とね日記

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理性の限界―不可能性・不確定性・不完全性:高橋 昌一郎

2021年10月10日 16時56分35秒 | 小説、文学、一般書
理性の限界―不可能性・不確定性・不完全性:高橋 昌一郎」(Kindle版

内容紹介:
私たち人間は、何を、どこまで、どのようにして知ることができるのか?いつか将来、あらゆる問題を理性的に解決できる日が来るのか?あるいは、人間の理性には、永遠に超えられない限界があるのか? 従来、哲学で扱われてきたこれらの難問に、多様な視点から切り込んだ議論(ディベート)は、アロウの不可能性定理からハイゼンベルクの不確定性原理、さらにゲーデルの不完全性定理へと展開し、人類の到達した「選択」「科学」「知識」の限界論の核心を明らかにする。そして、覗きこんだ自然界の中心に見えてきたのは、確固たる実在や確実性ではなく…。

2008年6月19日刊行、280ページ


著者:
高橋 昌一郎: ウィキペディアの記事
Twitter: @ShoichiroT
note: https://note.com/logician/
1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修士課程修了。現在は、國學院大學文学部教授。専門は、論理学・哲学。

高橋先生の著書: 書籍版 Kindle版


理数系書籍のレビュー記事は本書で465冊目。

本書は20世紀になって発見、証明された『人間の理性には超えられない限界があるという、アロウの不可能性定理ハイゼンベルクの不確定性原理ゲーデルの不完全性定理という「選択(経済学、社会学、その他)」、「科学(物理学)」、「知識(数学、論理学)」の領域に与えた3つの衝撃』について、一般の方にも読みやすい軽妙でユーモラスな討論形式で紹介した本だ。だいぶ前にKindle版を購入していたが、早く読んでおきたいと思いつつ数年がたってしまっていた。(Amazonの購入履歴を確認したところ、本書を購入したのは2014年9月である。)


僕は来年10月に還暦を迎えるが、人生とは自らの限界をひとつずつ知っていく旅なのだと思うようになった。どれほど好奇心があっても、体力の衰えは気力と熱意を失わせ、読書や学びのスピードが落ちていくことを日々自覚するようになってきた。仕事を終えて本を読もうとしても睡魔に負けてしまうことが多くなっている。(関連ツイート

自分の限界を初めて自覚したのは幼稚園児の頃である。自分よりも走るのが速い子がいることに気がつき、それは小学生になり徒競走をするようになって決定的なものとなった。どんなに頑張っても自分は速く走れないことを知った。

中学生、高校生の頃には天文、特に天体観測と天文計算をするのが好きになり、天文学者になることを夢見ていた少年の心はまさに「限界知らず」だった。人間の寿命という生物学的な限界を別とすれば、未来の人類はいずれ万能の知性を得ることができるのだと信じていた。

理論的な意味での限界というものがあるのを初めて知ったのは「天体望遠鏡の分解能」について理解したときだった。望遠鏡のレンズや反射鏡の口径を大きくすれば、より細かな映像が得られるようになるはずだが、天体から来る光がもつ波長が有限の値であるため、(2つの天体を区別することができるための)分解能には限界がでてくるのである。現実的には口径を大きくして分解能を高めていっても、ある時点から大気の揺らぎによる分解能の限界のほうが先に現れて限界がでてくる。また、ハッブル宇宙望遠鏡のように大気圏外に望遠鏡を設置しても反射鏡の口径が有限である以上、分解能の限界を取り除くことはできない。

次のページでは、ハッブル宇宙望遠鏡の口径サイズを仮に5cm、10cm、20cm、40cmにしたときに見えるであろう木星の映像の違いを確認することができる。実際のハッブル宇宙望遠鏡の口径は2.4mで、実際に撮影された映像はこのページで見ることができる。

参考:解像力の違いによる映像(木星)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kztanaka/rpsim.html


「ゲーデルの不完全性定理」と「ハイゼンベルクの不確定性原理」の概要を知ったのは、応用数学を専攻し、東京理科大を卒業してソフトウェア開発を手がけるベンチャー企業に就職が決まった頃、「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環: ダグラス・R. ホフスタッター」を読んだときだった。この1987年当時、パソコンはまだネットワークに接続されていなかったものの、UnixやC言語などが日本に紹介され、コンピュータ科学や認知科学の未来に無限の可能性を夢見ていたのが社会人1年生の頃の僕である。就職した会社はPC版の日英、英日機械翻訳ソフトを日本で初めて商用化していた。機械翻訳ソフトの構文解析のためのライブラリは社会人になって最初に僕が取り組んだ課題だった。

コンピュータが社会に与えた影響は、当時想像していた以上のものだ。PCがインターネットに接続され、携帯電話やスマートフォンが一般人に普及するようになると。。。これは皆さんすでにご存知のことだろうからあえて書く必要はあるまい。

しかし、「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環: ダグラス・R. ホフスタッター」を読んだ1980年代、僕は「ゲーデルの不完全性定理」と「ハイゼンベルクの不確定性原理」を誤解していた。それはコンピュータ科学の未来へ賭ける僕の夢が勝ってしまっていたからであり、量子力学を理解していなかったからだった。ハイゼンベルクの不確定性原理の限界を僕は中学生、高校生のときに理解していた「望遠鏡の分解能の限界」と同じようなものだと誤解していた。望遠鏡は反射鏡の口径を大きくすればするほど理論的な分解能は無限に向上していくが、ハイゼンベルクの不確定性原理の限界はそのようなものではない。


「ハイゼンベルクの不確定性原理」を正しく理解できるようになったのは、2006年以降物理学に興味をもち、量子力学の教科書を読んだ後であり、「ハイゼンベルクの顕微鏡(不確定性原理は超えられるか)」や「量子と情報 ―量子の実在と不確定性原理―: 小澤正直」を読んだおかげだ。科学、そして特に物理学の測定に限界があることが理論的に導き出されることに衝撃を受け、それが量子力学の本質のひとつであることにまったく新しい世界観が開けた気がした。

「ゲーデルの不完全性定理」を正しく理解できるようになったのは「数学ガール/ゲーデルの不完全性定理:結城浩」を読んだときである。大学時代に応用数学を専攻していただけに、数学は完璧な理論的構築物だという思いを強くもっており、「実は完璧ではないのですよ。」と告げられたときのショックは大きかった。そしてこの定理はアラン・チューリングによる停止性問題の決定不能性定理、チューリング・テストとともに、将来のコンピュータ、AIの理論に対して大きな影響をもっている。

「アロウの不可能性定理」を僕が知ったのは10年ほど前のことで、ウィキペディアの記事を読んだことによる。小学生の頃から正しいと信じていた「多数決」の方法が、「実は間違っていることもある」とか「完全な方法ではない」と知らされる衝撃はかなり大きい。この定理は全国の小学生にも知らせるべきだと思う。最近のことで思い当たるのは自民党の総裁選で採られた2段階の投票形式であり、近々行われる小選挙区制による衆議院選挙だ。この定理によると、民意は正しく国政に反映されていくのだろうという確固たる根拠が得られていないということになる。

実際の政治では、投票結果が民意を反映するかどうかよりも、公約を守らない党や政治家、利権にまみれた腐敗政治、三権分立や憲法を無視した政治が行われるなど、アロウの不可能性定理を論じるための土台が崩れていると僕は感じているが、嘘つき政治家や派閥闘争に明け暮れる政党を見破り、「Yes」か「No」を示す有権者の投票行動もアロウの不可能性定理がカバーする範疇の選択行動なのかなと思うこともできる。選挙前になると美辞麗句を繰り返すのが政治家だ。来たる衆院選では正しい選択をしたいし、それ以前に「選択をする」=「投票をする」人数を増やすことが大切だと思う。


本書はこの3つの分野の限界定理を一般の人でも楽しく読めるように、架空の人物たちによる討論会形式で書いた本だ。登場するのは司会者・会社員・数理経済学者・哲学史家・運動選手・生理学者・科学社会学者・実験物理学者・カント主義者・論理実証主義者・論理学者・シェイクスピア学者・大学生A・国際政治学者・フランス社会主義者・フランス国粋主義者・心理学者・A候補・B候補・C候補・D候補・E候補・情報科学者・急進的フェミニスト・映像評論家・ロマン主義者・法律学者・科学主義者・科学史家・方法論的虚無主義者・相補主義者・ロシア資本主義者・大学生B・大学生C・大学生D・大学生E(登場順)である。それぞれ個性的で自分が詳しい分野に沿って考えを主張したり、感情をあらわにするから面白く読むことができる。

話が本筋から外れそうになったり、専門的になりすぎたりすると司会者はその都度「その話はまた別の機会に伺うことにして、科学に話を戻してください。」や「哲学の認識論のお話はまた別の機会に伺うことにして、ここではハイゼンベルクの不確定性原理の説明をお願いします。」という本書(そして本シリーズの)決め台詞を使って、話題が本筋からそれないようにしている。僕自身は本書の登場人物の中では科学主義者や科学史家に該当するのだと思うが、本の紹介をするために記事を書き始めながら、これまでの自分のことばかり書いてしまうようなタイプだから、もし僕がこの討論に参加したら司会者から真っ先に「その話は今度伺うことにして。」と話をさえぎられてしまっていたことだろう。

章立ては次の通りである。

序章 理性の限界とは何か
第1章 選択の限界
第2章 科学の限界
第3章 知識の限界

本書の中の「ハイゼンベルクの不確定性原理」、「量子力学」についての説明に関しては、いわゆる「これまでのタイプの量子力学」つまり二重スリット実験やEPRパラドックス、シュレーディンガーの猫など、従来の科学教養書に見られるのと同じ解説がされている。しかしその後、量子力学は情報理論による理論的裏付けがとられ、もはや奇妙な解釈をしなくてよい学問になっている。新しい量子力学の解釈については、先日「入門 現代の量子力学 量子情報・量子測定を中心として:堀田 昌寛」や「現代量子力学入門:井田 大輔」という本の紹介記事に書いている。今後、科学教養書における記述は新しい解釈をもとに影響を受けて変わっていくのだろう。


20代の頃、僕はアイデアが泉のように湧き出て、自分のことをアイデアマンだと思っていた。しかし今になって思うとそれは幻想のようなものだった。若者とは元来そういうものであるし、若者の無限の可能性を秘めている。それが若者の特権であり、自分の可能性を信じて、どんどん前に進んでほしい。

しかし若者には本書を読んで、この世界には技術的な限界や生物としての限界だけでなく3つのタイプの理論的な限界があることを知ってほしいと思う。世の中、そう単純なものではないし限界はあるということを日々の生活で感じていたとしても、この3つの理論が示す根源的で深いタイプの限界があることを知っておくのは、現代人として必須な教養のひとつだと思う。

また、コンピュータ科学、特にビッグデータ、機械学習、人工知能に興味を持っている人にも読んでほしい。機械学習はもはやアルゴリズムを工夫するというより、極めて高速になったコンピュータの計算能力に任せた手法を採っている。本書で解説されているゲーデルの不完全性定理やチューリングの理論は、もはや考えなくてすむようになったのだろうか?いちど立ち止まって考えてみるのが大切だと思う。


高橋先生は、その後2冊をお書きになっている。先生の「限界シリーズ3部作」は、ここからお買い求めいただけるようにしていおいた。

理性の限界―不可能性・不確定性・不完全性:高橋 昌一郎」(Kindle版
知性の限界―不可測性・不確実性・不可知性:高橋 昌一郎」(Kindle版
感性の限界―不合理性・不自由性・不条理性:高橋 昌一郎」(Kindle版

  


また似たような名前の本として「知の限界」という本がある。この2冊の専門書は有名で、今年の3月に復刻改装版が出ていることに気がついた。専門書なので慌ててポチってしまわないよう気をつけていただきたい。

知の限界[復刻改装版] :グレゴリー・J・チャイティン
数学の限界[復刻改装版] :グレゴリー・J・チャイティン

 


関連記事:

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環: ダグラス・R. ホフスタッター
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/6220ca683bd90204f671b44633e56890

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f9b0b9264e35a680ce974fcbf17c62c0

ハイゼンベルクの顕微鏡(不確定性原理は超えられるか)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/5597b85d83e795a22e97ca4d4ab97123

量子と情報 ―量子の実在と不確定性原理―: 小澤正直
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/85535b676ced7641d936c60d265105bc

フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔:高橋昌一郎
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/7dcd6fcf20e698dd23b0d72f82051035


 

 


理性の限界―不可能性・不確定性・不完全性:高橋 昌一郎」(Kindle版


序章 理性の限界とは何か

- 選択の限界
- 究極の限界値
- 科学の限界
- 知識の限界
- ディスカッションのルール

第1章 選択の限界

1. 投票のパラドックス
- コンドルセのパラドックス
- ボルダのパラドックス
- アメリカ合衆国大統領選挙の矛盾

2. アロウの不可能性定理
- コンドルセ勝者
- 複数記名方式と順位評点方式
- パウロスの全員当選モデル
- 完全民主主義の不可能性

3. 囚人のジレンマ
- タッカーの講演
- ウォーターゲート事件
- 繰り返し囚人のジレンマ
- コンピュータ・コンテスト

4. 合理的選択の限界と可能性
- ミニマックス理論
- ナッシュ均衡
- チキンゲーム
- 社会的チキンゲーム
- 集団的合理性と個人的合理性

第2章 科学の限界

1. 科学とは何か
- 科学と理性主義
- 天動説と地動説
- ラプラスの悪魔
- ハレー彗星の予測

2. ハイゼンベルクの不確定性原理
- 光速度不変の原理
- 相対性理論
- ミクロの世界の不確定性
- 実在的解釈と相補的解釈

3. EPRパラドックス
- 実在の意味
- 二重スリット実験
- 神はサイコロを振るか
- シュレーディンガーの猫

4. 科学的認識の限界と可能性
- 進化論的科学論
- パラダイム論
- 方法論的虚無主義
- 何でもかまわない

第3章 知識の限界

1. ぬきうちテストのパラドックス
- 集中講義の疑問
- エイプリル・フール
- オコンナーの語用論的パラドックス
- スクリブンの卵
- クワインの分析

2. ゲーデルの不完全性定理
- ナイトとネイブのパズル
- 命題論理
- ナイト・クラブとネイブ・クラブのパズル
- ペアノの自然数論
- 述語論理と完全性
- 自然数論と不完全性
- 不完全性のイメージ
- 真理と証明

3. 認知論理システム
- ゲーデル数化
- 認知論理
- ぬきうちテストのパラドックスの解決
- 認知論理と人間理性

4. 論理的思考の限界と可能性
- 神の非存在論
- テューリング・マシン
- テューリング・マシンの限界
- アルゴリズム的情報理論
- 究極の真理性Ω
- 合理的な愚か者

おわりに
参考文献

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2 コメント

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限界? (hirota)
2021-10-21 01:27:44
ここに書かれている「限界」はホントに限界なのかな?
単に過去の認識が間違ってて、間違った認識の元では「限界」とみなされるだけのように思える。
例えば不完全性定理で言えば、かっては正しい/間違いが必ず確定するものと思ってたことが間違いで、実はそのような確定した限界は存在せず、何かを否定した世界も肯定した世界も自由に構成できる事が示された「限界の破壊」と見ることもできる。
現在の数理論理学は獲得した自由を探索する方向に行ってるんじゃないなかな?
不確定性原理も、これを「不確定」と見るのは古典力学に縛られた錯覚で「不確定」状態自体が既に確定してる状態ベクトルと見れば限界でも何でもないのでは?

ところで「コメント利用規約」ってコメント投稿者に対する規約じゃなく、このコメント蘭を設定してる人に対する規約なのでは?
なんか意味をなさないんだけど。
Re: 限界? (とね)
2021-10-24 17:47:13
hirotaさんへ

おっしゃるとおりです。でも、この本の対象読者にとっては「限界」と書いた方が伝わりやすいのだと思いました。

「コメント利用規約」が追加されていることに今日気が付きました。これ、ブログの管理者向けの規約ですね。頓珍漢です。

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