こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

内面を、気楽に観察する

2019年02月10日 | 自己実現
この頃、自己の内面の観察を楽しんでいます。
昔から人のこころ、内的世界の探求は一番の関心事で、
内面を見つめる作業はずーっとやってきたことなのだけど、
以前より気楽で緩い感じが増しているなと。

以前は自己分析にしても何か張り詰めた感じ、
切迫感めいた雰囲気さえ漂わせながら、
作業していたこともあった気がします。

今は微妙な心の動きに興味津々、緩く軽やかな感じですね。

たとえば、こんな感じです。
愛猫のちょっと好い写真が撮れました。
めったにジャンプしない珍しい位置で寛いでいる写真、
気に入ったのでブログに使いたい!
と、こんな考えが浮かんでいることに気づいたならば、
考えるともなく考えていることに、チラッと視線を向けるというか、
ああ考えているね、現れているねと、気づけばそれでお終いです。

考えている人、現れている人とは誰かといえば、
ざっくりいえば防衛機制を作動させる人(部分?)なので、
あえて説明するならば「自我」の動きに気づくことといえるかもしれません。

たとえば、こんなことも。テレビのCMを見て、
この人はあの映画の主役だった俳優ねと言ったら、
夫が、全然違うよ、別人だと否定したことに対して、
間違っているのはあなたで私は見間違えていない!と、
強く主張したい言い張りたい衝動にハッとして、
ああ、相手を負かしたい人が現れているなと気づく。

この気づくことが「間」であり、気づいて主張し続けるか、
主張を引っ込めるかはわかりませんが、とりあえず、
あなたと私、双方の立場を眺める視点に立つことが、
間を取ることで可能になるということでしょう。

いったん感情から離れることを可能にする。
内面を観察する習慣の、これが好いところですね。

不安が本質である部分を緩やかに見つめる態度ともいえますが、
自己のこころを見つめることは、他者のこころを見つめる態度を養うことに、
きっと通じてゆくでしょうね。

こころの微妙な動きにチラッと視線を向ける。
こころの不安定な人(部分)に気楽に視線を送ること、
あなたと私の、全体を眺める場所に立ってみること、
この立ち位置が当たり前になるまで、
自己のこころを見つめる作業、気楽な観察を続けることにします。

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