湧いてくる感情を指針に、生き抜く。これは、わたしの人生の理想です。
この理想が生きられなければ、どんな人生も虚しい。
半世紀生きて、よくよくわかったのですが、
そういう意味では、この理想の実現こそが、わたしの幸福の条件といえます。
感情を指針に行動したいという理想を持ちながら
なかなかその通りにはゆかない現実。
そんな単純なことがどうしてできないのか。
乳幼児から子供、青年時代を経て大人へ。
人は成長する過程で、最初は身近な家族に感情を表現して
相手の反応を通して、感情表現を学びながら大きくなりますが、
この学びが、わたしには決定的に不足していたようです。
素直に表現すると、イヤな思いをする。
その体験が、自分の抑圧傾向をつくりだしたと解釈していますが、
きっかけになった4,5歳頃の出来事を、よく覚えています。
知識として、そんなことはないのだと解っていても、
素直な感情表現はオソロシイ。身体の記憶として残ってしまったのかもしれません。
過ぎた日々は仕方がなかったとしても、
感情の流れをのびのびと生きるためには、これからの日々、
とにかく学習不足を補わなければと切実に思います。
知識として理解しても、身体の記憶を書き換えるとなるとそう簡単にはいきませんが、
感情表現の再学習が可能だということは、本当に本当に大きな希望です。
(92)
この理想が生きられなければ、どんな人生も虚しい。
半世紀生きて、よくよくわかったのですが、
そういう意味では、この理想の実現こそが、わたしの幸福の条件といえます。
感情を指針に行動したいという理想を持ちながら
なかなかその通りにはゆかない現実。
そんな単純なことがどうしてできないのか。
乳幼児から子供、青年時代を経て大人へ。
人は成長する過程で、最初は身近な家族に感情を表現して
相手の反応を通して、感情表現を学びながら大きくなりますが、
この学びが、わたしには決定的に不足していたようです。
素直に表現すると、イヤな思いをする。
その体験が、自分の抑圧傾向をつくりだしたと解釈していますが、
きっかけになった4,5歳頃の出来事を、よく覚えています。
知識として、そんなことはないのだと解っていても、
素直な感情表現はオソロシイ。身体の記憶として残ってしまったのかもしれません。
過ぎた日々は仕方がなかったとしても、
感情の流れをのびのびと生きるためには、これからの日々、
とにかく学習不足を補わなければと切実に思います。
知識として理解しても、身体の記憶を書き換えるとなるとそう簡単にはいきませんが、
感情表現の再学習が可能だということは、本当に本当に大きな希望です。
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