くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景111 第95景 鴻の台とね川風景(2) 国府台と朝の富士山

2013年11月26日 07時55分11秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、千葉県・市川市(いちかわし)の国府台(こうのだい)で、紅葉と赤い富士山の撮影の続きです。

 国府台の富士山撮影は2回目です。日時は12月13日頃です。日の出時間は6:42頃と前回より遅くなっています。
 今回は、しっかりと、朝日に染まる赤い富士山を撮影することができました。
 冬至(とうじ、12月22日頃)も近いので、朝は寒く、河川敷は霜(しも)で白くなっています。
 手前の江戸川には、まだ朝日が当らず、水辺のカモも静かにじっとしています。

 いきなりですが、この写真を、広重の名所江戸百景第95景 鴻の台とね川風景」に対応する「くまドン板」の景(確定・秋景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
 写真の雰囲気は、ほとんど冬ですが、撮影している後の公園内は、まだ紅葉の最中ですので、秋景です。

 里見公園は、木が生い茂っていますので、富士山を撮影できる場所は、2カ所だけですが、逆に周辺の木々を入れて、撮影することもできます。(富士山がかなり小さくなってしまいますが・・・)


 朝の光も赤みが無くなり、オレンジ色に変わる頃、江戸川の水面にいたカモが並んでどこかに飛んでいきます。
 なんとなく、広重の絵のカモの雰囲気が感じられます。


 朝日の赤みなくなり、富士山も、いつもの白い雪の姿になります。再び、里見公園内で少し撮影をしてみる事にしました。
 12月も中頃になると、紅葉のピークは過ぎていましたが、色づきの良い木も残っていましたので、何枚かは撮影できました。
(絵画調)


【總寧寺(そうねいじ)、山号は安国山(あんこくざん)】 曹洞宗(そうどうしゅう、禅宗の一つ)の寺院
 下の写真は、里見公園の東側に隣接する總寧寺です。
 江戸時代の国府台(現在の里見公園)は、總寧寺の敷地で、里見公園南側の洋風庭園付近に本堂があったといわれていますが、この寺の歴史は波乱万丈(はらんばんじょう)の歴史です。

(1)この寺は、室町時代(南北朝時代)の3代将軍・足利 義満(あしかが よしみつ)の永徳年間に近江(滋賀県)守護(しゅご)の佐々木源氏・六角氏が、曹洞宗の僧を招いて、滋賀県北東部の米原市(まいばらし)のお寺を建てたのが始まりです。

(2)戦国時代になると、11代将軍・足利義晴(あしかが よしはる)の享禄年間に、戦乱でお寺が焼失してしまい、
 遠江国(とおとうみのくに、静岡県中部)の掛川(かけがわ)に避難して、常安寺という名前のお寺を建てました。

(3)ところが、戦国の混乱は拡大して、室町時代末期に、再び、戦乱でお寺が焼失してしまい、常陸国(ひたちのくに、茨城県)に避難する事になりました。住職は、お寺の再建を考え、小田原の戦国大名・北条氏を頼り、関宿宇和田(現在の埼玉県幸手市)にお寺を再建しました。その後、総寧寺の旧称に戻ったそうです。
 この時の寺領は、米20貫(昔の重さの単位、米1貫=約米1.2石として、約24石)です。



(4)その後、豊臣秀吉の小田原攻めにより、北条氏が滅んでしまいましたが、お寺なので、新たに関東を治める事になった初代・徳川家康からも、寺領として、米20石が与えられることになりました。

(5)その後、2代・秀忠(ひでただ)により、関宿内町(現在の千葉県野田市)に移転させられますが、
 この土地は洪水多発地帯でした。



(6)4代・家綱(いえつな)の寛文年間に洪水を避ける為、移転を懇願して、現在の国府台への移転が認められました。
 (江戸時代の川は、城の堀と同じ防衛線の役割があったので、徳川家康入府後に江戸を望む城は敵の陣地になる可能性がある為、国府台城は廃城となっていました。)
 さらに寺領として128石5斗が与えられ、「曹洞宗関東僧録司」となり、関三刹(かんさんさつ)として、江戸時代の曹洞宗の統制をすることになったのです。(突然、大出世しているのですが?・・・・・)
 関三刹(かんさんさつ)は、以下の3寺です。
 大中寺(だいちゅうじ、栃木県栃木市大平町西山田)
 總寧寺(そうねいじ、千葉県市川市国府台)
 龍穏寺(りゅうおんじ、埼玉県入間郡越生町)

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第95景 鴻の台とね川風景」(秋景)です。


(7)幕末・明治初年には、江戸城無血開城に不満を持つ幕臣が市川市・国府台付近に集まり、一時、大鳥 圭介(おおとり けいすけ)を中心とする幕府軍がいたそうです。
 その後、幕府軍は会津方面に移動した為、直接の戦闘は行われませんでしたが、応援に向かった木更津方面の幕府軍と明治新政府軍の間で、市川・船橋戦争(いちかわ・ふなばしせんそう)が行われたそうです。

 昨年の秋は暖かいので、カエデの紅葉が赤くならず、黄色のまま終わる木も多かったのです。
 結果として、イチョウの黄葉写真は結構撮影できたのですが、カエデなどの紅葉の写真は、江戸百景としては、黄葉写真ばかりになり、紅葉の景を選択するのは苦労しました。
(絵画調)


(8)明治時代になると、陸軍の施設になったり、病院になったりします。
 大正時代末頃から昭和にかけての10年間程、この里見公園には、「里見八景園」と呼ばれる遊園地があり、プールや動物園、茶屋などがあったそうです。京成線沿いにあり、最盛期には、1日千人もの来園者が訪れたそうです。
 下の写真は、里見公園北側の真ん中にある池です、 白い橋の奥には人工の小さな滝があります。当時の八景園の施設でした。
(絵画調)

 池の周りのカエデも、1回目の時は緑の葉のままでしたが、この日は赤や黄色に色づいてました。
 池には、赤い富士山を一緒に撮影していた年配の地元の方が二名程いまして、国府台の色々な事を教えていただきました。(ありがとうございました。)
 お二人が被写体として撮影していたのは、なんとキツツキで、「アカゲラ」と「アオゲラ」がいるとのことでした。
 例年、寒くなると、国府台には「アカゲラ」が姿を見せるらしいですが、昨年は、「アオゲラ」も姿を見せたそうです。

【国府台までのアクセス】
 「くまドン」は、朝が早過ぎて、電車では家からのアクセスに時間がかかり過ぎるので、マイカーで行きましたが、
 最寄駅は京成本線の国府台駅です。歩いて15分~20分かかります。
 国府台駅の700m程、南東に離れた所にJR総武線の市川駅があります。市川駅からは、京成バスで「国立病院・矢切駅経由 松戸駅行き」に乗り、「国立病院」か「公民館」のバス停で下車となります。(6時過ぎ頃が始発です。)

【国府台付近の名所江戸百景】
 国府台のすぐ南東側には、名所江戸百景「真間の紅葉手古那の社継はし」が描かれた場所があります。
 この景に関しては、次回のブログで触れさせていただきます。
 その谷は、「国分寺跡」などの史跡や、「じゅんさい池緑地」があります。

 国府台の北側には、矢切の渡しがあります。徒歩で江戸川の堤防沿いに歩いて30分のコースとなっています。自動車でも江戸川沿いの道路を通り行くことができます。(少し北側に駐車場もあります)
 矢切の渡し関連のブログは、以下の通りです。(クリックするとリンク先に飛びます。)
  「名所江戸百景030 第93景 にい宿のわたし 矢切の渡し」
  「名所江戸百景031 第93景 にい宿のわたし 柴又帝釈天」
 矢切の渡しまで行くと、一日がかりの旅行になります。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 11月分の紅葉の景は、まだまだ続くのですが、ブログ作成の時間が足りなく、どうやら終わりそうもなさそうです。
 12月分も多く、年末までに全てを載せるのは、難しそうです。・・・・・・・・(汗)。

 次回は、同じ名所江戸百景の中で国府台の近くにある市川市・真間(まま)の紅葉です。

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