育生町が父親の実家ということもあり、夏休みの多くを尾川川やその周辺で過ごした。
夏の太陽は、濃い影を落とし、森の中はトンネルの中のような錯覚になる。
見えたり、隠れたりするもの。
足元をうろつく感じ・・・・夏の光と影の中をうごめくものが熊野の人じゃないもの、のような気がしてならない。
そして人は、その些細な変化に手を合わせて、祈りを込め、場所になる。
ただ一人になったとしても、守られ続ける。人と人じゃないなにかとのかかわり。
久々に、子供のころ怖くなってかけだして抜けた峠道を思い出した。