工藤鍼灸院・院長のひとりごと2

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命日

2007年02月24日 19時57分21秒 | その他
先日も少しお話しましたが、本日は僕が尊敬してやまない日本画家・三橋節子氏の命日です。

彼女は画家として脂が乗り切っていた時期である33歳の頃、右鎖骨の悪性腫瘍により利き腕である右手を失ってしまいます。その後、がんの転移により自らの命が余命幾ばくもない事を知りながらも左手に絵筆を持ち替え、残された時間で家族に宛てた愛情あふれる作品を数多く描き、昭和50年2月24日、35年の短い生涯を終えました。



若い頃には静物画を好んで描いていた彼女でしたが、結婚や出産を期に少しずつ家庭の温かさや家族の素晴らしさを暗に示した絵画を描くようになっていきます。
33歳の時、右鎖骨腫瘍が見つかり、彼女は利き手を失う事になります。その時に右手で描いた最後の画である『湖の伝説』を皮切りに、アトリエを構える滋賀県の長等から一望できる琵琶湖にまつわる伝説をモチーフとして死期が迫りつつある彼女の心情を描いた『伝説シリーズ』を描き続けます。

夫婦愛の素晴らしさを描いた『田鶴来(でんづるぐる)』。

愛する家族との別れの辛さを描いた『三井の晩鐘』。

自らの画家としての再起に対する周囲への感謝の気持を描いた『白鷺の恩返し』。

残してゆくふたりの子ども達のために製作した絵本『雷の落ちない村』。

彼女の死への絶望と再生への希望を描いた『花折峠』。

病に倒れてからも彼女は多くの作品を描き上げ、そしてそれらの物語に今現在の自分が置かれている状況や心境を重ね合わせ、人々の心を打つ感動的な作品に仕上げていきました。

死の1ヶ月前に完成させた辞世の画『余呉の天女』は、死に行く意味を悟った彼女(天女)が残してゆく子ども達に手を振っている、そんな死への覚悟と愛情にあふれた不思議な作品です。



彼女の作品には死への恐怖がにじみ、再生への願いが感じられます。しかしそれだけではなく、家族への愛情や感謝の気持ちがあふれています。しかも、これらの作品は利き手ではない左手で描かれているのです。
死の恐怖と戦いながらも病と真剣に向き合い、家族への愛情や周囲の人々への感謝の気持を忘れず、創作に対する前向きな気持ちを持ち続けた彼女の姿勢こそ、僕は医療の究極の形だと思うんです。
こういう生き方は実際に今何らかの症状に苦しんでいる患者さん方の心の支えになるでしょうし、そしてその人間性は僕ら術者も見習わなければならないと思うのです。
当院に三橋節子氏の画を飾ってあるのは、僕のこういう想いからです。





僕が特に好きな作品は、死の3ヶ月ほど前に製作された『母子像』という画です。ポストカードをトイレに飾ってあるので、ご覧になったことのある方は多いと思います。
母親が我が子に母乳を与えている画なのですが、刻々と死が迫りつつある時期であるにもかかわらず、こんなに穏やかで優しい画を描いた彼女の心境を思うと涙が出てきます。
この画を見るたび「がんばろう」っていう気持ちになれます。



本日は三橋節子氏の画をご紹介しました。
コメント
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