末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

国立西洋美術館の「手の痕跡」展 その4

2013-02-08 21:13:19 | 展覧会
ブールデルの作品

ブールデル;首のあるアポロンの頭部

その2に「首のあるアポロンの頭部は、師であるロダンの影響から離れ

独自の表現を獲得した時期の記念碑的な作品です」と書きましたが、

遅れましたがその像を掲載します

ブールデル:首のあるアポロンの頭部1900年

確かにこの像の前にたって見ると、ロダンとは違うと云う感じを受けました。

西洋美術館の解説によると

「ブールデルはロダンの弟子として強い影響を受けたのですが、

同時にロダンの彫刻に対して鋭い批判の眼をも向けるようになりました。

人間的な苦悩や愛を超越した、より深い精神的調和を目指すブールデルにとって

ロダンの彫刻は、あまりにも現象的なものの追求にとらわれていると映じたのです。

この像の引きしまった顔立ち、硬質で鋭角的な構成力は

この作品に理知的ともいえる性格を付与している」とあります。

ブールデル:ノーベル文学賞を受賞した詩人・小説家・批評家の
アナトール・フランスの胸像

ブールデル:アナトール・フランスの胸像 1919年

その2で間違えてロダン作品の中にいれてしまいましたので、改めてこちらに掲載しました。

ブールデルはアナトール・フランスと親しかったそうです。

アナトール・フランスの写真

モデルをそのまま写しとるのではなく

内面を表現することで写実以上の真実を得ることを目指した様ですが

写真と較べてどうでしょうか。

ロダンの大理石像

この章の最後にブロンズ像と異なった感じの大理石像を掲載します。

ロダン:泣く女 1890年

泣く女 どういう女性か全く分りませんが、見てるだけでも小生息苦しくなります


ロダン:洗礼者ヨハネの首 制作年数不明

洗礼者ヨハネの首

これはヨハネが首をはねられて処刑された後の姿でしょうか?。

その1で掲載した強靭な肉体の農夫をモデルにした下の像とは余りにも印象が違いますね。

説教する洗礼者ヨハネ




国立西洋美術館の「手の痕跡」展 その3

2013-02-05 14:49:57 | 展覧会
また途切れてしまいましたが、だい2章 肖像・頭部彫刻の続きです。

ロダン:ロダン夫人(ローズ・ブーレ)のマスク1880-1882頃

二人の女性を犠牲にしてのロダンの芸術

ローズ夫人の像が出た所でロダンの女性関係について触れてみます。

ロダン夫人ローズ

ロダンは24歳の時には生涯の妻となる裁縫職人のローズと知り合い

長男をもうけていますが長い間内縁の状態で

結婚の手続きをしたのは死期の迫ったローズ73歳、ロダン77歳でした。

正式結婚をした16日後にはローズは死去し、更に9ヵ月後にはロダンも死去しました。

そしてロダンの末期の言葉は

『パリに残した、若い方の妻に逢いたい。』だったそうです。

逢いたい若い妻」といわれたカミーユ・クローデル(1864-1943)

ロダンは地獄の門の大作に取り組むに当たり中々構想が纏まらず悩みました。

その時期に子供の頃から彫刻に親しみ、卓越した技術と才能を発揮していく

類まれなる美貌の彫刻家カミーユ・クローデルと出会い、彼女が弟子になります。

美貌のカミーユ・クローデル

彼女に夢中になった42歳のロダンは、19歳のカミューを

もう一人の内縁の妻としました。

ロダンは2人の女性のどちらかを選ぶことはできなかったため

三角関係はその後15年にわたって続きます。

ロダンにとってローズは大きな心の安らぎの存在であり

カミーユは若さと美貌と才能に満ち溢れた刺激的な存在でした。

ロダン:接吻 18882-87頃

この作品は、ダンテの『神曲』のパオロとフランチェスカの悲恋に想を得たもので

初め《愛の誓い》、あるいは《パオロとフランチェスカ》とよばれました。

けれども「恋愛こそ生命の花である」と言っているロダンは

むしろ清純で熱烈な愛の勝利を謳っています。

ダンテの神曲から取材したものの

実際はロダン自身とカミーュがモデルといわれています。

この作品は人気があり、世界で300点以上もあるそうです。



華やかな若い弟子からインスピレーションを得たロダンは

芸術上の悩みを超克して大成しました。

一方のカミーユは、その生まれ持った才能とは裏腹に

世間では全く評価されず、ロダンのコピーだと言われ続けられる有様。

私生活では20代後半にはロダンの子を妊娠するも流産

そして内縁の妻ローズとカミーユの間で揺れていたロダンも

最終的にはローズの元へと去って行ってしまい多大のショックを受けます。

それらの事からカミーユは精神を病み、ついには発狂してしまい精神病院に入院

誰にも看取られる事無く78歳で亡くなりました。

天才彫刻家カミーユの悲惨な運命は、後に数々の小説になったり

映画になったりして、今では広く人々に知られる所となり

近年においては彼女の作品に再評価の光がさしているようです


カミーユ:分別盛り 1899年(本展覧会とは関係ない作品)

この彫刻では、「中央に初老の男、その左後方に老婆がいて

老婆はその男を左のほうへ導こうとしています。

そして右にはその男に追いすがり捕まえようと手を伸ばす若い女

しかし倒れこみそうなほど前のめりになっても

彼女の手はけっして男に届くことはない。」

と言う事で一般にはこの作品は、愛人関係にあったロダンとの仲を

老妻に引き離されることになった場面と説明されています。

今日も誕生日祝い

2013-02-02 20:45:27 | 暮らし
祝いのケーキ
 

蝋燭に火を灯した祝いのケーキ

今日は娘夫婦と孫が誕生祝いに来てくれました。

お祝いのケーキに蝋燭を灯して皆で祝ってくれ

其の後美味しいケーキを食べました。

ボケ爺さんその時は珍しい形の蝋燭だとしか見ていなっかったのですが

今写真を見て、81歳を表した蝋燭だった事に気が付きました。

色々便利なものがあるのですね。

孫 娘

孫はもう18歳になります。

18年前に我が家のベッドで大泣きをし、歌の名前は忘れましたが

その歌か、風呂場のシャワーを出す音を聞かせると泣きやんだ孫です。

今日は娘が2度だけ着たという、成人式に作った着物を

成人式に着てはどうかという事で試着をしました。

洋服の上に試着している孫と婆

母親や婆より背も高くなり、成人式の準備をするようになったのですから

爺さん歳をとるわけです。

孫に「おじいちゃんも成人式の姿は見れそうだし

上手くいけば結婚式も見れるかな」と言ったら

「結婚するかどうか分からないよ」と言われてしまいました。


お雛様

机の上に並べられたお雛様

娘のお雛様を我が家で預かっており、娘の所では去年から猫を飼いだしたので

飾れないという事で、家内が人形だけを出し

雛壇は娘の中に置いてあるため、机の上に並べておきました。

内裏雛


夕食を一緒に食べに出ようと誘ったのですが、猫が待っているのでと

帰ってしまい残念でしたが、お祝いのケーキや、わが家で用意した

ケーキその他を食べてお腹一杯。結局夕食は抜いてしまいましたから

丁度良かったかもしれません。

お蔭で孫達と半日楽しい会話をして、元気をもらいました。

国立西洋美術館の「手の痕跡」展 その2

2013-02-01 21:17:45 | 展覧会
少しあいてしまいましたが、続けます。

第2章 肖像・頭部彫刻

ロダン20点、ブールデル2点が展示されていました。

初期には《父の胸像》や《髪に花を飾る少女》などで

古代あるいはロココ時代の影響をも示したロダンは

後に身近な批評家や画家、小説家などをモデルにして肖像彫刻を多数制作しました。

ロダンは頭と胸部という限られた造形要素ももとに

そのモデルの人格さえ暴きだすような作品を作りました。

ブールデルは、モデルをそのまま写しとるのではなく

誇張し翻訳することで写実以上の真実を得ることができると考えていたそうで

首のあるアポロンの頭部」は、師であるロダンの影響から離れ

独自の表現を獲得した時期の記念碑的な作品です

初期作品

ロダン:髪に花を飾る少女 1870年

ロダン:父の胸像 1860年

父のジャン・パプチストは貧しい警察署の書記でノルマンディの出身でした。

ロダンの強靭で剛毅な性格と体格はこの父から受けついだものの様です。

ロダンの写真を掲載しますが、似た所がありますか?

ロダン53歳の写真

その後の肖像彫刻

フランス・ロマン主義の詩人、小説家ヴィクトール・ユーゴー

ロダン:ヴィクトール・ユーゴー 1886年

老齢におよんでモデルになるのを嫌ったユーゴーは、肖像制作を許可したものの

積極的にはその制作に応じなかったので

ロダンは書斎のユゴーをバルコニーの外から観察したと伝えられています。

この肖像はユーゴー家には好意的に迎えられなかったようであり

ユーゴーの死に際して、遺族はロダンの友人の彫刻家ダルーに改めて

デス・マスクの採取を依頼しています。

下はユーゴ-の肖像画の顔の部分です。

ユーゴー肖像画の顔


ヨーロッパで活躍した日本人女優花子

明治から昭和初期にかけヨーロッパ各地で芝居の公演を行い

人気を博した花子(本名太田ひさ、1868-1945)は

愛知県の旧家に生まれ、1901年に渡欧、21年頃まで欧州各地を巡業しました。

ロダンは日本人びいきで知られ、

マルセイユ劇場に出演していた花子を見染めモデルに依頼しました。

そして5年間に様々な素材と手法による58点もの作品を残しています。

ロダン:花子の頭部 1907年

本作品は、眼を寄せ、眉をしかめた花子の顔を表していますが

この表情は、日本の芝居のなかで様々な情感を示す型の一つで

ロダンは芝居の「死」の場面で花子が見せたこのような表情に大変興味をそそられ、

「死の首」と呼んでその制作に没頭したと伝えられています。

ロダン:花子のマスク 1907年 
死に向かった、穏やかな夢見るような表情