*くららばあさんno陽だまりに咲く花*

   陽ざしを浴びながら咲く花たち 生きている喜びを感じながら

あの日☆から 4年

2024-07-26 09:00:00 | 日記

 

私の一番好きなお花は?と 聞かれたら
ササユリ
数年前の画像を探してみました

私が 子どもの頃は たくさん咲いていましたが
私の故郷の山では 見られなくなりました
近年 咲いているのは 保護されている場所


今日は 夫の祥月命日
夫亡き後 4年が経過しました
私の好きなササユリで

亡夫
2019年9月に
いきなり 半年から1年の余命宣告

翌年2020年の初めには 世界がコロナの恐怖
感染者続出の中 夫は 仕事優先で
2020年6月初めの
任期満了まで なんとか やり遂げました


その後 すぐ
(やっと県境越えが出来るようになってすぐ)
温泉に行きたいと言うので 山陰に行きました

宿泊は 離れ2つを
行き来できるようにしていただき
私たち夫婦と 次女家族
孫たちは 小さかったな~
混浴の大きな露天風呂があります
(湯浴み着があるので 大丈夫)


その後 2週間くらいで
夫は 入院となり
1ヵ月少しで
余命宣告から 10ヵ月
68歳で この世を去りました

仕事も地域の世話も トコトンやる人でしたが
我が家にある書類の引き継ぎ
私に伝えることは ありませんでした

ただ 私に 伝えたことは

夫のパソコンの「暗証番号」と
「おまえ70まで わしゃ69まで ええか?」でした

「お前百まで わしゃ九十九まで」の
共に長生きしようという
ことわざに合わせて 言いました
…とはいえ 歳が随分違う
意味も 変わってくる

調べてみると お前が夫

私たちは 同学年で
夫が言いたかったのは
お前が私 わしゃが自分のことです

よく喧嘩していましたが
人から見たら 仲のいい夫婦
私1人残す心配から 言った言葉です

「おまえ70まで ええか?」と言われても
何も答えることはできませんでした
その時は
現実を受け止めたくなくて 必死でした

入院中はの洗濯物は
看護士詰め所まで 持って通ったのですが
面会出来ない コロナ混乱状態真っ只中
最後の最後で
何の役にも立たない 妻で 終わりました

以前の記事で
夫亡き後 記憶がないと 言いましたが
考えてみたら
コロナ禍で 行動制限があったりして
誰にも会えず
しゃべることがないので 口まで固まった
でも 食べることは できた(笑)

孫と同じゲームと
若い人の 前向きな音楽に 救われて
家の中で 耐えていたように思います

1人になって お出かけも出来ないので
これからは
思い出写真も 載せることにしました


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

亡夫に 持たせた
四国八十八カ所お遍路 納経帳

これは ↓ 私の物ですが
その中で 印象的だった場所

第66番 雲辺寺


雲辺寺ロープウェイ
高低差657メートル 全長2594メートル


一気に 上がること 7分
ロープウェイを降りると
香川県と 徳島県の 県境
徳島県の 方へ 向かいます

大きな五百羅漢に 迎えられます
その場所に佇むと 迫力に圧倒されますが
写真で 表現出来てないのが 残念です


夫の仕事と地域の世話がない休日に
2人で さすけ(コーギー犬)と 車遍路
さすけは どこに行く時も 一緒
車の中で 留守番
よく付き合ってくれました

京都 東寺から始め
神戸淡路鳴門自動車道を通り 徳島へ
行ったり 帰ったりで 2年半


最後は 高野山

大門


向こうに見えるのは ↓ 奥の院
ここから先は撮影できません

テレビで 映像を拝見する機会も多く
行っててよかったと 思います

歴史を刻む 高野山の大木
逞しく 力強く


以上

幸せな思い出は たくさんありながらも
心の中には いつも
この「70歳」…
亡夫が 早く 迎えに来るのかなあ
長生きできないのかな?
…が 心に ずっと あって

今 72歳
一日 一日を 大切に
元気で 生きられていることへの感謝
笑顔は 皆さんに負けないほど
(いっぱい笑顔だよ)
頑張ってはいますが
胸の内は
夫のいない生活は 寂しいものです

早く迎えにこられないよう
娘に迷惑かけないよう
明日からまた 元気に歩みたいと思います

暗い話に
最後までお付き合いいただきましたこと
こんな拙いブログにお越しくださいましたこと
感謝申し上げます