路線の大半が専用軌道(せんようきどう)であったこと。交通の障害にあまりならない。路線の管理も楽。
 (2)利用客が多く、黒字が見込めた上に、利用している沿線住民が存続を強く求めた。
 (3)道路の併用区間である明治通り(めいじどおり)の渋滞がひどく、定時運行可能な都電が有利だった。
というわけで、奇跡的に残った都電荒川線です。

(絵画調)

 発車前に、ベルを2回鳴らしていたことから「チンチン電車」の愛称がついていました。現在でも、自動式になりましたが、同様にベルの音2回分を疑似的に出して走っています。

 この都電荒川線のバラの風景は、地域住民の努力によって造られたという点が、「くまドン」の興味を引きました。

 この写真を、広重の名所江戸百景「第102景 蓑輪金杉三河しま」に対応する「くまドン版」の景(確定)とさせていただきます。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第102景 蓑輪金杉三河しま」ですが、説明は次回とさせていただきます。



 長くなりましたので、今回はこれで終わりとさせていただきます。
 次回は、今回の話の続きです。


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名所江戸百景035 第49景 王子不動之滝 名主の滝

2013年05月19日 09時05分23秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、北区(きたく)にある王子(おうじ)の滝の話です。


 下の地図は、前回もお見せしました東京東部の地形図です。
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」
 (この画像の引用、二次著作物を作成する場合は、この文章を明記するそうです。)
 前回のプログに戻るのは大変なので、再度載せました。説明も思い出す為、簡単にします。
 標高(高さ)で色分けされています。
 左(西)の黄色の所が武蔵野台地、右(東)の水色の所が関東平野の低地部です。
 両者の境界部にある黒い部分が武蔵野台地の崖線(がいせん)です。
 川は青い線で示され、左上を横方向(東西)に流れている川が石神井川(しゃくじいがわ)です。石神井川と崖線が交差している付近が、「王子」がある所です。

 右下にある大きな池が上野(うえの)の不忍池(しのばずのいけ)です。

【石神井川(しゃくじいがわ)】
 この崖線とは別に、台地の上にも雨は降りますので、当然、武蔵野台地から関東低地部へ流れる川ができます。
 現在の北区の王子付近を流れる石神井川もそのような川でした。

 前回、この地形図を見て気付かれた方もいると思いますが、この「王子」手前から下(南)にある不忍池まで、黄緑色の広い谷が続いていて、「王子」の所にある台地が幅が狭くなって切れているのが分かるでしょう。
 このことから、大昔の石神井川は不忍池の方に流れていたと考えられています。
 この昔の流路は、江戸時代は谷田川(藍染川)と呼ばれ、小さな水源を集め、根津神社の近くを通り、不忍池に流れ込んでいました。現在は、暗渠(あんきょ、地中に埋められた河川や水路)となっています。

 ただし、いつの時代に王子の方へ流れを変えたのかを示す歴史的資料がなく、自然の川の力で流れを変えたのか?人為的に流れを変えたのか?は謎(なぞ)となっています。
 この為か、話題になり易く、2008年にはテレビの「タモリ倶楽部」(タモリくらぶ)で取り上げられたこともあったそうです。どちらにしても、推測にしかなりませんが、色々考えてみることは、頭の体操には良いことかもしれません。

 広重のいた幕末の頃には、石神井川の王子付近は、東京(江戸)の川としては珍しく、深い谷になっていて、江戸時代は音無渓谷(おとなしけいこく)と呼ばれる名所になっていました。
 谷が深いということは、支流にあたる川は、滝となり石神井川に流れ落ちます。この為、王子七滝と呼ばれる有名な滝の名所でもありました。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第49景 王子不動之滝」です。

 この絵の滝は、王子を流れる現在の石神井川にあった不動の滝(ふどうのたき)を描いたものです。

 この滝は、直瀑(ちょくばく)と呼ばれ、滝の落ち口から滝壷(たきつぼ)まで一気に落下するタイプです。古来から日本人に好まれたタイプの滝で、華厳の滝(けごんのたき)を始めとして、名瀑と呼ばれる滝が多くあります。
 滝の上に注連縄(しめなわ)があります。古来から滝は神聖な場所として取り扱われます。
 修験道(しゅげんどう)を思い出しますと、白衣装束で滝で水を浴びて、修行を行うというイメージを思い出される方もいるかと思います。
 滝行でも滝壺で水につかる行もありますし、夏の暑い時は、水浴びをする人もいたことでしょう。
 茶を運んでいる人も描かれています。手前の椅子に座っている人は、滝から出て茶屋で休憩している所でしょうか?女性もいることを考えると家族旅行でしょうか?


 【不動の滝、正受院(しょうじゅいん)】
 王子には、王子七滝と呼ばれる有名な滝があり、不動の滝はその一つです。
 この不動滝は、王子駅の西側に進み、石神井川沿いの南側にある正受院本堂の裏の石神井川の岸にあったとのことです。現在は、石神井川はコンクリート護岸に覆われ、昔の面影はありません。

 下の写真(絵画調)は、不動の滝のあった正受院(しょうじゅいん)と呼ばれるお寺の鐘楼(しょうろう)門です。


 正受院の開祖になる僧侶が、開いた年に、石神井川から不動の霊像をすくい上げ、 滝に安置したことから「不動の滝」と言う名前になったそうです。

 正受院は、赤ん坊の納骨や供養をしていることから、「赤ちゃん寺」とも呼ばれています。


 北海島探検をし、択捉(えとろふ)島の開発に貢献した近藤守重(こんどうもりしげ)と言う人の石造があり、甲冑(かっちゅう)を着ています。
 なんでも、択捉島に上陸する時に、甲冑を着て上陸したとういう話から、この格好になったらしいです。


 さて、王子の滝はすでに無く、コンクリート護岸しか撮影できません。百景を作る為に、替わりの場所に移動しましょう。

 王子七滝の一つに「名主(なぬし)の滝」と呼ばれる滝がありました。
 前回もお見せしました下の写真にある森の右奥一帯が、名主の滝公園です。前回説明しました王子稲荷は、森の左手前です。


【名主の滝公園】
 入場は無料。 開園時間は9:00~17:00(夏期は9:00~18:00)


 ちょうど、広重が「名所江戸百景」を描いていた江戸時代の安政年間に、王子村の名主(村の代表者、西日本で庄屋(しょうや))である畑野孫八が屋敷内に滝を造り、避暑のために一般に開放した為、「名主の滝」と呼ばれています。
 明治中ごろに、この土地は貿易商人の垣内徳三郎の所有になり、栃木県の塩原の風景を真似て、庭石を置き、渓流を造り、これも一般に開放したそうです。
(絵画調)


 昭和13年(1938年)に、株式会社が経営が移りましたが、戦災で焼失。
 昭和35年(1960年)に、東京都が買取り、公園として開園しました。(現在は北区が管理)

 回遊式の庭園で、男滝(おだき)、女滝(めだき)、独鈷の滝(どっこのたき)、湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝が復元されています。
 都心では、地面がアスファルトやコンクリートに覆われている為、地下水位が低下しており、現在では、滝の水は地下水をポンプで汲み上げて水を流しています。
 ただし、地下水を使用して、消毒した水を使用していない為、ヘイケボタルが自生できる場所として有名です。夏にはホタルを放って観賞会もあります。
 (ホタルは環境の変化に弱く、農業用水が流れ込んだだけで生息できなくなります。)

 東日本大震災の影響により、電力不足となり、節電の為、水を流せなくなり、一時水の供給が完全にストップしたそうです。

 「くまドン」が行った時は、設備の故障(余震で地下の水路破損など)・電力の節約(震災の電力不足)・税金の節約の理由により、男滝を除き、滝に水がありませんでした。

 2013年2月時点の情報では、「独鈷の滝」と「湧玉の滝」は、稼働停止したままです。

 さらに、電力節約の為、男滝も一定時間間隔で通水(つうすい)でした。
 こうなりますと、自然の滝では無く、人工滝なのですが、自然の少ない都心では、残された緑地は貴重でして、贅沢(ぜいたく)は言えません。ありがたく、撮影させていただくことにしました。

 「名主の滝公園」の男滝に到着した時は、滝の通水が終わる直前でした。
 「くまドン」が着いた時は、先着の写真グループの方々がいて、10分間隔ぐらいで、また水が流れるとの話でしたのので、三脚を構えて待ちました。


 下の写真は、春先に撮った写真です。日が当っていたので、この時のシャッター速度(スピード)は、1/125秒(以後は秒を省力します)です。
 通常、1/30~1/60のシャッター速度は、水の表現が難しいです。この場合も、ISO感度を100で撮影すると、1/30となっていしまい、ISO感度を400に上げて、シャッター速度を1/125にしました。それでも、水の表現が中途半端になってしまい、再度挑戦となりました。


 滝や渓流の場合、シャッター速度が遅い(長い)ほど、水の流れは線は伸びていき、流麗さを増してきます。良く雑誌や広告で見かけるプロの撮影した滝や渓流の写真はスローシャッター(シャッター速度が長い)を使用したものが多いです。

 スローシャッターになる為、手持ちでは、手ぶれが発生してしまいます。今回は三脚でカメラを固定して撮影となります。スローシャッターを使用しますので、ISO感度は100に固定、ストロボは強制OFFです。

 名主の滝の斜面は東向きになっていて、お昼頃の為、滝はすでに日陰となり、暗くなっていた為、シャッター速度は1/15に遅く(長く)なっていました。これでも、「くまドン」にとっては流れの線が短く感じます。


 さらに、光量を減らして、スローシャッターにするND(減光)フィルターをレンズの前に置いて、シャッター速度を1/6まで遅くしました。(コンパクトカメラの為、フィルターを装着する機能がありませんので、フィルターは手持ちです。)


 夕方近くなれば暗くなってきますので、フィルター無しでもスローシャッターになります。ただし、手ぶれ防止のため、カメラを固定する三脚か、または、三脚の代替品は必要です。

 絵画調した写真も、参考に載せます。
 下の写真のシャッター速度は1/15です。絵画調になると、大分雰囲気が変わります。

 下の写真のシャッター速度は1/6の方の絵画調です。


 人により、シャッター速度の違いで受けるイメージのバラつきは大きいので、特に何も言わずに進めていきます。

 (絵画調)シャッター速度 1/25

 (絵画調)シャッター速度 1/4


 シャッター速度 1/13

 このプログの先頭にある写真は、この写真の絵画調です。
 名所江戸百景の選択となると、明るめで、周辺の環境が写っていた方が良いので、
 この写真を、広重の名所江戸百景「第49景 王子不動之滝」に対応する「くまドン版」の景(確定)とさせていただきます。
 (このプログの第一目標は、名所江戸百景の現代版「くまドン版」を作ることです。)

 当日は、日陰になっていたので、高速シャッターを使用できませんでしたので、中央区(ちゅうおうく)の築地(つきじ)にある公園で撮影した噴水の写真を載せることにしました。

 連写5枚の内、2枚だけ載せます。(必要な所のみ切り取ったので、大きさがばらついています。)シャッター速度は1/1000です。


 高速シャッターは、水の一瞬の姿を撮影するので、連写(れんしゃ)モードがあれば便利です。

【現代の滝撮影】
 2000年前後に風景写真では、滝ブームがありまして、その頃に写真家の先生や、その影響に触発されたアマチュア写真家の努力・発想により、色々な表現方法が造りだされて、今も進歩中です。

 現在の滝撮影では、直瀑は滝の形が単純の為、ワンパターンになり易い為、
   段瀑(だんばく、階段状の滝)
   分岐瀑(ぶんきばく、途中で分岐する滝)
   渓流瀑(傾斜した斜面を流れる滑滝)
 の方が人気があります。


 長くなりましたが、今回はこれで終わりとさせていただきます。

 王子付近は、他にも飛鳥山(あすかやま)や王子神社、王子稲荷などがあり、江戸時代は、かなりの名所でした。広重も「名所江戸百景」の中で6景も描いています。残りは、別の時期にさせていただきます。

 次回は、王子を通る都電荒川線の話になります。


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名所江戸百景034 第18景 王子稲荷の社 北とぴあ

2013年05月17日 22時40分19秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、北区(きたく)にある王子(おうじ)の話です。

 東京のJR線には山手線(やまのてせん)と呼ばれる都心を一周する路線があります。その山手線の東半分を並行に走るJR京浜東北線があります。
 下の写真は、山手線の日暮里駅(にっぽりえき)の近くで撮影しています。
 この付近は、新幹線も並行して、走っています。左の緑色の電車が山手線です。

 上野駅が近いので、新幹線は比較的速度が落ちていますが、「くまドン」は、鉄道撮影の経験は少なく、タイミングを合わせることが難しい為、連写(れんしゃ)機能を使用しています。

 下の青色の電車は「京浜東北線」です。

 上野は東京の北の玄関口ですから、東北・新潟・長野・北関東にへ向かう線路が並行して多数走っています。
 昼間の時間帯ですので、電車の本数が少なく、別の撮影が目的でしたので、撮影時間もありませんでしたので、、電車1本しか入れることができませんでした。
 線路の左(西)側に沿って高台が続いており、崖線(がいせん)と呼ばれる地形があります。

 現在のJR京浜東北線の上野駅(うえのえき)~日暮里駅~田端駅(たばたえき)~王子駅と続く所は、すぐ横にこの崖が続いています。
 下の写真は、東京都北区の王子にある複合文化施設「北とぴあ」(ほくとぴあ)の南側展望です。
 王子駅のすぐ北側にある建物で、最上階の17階は展望ロビーとなっています。

 手前の新幹線が走っている所のすぐ右が、JR王子駅です。
 南向きですので、線路のすぐ右(西)に、飛鳥山(あすかやま)公園の高台(森のある所)があります。その後方にも、線路沿いに高台が続いています。 
 5月中頃ですので、大気の透明度は低く、なんとか、左奥にスカイツリーが見えています。

【武蔵野台地(むさしのだいち)の崖線(がいせん)】
下の地図は国土地理院が発行している東京東部の地形図の一部です。標高(高さ)で色分けされています。
 (この地形図の個人的使用は、可能みたいなので使用します。商用は不可とのこと)
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」
 (画像の引用、二次著作物を作成する場合は、この文章を明記するそうです。)
 左(西)の黄色の所が武蔵野台地、右(東)の水色の所が関東平野の低地部です。
 両者の境界部にある黒い部分が武蔵野台地東端の崖線です。JR京浜東北線が並行して走っています。
 そして京浜東北線の東側には、利根川(とねがわ)と荒川(あらかわ)によって、上流から運ばれた土砂の堆積によって造られた東京下町の関東低地部が広がっています。
 そして、武蔵野台地と関東低地部の境付近は、雨により地形が削られ、時には境界部に川が流れ、崖線(崖が続いている所)と呼ばれる地形を作り出します。

 右下にある大きな池が上野(うえの)の不忍池(しのばずのいけ)です。
 地図の中段の境界部から左(西)に線が延びていますが、これがJR山手線にあたります。この分岐点付近がJR田端駅のある所です。
 その右下に、逆に右(東)にJR常磐線(じょうばんせん)が分岐している付近が日暮里駅のある付近です。
 川は青い線で示され、右上(北東)の太い川は荒川放水路(江戸時代はありません)。次に太い蛇行している川は墨田川(すみだがわ、江戸時代の荒川です)です。
 そして、左上を横方向(東西)に流れている川が石神井川(しゃくじいがわ)です。石神井川と崖線が交差している付近が、今回の話となる「王子」がある所です。

 下の写真は、北とぴあ(王子)から東(右)方向に見て、地形図右上の荒川放水路と隅田川が近付いた所をズームした写真です。

 右が隅田川です。分かり難いかもしれませんが、手前の緑の橋が小台橋(おだいはし)、その奥が尾久橋(おぐばし)、一番奥の川が右にカーブする所の青い橋が尾竹橋(おたけばし)となります。
 左に並んで流れる川が荒川放水路です。こちらも手前から扇大橋(おおぎおおはし)、西新井橋(にしあらいばし)、住新橋(せんじゅしんばし)と続いています。後方の橋は、奥にあり過ぎて、この写真では判別できないでしょう。

 王子は武蔵野台地の東端にあり、東と北は関東の低地部で、現在のように高い建物は無く、見晴らしは良かったようです。
 下の絵は、広重の名所江戸百景「第18景 王子稲荷の社」です。

 王子稲荷神社(おうじいなりじんじゃ)も、崖線の上にありました。
 王子稲荷神社の高台からの見晴らしを描いています。春景であるにもかかわらず、色彩は地味で落ち着いた雰囲気を漂わせています。

 構図は、まず、近景として鮮やかな赤色の王子稲荷の社の一部を右下に置いて、まず視線を神社に誘導します。
 続いて、境内を参拝する人と林立する木を中景に配置することにより、神社の雰囲気を表現しています。
 そして、木の間越しに、神社の鳥居と人家、さらにその先に広がる関東平野と筑波山(つくばさん)を描く事により、遠近感を表現するともに、見る人の視線を右下の王子稲荷から左上の空に誘導しています。
 同時に、木の上部や、神社の一部をカットすることは、広重の江戸百景の特徴であり、絵の外に広がる空間を想像させることにより、画面より大きな空間を表現することに成功しています。

 江戸時代は高い建築物が無く、武蔵野台地の上から見晴らしの良かった王子神社ですが、現代では望むべくもありません。このプログの第一目標は、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることが目的ですので、視点を移して、「北とぴあ」からの展望で、「第18景 王子稲荷の社」に対応する景を作りたいと思います。今回は、透明度が低いので、別の季節にさせていただきます。


 下の写真は、北とぴあ(王子)から北東方向を眺めた写真です。筑波山はこの写真より左側にあり、秋から冬にかけては見える日があるのですが、夏場の時期に見えることは、あまりありません。


 写真の左ある川は隅田川です。架かっている橋は豊島橋(としまはし)です。上の地形図の隅田川の上流(一番上の直線部分)の所に当ります。
 写真からは分かりませんが、隅田川の手前は右に大きく蛇行しており、隅田川の奥は左に大きく蛇行しています。ここには、江戸時代には「天狗の鼻」と呼ばれ、渡し船がありました。

 右側から真ん中奥に向かって進む道路が首都高速中央環状線(旧王子線)です。
 右奥に見える横方向に一直線に伸びている道路も、荒川放水路沿いにある首都高速中央環状線です。左方向に行くと、東北自動車道に向かう首都高速川口線(かわぐちせん)となりなす。

 この二つの道路の交差部が、江北JCT(こうほくジャンクション)になっていて、荒川放水路を渡る五色桜大橋(ごしきざくらおおはし)があります。北とぴあから見ると、道路と同じ方向から見ている為、橋のアーチ部が白い柱2本にしか見えません。
 この五色桜大橋の横からの見た写真は、以前の「名所江戸百景028 第49景 水道橋駿河台・・・」の中程にあります。(文京シビックセンターからの展望です。)

 最後に北とぴあ(王子)から北に目を向けると、下の写真(絵画調)のような風景が広がっています。
 右の方は、JR線が奇麗にS字カーブを描いており、新幹線(白色と緑色)が行き来する為、鉄道写真が好きな方が結構いました。(現在は、「撮り鉄さん」というのですね。知りませんでした。)
 横道にそれますが、この先の十条駅(じゅうじょうえき)も鉄道写真では有名な所だと、そこにいた写真家の方に聞きました。

 王子より北側になると、JR線と、すぐ横にあった武蔵野台地の崖線との間が離れて、その隙間に人家が目立つようになります。

 左の森の大部分は、北区の「名主(なぬし)の滝公園」です。この付近を拡大したのが、下の写真です。
 そして、森の左手前の一角(いなり幼稚園の赤い屋根が見える所)が今回の王子稲荷神社です。


 平日は、「いなり幼稚園」の児童保護の為、神社の門から入れません。しかし、神社の左にある坂を登り、横から神社の境内に行くことができますので、問題ありません。


 この神社左側の入り口に、面白い顔をしたキツネ像があります。
 王子稲荷に行く前に「王子神社に長野オリンピックで活躍した原田選手に似ている狐像」のプログを読んだ後でしたので、角度を変えて撮影してみました。確かに正面から見ると笑っているように見えて、ユーモラスです。

 神社の本殿の装飾も、きらびやかです。


 神社の天井には、「鳳凰図」があります。

 その他に、王子稲荷には、国認定重要美術品の「額面著色鬼女図」(女に化けた茨城童子の話)などがあります。

【王子稲荷神社】
 中世においては、今より荒川の川幅が大きく、神社が川岸にあった為、「岸神社」と呼ばれたそうです。
 その後、地名が「王子」に変わった為、現在の「王子稲荷」という名前になったそうです。
 平安時代中期に、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)である源頼義(みなもと の よりよし)から、関東から陸奥(むつ、現在の青森県までを含む東国三十三国の稲荷総司(そうし)の称号を与えられたそうです。
 江戸時代の11代家斉(いえなり)の寛政(かんせい)の改革の時に、関八州(現在の関東地方)の稲荷の頭領にされてしまったそうです。
 江戸時代は、この付近は狐の多い所で、狐火(きつねび)を含めた狐にまつわる伝説残っています。また、落語の「王子の狐」の舞台にもなっています。ある意味では、「妖怪の名所」です。
 稲荷神社の右奥には、狐の穴と呼ばれる場所がありますが、こちらは別の機会にさせていただきます。



 王子は、江戸からは少し離れていたのですが、有名な名所であった為、広重も名所江戸百景に何枚も描いています。「くまドン」は予定が狂い、王子の話を再構成する必要があり、プログを作るのに手間取りました。

 長くなりましたが、今回はこれで終わりとさせていただきます。
 次回は、王子の滝の話です。


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<速報>名所江戸百景033 神田明神の神田祭(2)

2013年05月11日 22時50分46秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回も、神田明神(かんだみょうじん)の神田祭です。 
 5/11(土) の神幸祭(しんこうさい)に行ってい参りましたので、2度目の速報いたします。

 前回の鳳輦・神輿遷座祭に撮影に行った所、混んでいましたことから、
 本日、雨でしたので、当初予定は、5月分のプログ作成を間に合わせるつもりでした。

 しかし、考えようによっては、雨に日は逆に空いているかなと思いまして、行ってみることにしました。
 人が多い所は撮影が大変なので、今回は混んでいる所を避けて、適当な場所で、行列を待ちました。
 とは言え、やはり祭りです。皆分かっていまして、行列が来る30分前には誰もいなかったのですが、間際になると、沿道は人で一杯にでした。

【神幸祭】
 氏神様(うじがみさま、氏子の町を守る神々)が乗っている鳳輦(ほうれん)・神輿(みこし)を含めた行列が氏子たちと触れ合いながら、町々を祓い(はらい)清める神事。


 江戸時代においては、神田祭が「山車(だし)神田」と言われるように、江戸時代に流行した文芸や伝説を多様に取り入れた附祭(つけまつり)が人気がありました。
 現代でも、下の「大江山(おおえやま)凱陣(がいじん)」などのいくつかの曳き物がでています。今年の目玉は、「花咲かじいさん」でした。


 こちらも、附祭の一つである相馬野馬追(そうまのまおい)です。


 神田祭のパンフレットには、以下のように書かれていました。
 「福島県の相馬野馬追(そうまのまおい)神事関係の皆様は、いまなお困難な状況の中にありながらも神事の不断の継承に情熱を注がれています。
 そして本年の神田祭にも騎馬武者が、ご参加くださり、震災に負けない伝統の雄姿を見せてくださる予定です。」

 ご立派な雄姿でした。
 被災地の方々が、早く復興できますことをお祈り申し上げます。

 日本橋の三越などで、着物ショーを行うことがありますので、このような行列もありました。


 後方の各町の神輿(みこし)まで撮影していたので、かなり遅くなりました。


 秋葉原は撮影者が多くて、大混雑だろうと思いましたので、行きませんでした。ここで撮影終了です。
 神田明神本殿の右脇にAKBのニュース記事が何枚も貼ってありました。氏子(うじこ)に秋葉原がある神田明神の現代における光景かもしれません。


 平成25年の神田祭りの5/12(日)以降の残りの日程は、以下の通りです。

 5/12(日) 終日
  神輿宮入(みこしみやいり、町の神輿が大鳥居を潜り、参道を駆け上がり神田明神へ向かいます。)
 5/14(火) 10:00 神田明神
  献茶式(けんちゃしき、表千家家元奉仕)
          17:00 神田明神
  明神能(みょうじんのう)・幽玄の花(金剛流薪能、有料) 演目/能「殺生石」、狂言「蝸牛」
 5/15(水) 14:00 神田明神
  例大祭(れいたいさい)


 残りの日程で、「くまドン」が神田祭に行ける日はありませんので、速報はこれで終了です。
 ありがとうございました。

 明日の5/12(日)は、神田祭のメインである神輿宮入(みこしみやいり)です。
 神田エリアの神輿が、神田明神に宮入します。天気も回復する予報なので、行かれるお方は、お楽しみください。

 次回は、別の内容となります。
 本日、神田祭に行きましたので、結果的に、プログ作成する時間がなくなり、
 日数かかるかもしれません。自業自得とはいえ、ピンチです!!!


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<速報>名所江戸百景032 神田明神の神田祭(1)

2013年05月10日 07時55分11秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、神田明神(かんだみょうじん)の神田祭です。 


 今年2013年は、4年ぶりの本祭がおこなわれます。
 平成25年の神田祭りの日程は、以下の通りです。

 5/9(木) 夕刻 神田明神
  鳳輦・神輿遷座祭(ほうれん・みこしせんざさい)
 5/10(金) 夕刻 神田明神
  氏子町会神輿神霊入れ(うじこちょうかいみこしみたまいれ)
 5/11(土) 終日
  神幸祭(しんこうさい、神田・日本橋・大手・丸の内・秋葉原巡行)
 5/12(日) 終日
  神輿宮入(みこしみやいり、町の神輿が大鳥居を潜り、参道を駆け上がり神田明神へ向かいます。)
 5/14(火) 10:00 神田明神
  献茶式(けんちゃしき、表千家家元奉仕)
          17:00 神田明神
  明神能(みょうじんのう)・幽玄の花(金剛流薪能、有料) 演目/能「殺生石」、狂言「蝸牛」
 5/15(水) 14:00 神田明神
  例大祭(れいたいさい)

 5/9の鳳輦・神輿遷座祭(ほうれん・みこしせんざさい)に行ってい参りましたので、速報にします。

 鳳輦は、鳳凰(ほうおう)の飾りがある輿(こし)のことです。
 遷座祭は、神田明神本殿から、御神霊を鳳輦・神輿へ遷す(うつす)神事のことです。
 上の写真は、本殿内で神霊を遷す儀式中です。

 それを、こちらの鳳輦・神輿へ遷すことになります。



【神田祭】
 江戸時代においては、神田祭は天下祭として、将軍の前で祭りを見せていました。他の天下祭は、日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭(さんのうまつり)と、根津神社(ねづじんじゃ)の例祭だけです。
 神田祭と山王祭りが隔年(かくねん、2年に1回交代)で、本祭が行われています。
 本来、神田祭は2011年にも行われる予定でしたが、東日本大震災の影響で本祭(神幸祭や神輿宮入)は中止となりましたので、4年ぶりに本祭になりました。

 同様に江戸三大祭りと言えば、神田祭、山王祭、深川祭(ふかがわまつり)と挙げられ、
 「神輿(みこし)深川、山車(だし)神田、だだっ広いが山王様」という言葉が残っています。
 この言葉からわかるように、神田祭は、山車の出る祭りだったのですが、明治以降の交通網(路面電車)の発達や、生活方式の変化(電信柱)により、山車の通行が不可能になり、現在では、神輿の運行が主役になっています。

 神田明神にあった江戸型山車「魚河岸会 加茂能人形山車(龍神)」です。

 もう一つ山車があったのですが、またの機会にさせてください。

 現在においても、京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に日本の三大祭りの一つにも数えられており、東京で、最も有名な祭りということになります。

 下の神輿は、神田明神の神輿です。



 神田明神については、以前の「くまドン」のプログ「名所江戸百景006・・・・」で書きましたが、そこまで戻るのが大変と思いますので、一応、そのまま転記します。(一部、重複あり)

 【神田明神について】
・神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108もの町の総氏神様です。
 沢山の町内が氏子の為、各町の摂末社が本社の裏手にずらっと並んでいます。
・神田神社で行われる神田祭は天下祭(てんかまつり)と言われ、
 江戸時代は9月に行われていました。
 日枝神社の山王祭と並び、江戸時代に徳川将軍が見物する為、
 祭りの山車(だし)が、江戸城内に入ることを許された祭りです。
 一年おきに、神田祭と山王祭が交互に江戸城に入ります。
 現在では、あまりに盛大の為、費用がかかり過ぎ、2年に一度だけ本祭が行われます。
 間の年の陰祭は地味に祭りをやって、余った分の本祭用にお金を貯めるそうです。
 今年、2013年5月9日~15日に、4年ぶりに本祭が行われる予定です。
 2年前の本祭の2011年は東関東大震災の為、慰霊を込めて自粛で中止となりました。
・神田神社の神様は、神社の説明板に
 一ノ宮 大己貴命(オオナムチノミコト、大黒様)
 二ノ宮に少彦名命(スクナヒコナノミコト、恵比寿様)、
 三ノ宮に平将門命(タイラノマサカドノミコト、平将門様)
 と書かれています。

・平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれています。



・江戸城の鬼門(北東)に当たる位置に配置されたとあります。


 今回はこれで終了です。ありがとうございました。
 神田祭のメインは、土曜日の神幸祭と日曜日の神輿宮入で、これからが本番ですが、
 神田祭中の休みが余りありませんので、神田祭の速報は、これ1回だけになるかもしれません。


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