工藤鍼灸院・院長のひとりごと2

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小学校時代をサッカーで振り返る

2018年03月15日 20時41分52秒 | 工藤家の日常
我が家の次男は明日が最後の小学校登校日。週明けには小学校を卒業します。



次男の小学校生活をサッカーで振り返ります。



サッカーをはじめたのは保育園が終わる頃から。小学校に入学した当時、姉が所属していた河内SCジュベニールの練習生となりました。



毎日姉とふたりで朝練やっていましたね。



この頃はリフティング5回しか出来なかった(笑)。



女子クラブなので、公式戦には出場できません。カップ戦には出してもらっていました。



ジュベニールでは基礎を徹底して繰り返し練習させていただきました。この時期のこの練習が今に生きています、本当に感謝です。



この頃はまだ練習というよりは遊びの感覚でしたね。



最初で最後の姉弟同時出場。カップ戦でのファイターズ戦でした。ふたりで試合に出場できたのは、これ以後今日まで一度もありません。6年生相手に1-7で敗れたものの、唯一の1点は当時4年生だった姉のゴールでした。



彼がサッカーをはじめたのは大好きなお姉ちゃんの影響だと思います。



サッカーという共通の話題があることが、ふたりの絆を強くしたのでしょうか。



大衆演劇が大好きで、将来の夢は座長。とにかくよく踊る子でした。



2年生になりました。



栃木SCの応援には結構一緒に行ってくれる子でした。



一年経つとリフティングも上手に。



練習試合ではのびのびプレー。



ビビッてゴールラインの中で守備をするGK(笑)。



ユニフォームがワンピース状態。



家の中でも姉とボール遊び。



姉の試合を観に行くと、踊って応援。



秋からHFC.ZERO真岡の練習に参加させていただくように。



栃木SCチャリティーマッチでは澤姫さんの甘酒ブースのお手伝い。



2年生も終わる頃、姉と一緒に正式にHFC.ZERO真岡へ加入することとなりました。



とにかく楽しくサッカーをしていました。



ZEROに来て、サッカーの面白さにハマッて行った頃ですね。



2014年ホーム開幕戦。契約上の都合で試合に出場できない大久保選手と。



3年生になりました。
姉との練習中、肘が入りケンカ勃発(笑)。



なんだかんだで仲良し。いつも一緒にいます。



3年生にもなるとリフティングも上手です。



試合中にふらふらお散歩。コーチから「ピッチには100円落ちてないぞー」と指摘されるくらい注意散漫(;^^)



U10ジュニア選手権でベンチ入りさせていただきました。



彼にとってひとつの転機になった出来事だと思っています。



芳賀地区3位で県大会出場でした。



このあたりからサッカーに対する気持ちに変化が。



遊びの延長だったサッカーが、生活の中心になりました。



低学年の頃は後ろから数えた方が早かった持久走大会でしたが、この頃には上位を狙えるまでに成長。サッカーのおかげで持久力も付きました。



みんな幼くてかわいかったなぁ。



松尾芭蕉杯で人生初のメダルをいただきました。こういうちょっとしたことが励みになるものです。



小学4年生になりました。



成長著しい時期でした。



ディフェンスだけど攻撃も好き。



みんなかわいい!



まだまだサッカーを知らない時期でしたね。



6月、家庭内でかなりの悪さをしまして、1ヶ月の謹慎生活。チーム練習はお休みさせていた時期です。
お姉ちゃんは中学生になりましたが、謹慎中の弟相手に一緒にサッカーで遊んでくれていました。



復帰後はサッカーはもちろん、私生活も見直しました。以前は宿題が終わらなかったり出発までに準備が出来なくて練習へ行けないことが時々ありましたが、そういう出来事がなくなりましたね。



髪が長めなのは紘子さんの趣味(;^^)



U10ジュニア選手権芳賀地区大会を突破、県大会へ。



県大会では2位トーナメント優勝。



いい思い出ですが、これで勘違いしないように言い聞かせました。まだまだあなたには足りない部分がたくさんありました。



4、5年生の新チームがスタート。



新人戦にもちょっとだけ出場。



6年生のおかげで新人戦芳賀地区優勝も経験させていただきました。



県大会にも出場機会をいただき、多くの経験を積めましたね。



2分の1成人式。この時の気持ちを忘れずに。



フットサル大会でも準優勝。



5年生になりました。



リーグ戦を通してサッカーへの理解を深めた時期です。



5年生のみんなと遊園地へ遊びに行ったこともありましたね。



守備を学ぶ時期でした。



栃木SC選手達ともサッカーしました。



夏合宿でヘトヘト。



韓国のチームと対戦する際は、事前に韓国語のお勉強も。



トップリーグでは本当に多くのことを学ばせていただきました。



ずっと「ヘタクソ」と言われ続けていた姉に、ようやく少しだけ認めてもらえるようになった時期です(笑)。



姉が骨折で離脱している間に差を詰められたでしょうか(笑)。



新チームとなり、新キャプテンに。新人戦では芳賀地区準優勝。子ども達もがんばりましたが、私はコーチのおかげだと思っています。



この子の代はきっと勝てなくて苦労する世代なんだろうなぁと思っていていました。新人戦の頃にそんな話をコーチにしていた記憶があります。



この時も彼には「勘違いしちゃいけない」という話をかなり懇々と言い聞かせていた気がします。



新人戦県大会はグループリーグ敗退でしたが、みんな本当によくがんばっていました。



年末には高校サッカー選手権も観に行きましたね。



ジュニアユースの試合でスタッフとしてベンチ入り。



6年生になりました。課題が消化できない次男は徐々に出場機会を減らして行きました。サッカー人生で一番苦しんだ時期でした。



トップリーグ2部は3勝4敗という悔しい結果となりましたが、彼らにとってはこれもすべていい経験です。



関東少年サッカー大会は2回戦敗退。でもこれが真の実力でした。次男は自分の居場所を見失い、プレーに迷いが生じ始めた時期でした。



飛び抜けた選手がいない年代でしたから、コーチの皆さんは苦労されたと思います。



全少県大会は1回戦敗退。次男は出場機会なしに終わりましたが、少しずつ課題に向き合えるようになりました。



6年生最後の公式戦、選手権2回戦。



この試合が次男のジュニア世代最後の出場となりました。



最後の試合には出場できず。これに関しては悔いが残っているようですけど、親としてはむしろコーチに感謝しています。



ジュニア世代終盤は課題から目を背けず、しっかり向き合って克服しようとしていました。何となく試合に出続けていたら、おそらく彼の成長は止まっていたと思います。



彼が課題から目をそらさず、しっかり向き合えるようになったのも、コーチの皆さんのおかげです。



一番上手いわけでもなく、積極的に声を出すでもない。チームをまとめるタイプのキャプテンでもありませんでした。でも彼なりにサッカーと向き合う真摯な姿勢でキャプテンシーを示してくれたと、親としてはそう感じています。



技術的にもフィジカル的にも、まだまだ姉には敵いません。でもあなたにはあと3年間、HFC.ZERO真岡ジュニアユースで成長するチャンスがあります。



最後の最後で骨折も経験しました。それもまた糧にして、これからのサッカー人生を歩んで欲しいです。



3年間で姉に追いつけ、追い越せ!



実は、あなたの一番のサポーターはお姉ちゃんです。それを忘れないでください。



卒業おめでとう。ジュニアユースでもサッカー楽しもうぜ!
がんばれ、友禅!
コメント
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