くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景101 第101景 浅草田甫酉の町詣 浅草・酉の市

2013年11月02日 16時00分44秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、浅草(あさくさ)鷲神社(おおとりじんじゃ)の酉の市(とりのいち)です。

 現在の東京では、酉の市は、浅草・鷲神社の露店で、縁起物(えんぎもの)の熊手(くまで)などが売り出されることで有名でしょう。11月の風物詩(ふうぶつし)ともなっています。
 下の写真は、有名な浅草寺(せんそうじ)の雷門(かみなりもん)です。

 よく見ると、大きな提灯(ちょうちん)の下に、「松下電器」の文字が見えます。
 松下電器産業(現パナソニック)の創業者・松下幸之助(まつした こうのすけ)が、病気治癒のお礼に、
 昭和35年に、雷門と大提灯を寄進した物だそうです。

 まず、平成25年(2013年)の酉の市の情報です。
 酉の市は、毎年、11月の酉の日(12日周期で、干支の酉にあたる日)に行われます。
  日時:2013年11月3日(日)<一の酉>、15日(金)<二の酉>、27日(水)<三の酉>
      午前0時の一番太鼓(たいこ)と共に酉の市(例祭)が始まり、丸一日(0:00~24:00)行われます。
  場所: 浅草・鷲神社(おおとりじんじゃ)、浅草酉の寺・鷲在山・長國寺(じゅざいさん・ちょうこくじ)
       今年は酉の日が3回あります。三の酉の年には火事災難が多いと言われている為、
       長國寺で、三の酉限定の火除け守( 江戸火消しの纒 (まとい) 形の厄除けのお守り)がでます。

 その他の酉の市 (日時は、各神社で異なります。別途、インターネットなどで、お調べください。)
  新宿の花園神社や四谷須賀神社、目黒の大鳥神社、足立区の花畑大鷲神社、
  江戸川区の新小岩厄除香取神社、江東区の富岡八幡宮などで各地で開かれます。

 浅草の雷門をくぐり、仲見世通りに入ると、浅草を訪れる人の数の多さに驚きます。
(絵画調)

 仲見世通りの先には、宝蔵門と「小舟町」の提灯が見えます。
 浅草寺から酉の市が開かれている鷲神社までは、少し歩きますが、途中の道は、露店の色々な店が立ち並び、人の流れもありましたので、その流れについて行くと、自動的に鷲神社に着いてしまいます。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第101景 浅草田甫酉の町詣」(冬景)です。

 吉原で働く女性の控屋から、田圃(たんぼ)の畦道(あぜみち)を、酉の市の縁起物の熊手を担いで歩く人達の行列が描かれています。
 広重は、部屋の女性の代わりに猫を窓際に置いていますが、その心境は、いかなものであったのでしょうか?

 絵の構図は、遠近法で、俯瞰(上から下を見下ろす)する方法です。これだけですと、他の絵と変わりありませんが、近景構図として、手前に窓の障子(しょうじ)や格子を置いて、窓から望む構図にすることにより、画面に変化を与えています。手前に置いてあるかんざし(簪)など小物も、その場所の雰囲気を出すことに一役かっています。
 窓の外には、鷲神社の酉の市に参拝する人の行列(熊手を持つ人もいます)が、浅草の田圃(たんぼ)の中に描かれていますが、絵の暗い部分なので、見る人の視線は行き難い所です。
 窓に白い猫を置き、その猫の視線の先に参拝客を置く事により、その存在を気付かせています。
 夕暮れの白い富士山と、雁行型に空を飛ぶカモ(?)の群れが冬の情景を与えています。

 「くまドン」が人の流れに合わせて、歩いて行くと、鷲神社の入り口に着きました。

 昼間なので、神社の入り口から参拝客が列をなしています。
 神社の左手には、浅草酉の寺として知られる鷲在山・長國寺があります。

 境内に入りると、参拝の行列の左右には、縁起物の熊手を売る店が並びます。
(絵画調)


【鷲神社、大鳥神社、大鷲神社(おおとりじんじゃ)】
 「おおとり」を社名とする神社で、大阪府堺市にある大鳥神社が、総本社とされている。
 この神社の守護神は、なんと、神話に出てくる日本武尊命(やまとたけるのみこと)です。
 日本武尊の白鳥伝説(病気で亡くなった後、墓から魂が白鳥となって飛び出し、舞い降りた)を起源とする神社です。
 日本武尊は、「おとりさま」と称されて、武士には武運長久、町人には、開運・商売繁盛の神と信仰され、11月酉の日に、酉の市が開く所が多いです。

 色々な大きさの熊手が売られていました。


【酉の市の縁起物・熊手(くまで)】
 現代の日本では、酉の市の熊手は、幸運や金運を「かき集める」という意味を込めて、商売繁盛の縁起物として、扱われています。
 江戸時代の天保年間までの熊手は、柄の長い実用的な熊手(枯葉や干し草をかき集めるの使用する道具)におかめの面などを取り付けた物でした。その後、色々な縁起物(宝船、平、桧扇など)をつけるようになり、現代の熊手になっています。
 江戸時代の酉の市では、熊手だけでなく、ホウキ(箒)やザル、農作物等も売っていました。そして、そのすべてに除災・除難の意味があったそうです。江戸時代の冬に多かった火事に対する火除けの意味もありました。
 現在の「11月に三の酉のある年は、火事が多い」という言い伝えも、このようなことが根幹にあるのです。
 いつしか、火災を防ぎ、福を招くという大きな手のシンボルである熊手が、招き猫の手のような「商売繁盛」のシンボルに変わっていったのです。
(絵画調)


【酉の市(とりのいち)】
 江戸時代において、酉の市で最も有名だったのは、現在の足立区の北東部にある花畑(江戸時代は、花又村)にある大鷲神社(鷲大明神)です。江戸初期には、地域の住民の収穫祭が神社で行われていて、酉の市が開かれていたそうです。この為、江戸時代は、花又村の酉の市の本家本元として賑わっていました。「本酉」とか「元酉」とか呼ばれていまいした。
 江戸時代に、この本家本元の大鷲神社では、酉の市に生きた鶏を奉納していたという記録が残っています。
(絵画調)


 江戸時代後期になると、浅草の鷲在山・長国寺(法華宗)境内の鷲大明神社で、酉の市が行われるようになります。
 花又村の酉の市に対して、こちらは、「新酉」とも呼ばれていました。
 11月の酉の日には、鷲大明神社の鷲妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ)が開帳され、参拝者で賑わい、酉の市が盛大に行われるようになりました。この為、鷲大明神社は「鷲宮(わしのみや)」、長国寺は「酉の寺」とも呼ばれるようになりました。
 明治初年には神仏分離令により、長国寺と鷲神社とに分けられ、現在に至っています。

 下の部分をトリミング(画面のカット)しています。


 その他に、千住の勝専寺(赤門寺。浄土宗)で、3代将軍・家光(いえみつ)からの鷲大明神(鷲の背に乗った釈迦仏の姿)の像が渡され、「中酉」と呼ばれたそうです。
 江戸時代は「本酉」「中酉」「新酉」共に酉の市でにぎわったそうですが、現在では「中酉」の勝専寺では酉の市は行われていません。
 江戸時代は、旧暦の11月(現代の12月頃)に行われていたので、寺社によっては、12月に行う所もあります。


 この写真を、広重の名所江戸百景「第101景 浅草田甫酉の町詣」に対応する「くまドン板」の景(確定・冬景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

(絵画調)


 この頃、「くまドン」が使用していたコンパクトカメラのズーム用レバーの動作に異常が発生して、レンズのズームが動き難くなったので、撮影終了となりました。
 カメラは修理出しとなりました。購入したのは2月でしたから、1年以内で無償で修理していただけましたが、画像データのファイル名の番号をみると、4ケタのカウンターが3回ゼロに戻っていたので、撮影枚数は3万枚(削除したデータ分を含む、絵画調分は除く)を超えていました。その大半が、名所江戸100景関連の撮影です。・・・・・(汗)

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 「くまドン旅日記」を読んでいただき、応援もしていただきました。ありがとうございます。
 名所江戸百景も、100回を超えてしまい、「くまドン版」で確定した景の数も60景(多分)となり、やっと、119景の半分を超えました。

 11月から正月にかけては、確定する景が多く、10月に脱線して、「スポーツ祭東京」や「城まわり」の撮影・ブログ撮影をしていたので、11月上旬のブログができていないという有様です。
 「名所江戸百景」の残分の撮影もあり、自業自得とは言え、かなりピンチです(汗)。なんとか、酉の市の分は間に合いました。仕事もありますので、可能な範囲でブログを作りたいと思います。
 (名所江戸百景のブログ作成を2年計画にするべきだったかもしれません。城周りのブログも並行して、作れるし・・・・・・)

 次回は、他の景の話になります。

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