伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ

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憲法があることの意義 

2017-05-03 17:40:35 | 政治・政策・経済
憲法記念日なので、憲法について書きます。


(憲法の意義)

通常の「法律」は、権力者側が国民を縛るためのものです。
逆に、憲法の本質は「国民」に対する制限ではなく、
「権力者」に対する制限にあります。
権力者が国民を無視して暴走しないようにする
「歯止めの役割」が憲法の存在意義です。



(戦争法案について)

2年前、戦争法案は違憲だとして、
国会前に数万人が集まりました。主催者は学生団体。
私も2日間参加しました。普通の人が大勢参加していました。

私が戦争法案に反対するのは、
それは新しい法律が必要かどうかではなく、
立法手続きが違憲だからです。

「国際情勢の変化により、国外へ自衛隊を派遣し武力行為を行う必要がある」
と考え、そのように主張するのは、そう考える人たちの自由であり、
国会の議決を経て必要な法案を作る権利もあります。

ただし、憲法上禁止されている法律を、
憲法を改正せずに作ることは憲法上許されません。

「自衛の範囲を逸脱する『集団自衛行為』は違憲」
というのが歴代内閣の解釈です。

憲法解釈の変更により集団的自衛権の行使を認められるかについては、
 「集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、
  それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を
  当然とらざるを得ない」(1983年)

集団的自衛権に関する憲法解釈の変更があり得るのかについて、
 「(政府の憲法解釈は)それぞれ論理的な追求の結果として
  示されてきたもの」であり、その上で
 「政府がその政策のために従来の憲法解釈を基本的に変更するということは、
  政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させますし、
  ひいては内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なうおそれもある、
  憲法を頂点とする法秩序の維持という観点から見ましても問題がある」
  (1996年)

 「憲法は我が国の法秩序の根幹であり、特に憲法第9条については
  過去50年余にわたる国会での議論の積み重ねがあるので、
  その解釈の変更については十分に慎重でなければならない」(2001年)

このように、これまで内閣は憲法解釈の見直しについては、
慎重かつ否定的な姿勢を貫いています。

法律は憲法を土台にして成り立っていますので、
これまでの憲法判断で違憲とされてきたことを、
憲法改正をしないまま「合憲」にすると、
法律の整合性がとれなくなり、つじつまが合わなくなります。

戦争法案については、
個々の弁護士ではなく、全ての弁護士が加入する日本弁護士会が
団体として明確に憲法違反と判断し反対活動しています。

法律を作る立場だった、歴代の内閣法制局長官や、
元最高裁判所長官も違憲と述べています。

特に、戦争法案を審議した衆議院憲法審査会では、
自民党、公明党が推薦した、早稲田大学の長谷部教授を含めた
憲法学者の全員が、この法案は憲法違反であると述べました


「集団的自衛権」は日本が武力攻撃されていない段階で、
日本から先に相手国に武力攻撃することを認めるものです。

戦争の悲惨さ、苦しみを子や孫に味あわせてはなりません。
子どもを戦場に送らない、戦争で殺させない、私の願いはその一点です。

私はもともと無所属ですが、
これは、政党などの党派を超えた活動です。

私は市議会議員であり、国会の決議には参画できません。
しかし、地方議員の本旨である住民福祉を実現するには、
日本が平和であることが大前提です。



(憲法9条の力)

後藤正文さんのブログの一部をご紹介します。
詳しくは、リンク先をぜひお読みください

  憲法記念日に思うこと
 
  北朝鮮からミサイルが飛んできたときに憲法9条は守ってくれるのか。
  と聞かれたら、普通に考えて、何らかの条文が国会の辺りから
  メキメキと合体ロボのように立ち上がって、飛んでくるミサイルを
  ガシリと握り潰したりはしない。

  だから、まあ、そういう聞かれ方をするならば、守るのは無理だと思う。
  ただ、問いの立て方が子供っぽいような気もする

  憲法9条の力のというのは、そういうマッチョなエネルギーや方法とは
  別のところにあると俺は考えている。

  その力とは何か。それは為政者に高い知力の保持を強いるということだ。
  何しろ、軍隊も持てないし戦争もできない。ということは、
  隣国と緊張しないような外交努力を弛まずに行わなければならない。
  近くの海にミサイルやロケットを飛ばして国威を示したり
  愛国心を発揚したりしないで、実直に、ときには煮え湯を
  飲まされるような気分になることがあっても、内外からの圧力に耐えて、
  狡獪な相手とも交渉し、もういいやと投げ出さずに
  平和な状況を維持しなくてはならない。
  高い知性と判断力が必要な仕事だろう。

  という文脈において、
  憲法9条は十分に国民を守ってくれているのではないかと俺は思う。

  つまり、憲法9条自体が、
  思考停止を許さない巨大な「問い」そのものであると、俺は思うのだ。
  もちろん、難問だろう。あの手、この手を尽くさなければならない。
 
 「普通の国」というもっともらしい称号(どの国もそんな言葉で
  褒めてくれはしないだろうけれど)と引き換えに失うものについては、
  もっと深く議論されるべきだと思う。


P.S.

群馬音楽センターで開かれた憲法記念日集会で、
一橋大学名誉教授の渡辺治さんの記念講演
「憲法の力と武力によらない平和の実現へ」を聴いてきました。



会場いっぱいに大勢の方が集まり、熱心に聴講されていました。



(参考ブログ)

ナチス党の権力掌握過程


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