こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

反復を続けて、見えてくるもの

2014年08月06日 | 螺旋状に上昇する意味
日課の林道歩きは、朝食の後片付けの直後に定着してきました。
雨でも土砂降りで無い限り傘をさして歩きます。
往復20分というのは天候に左右されずに歩ける距離で、
なんとなく始めたにしては、距離といい傾斜の加減といい、
林道歩きは、ごく自然に日課に収まってくれました。

同じコース、短い距離を毎日歩く。この繰り返し。
単純作業の「反復」は私の性(しょう)にあっているようです。
自分にとってよいと思えるもの。しっくりくるものが見分けられると、
人生はスムーズに流れ出すものですね。
林道歩きの他にも、小さな「反復の習慣」が増えて、
今や「単純を、繰り返す」行動は私の生活の要となっています。

毎日歩く林道から少し山を上ったところに金比羅様が祀られています。
小さな石の祠があって、昔は遠くに海を眺め祭事に人が集っていたようですが、
今では朱色の鳥居は朽ち果て祠への小道も藪でかき消され訪れる人はいません。

林道歩きを始めた頃は入り口で立ち止まり、山を仰ぎ見て一礼、手を合わせることも。
そのうちに立ち止まることなく歩きながら心の中で山に一礼を意識するようになり、
近頃は一礼も忘れて通過していることが多いことに気付くのですが。。。

それが自然になってきたのは、毎日歩くという行為そのものが一礼することに等しいからで、
林道歩きを「反復」する中でそのように成ってきたのではないかと思うのです。

人口減少が進む集落の山にあって、見える形では朽ち果てたとしても、
私の日々の20分が、かつての村人の自然を前にしたときの畏敬の念、
祈るこころを受け継いでいることにならないかと、そんなことも考えます。

歩き出すまで、こういう継承を思うなど考えてもみませんでしたが、
ひたすら繰り返す。ひたすら反復して見えてくるもの。
繰り返すことを止めてしまったら見えてこないものが確かにあるようです。

林道歩きが楽しみだった時期は通り越しましたが、
この反復の日課は新しい意味を加えながら豊かに成長を続けております。
コメント   この記事についてブログを書く
« 強く逞しく | トップ | 意識して、知覚する »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

螺旋状に上昇する意味」カテゴリの最新記事