先に水道技術研究センターのOB会について書きましたので
今回は小生が最初に出向した(財)水道管路技術センターについてご説明させて頂きます。
水道用石綿セメント管診断マニュアル
水道システムは、川の水等を浄水装置で飲料水にまで清浄化し、水道管を通して需要者の所に届けるシステムです。
その水道管としての石綿セメント管は施工性がよく、また安価であったことなどから、
昭和30年代から40年代を中心に多く使用されました。
しかし石綿セメント管は、強度が弱く、破損率が他の管種より高いこともあって、
漏水防止や水道管路耐震化の観点からも取り替えが必要と考えられるようになりました。
そこで石綿菅を診断する手法を開発することで、事故の未然防止と計画的な更新が行える様にするため
「水道用石綿セメント管診断マニュアル」の作成が水道管路技術センタ-の最初の仕事として取り上げられました。
出来上がったマニュアルを用いて各水道事業体が、診断と更新を行った結果石綿セメント管延長は着実に減少し
H26年度でもH19年度の半分以下になっています。
管路センターに出向された一期生の皆さんは、石綿セメント菅についての知識を持たれた方達でしたから
マニュアル作成に参加されましたが、小生は知識が全く無いため参加できませんでした。
技術委員会
センターでは、今後行うべき研究課題の検討を行う「技術委員会」があり、
小生はその事務を担当し、検討結果を「水道管路調査研究・技術開発長期計画」という本にまとめました。
そのため審議の過程で水道管路について色々と勉強することが出来ました。
更に良かったことは、技術委員会のメンバーには、後に大都市の水道局長になられた方がお二人もおられたように、
優秀な水道人や企業人が参加されており、その方達と親しくなれたことは、
その後の仕事を進める上に非常に役立った事でした。
終わり
今回は小生が最初に出向した(財)水道管路技術センターについてご説明させて頂きます。
水道用石綿セメント管診断マニュアル
水道システムは、川の水等を浄水装置で飲料水にまで清浄化し、水道管を通して需要者の所に届けるシステムです。
その水道管としての石綿セメント管は施工性がよく、また安価であったことなどから、
昭和30年代から40年代を中心に多く使用されました。
しかし石綿セメント管は、強度が弱く、破損率が他の管種より高いこともあって、
漏水防止や水道管路耐震化の観点からも取り替えが必要と考えられるようになりました。
そこで石綿菅を診断する手法を開発することで、事故の未然防止と計画的な更新が行える様にするため
「水道用石綿セメント管診断マニュアル」の作成が水道管路技術センタ-の最初の仕事として取り上げられました。
出来上がったマニュアルを用いて各水道事業体が、診断と更新を行った結果石綿セメント管延長は着実に減少し
H26年度でもH19年度の半分以下になっています。
管路センターに出向された一期生の皆さんは、石綿セメント菅についての知識を持たれた方達でしたから
マニュアル作成に参加されましたが、小生は知識が全く無いため参加できませんでした。
技術委員会
センターでは、今後行うべき研究課題の検討を行う「技術委員会」があり、
小生はその事務を担当し、検討結果を「水道管路調査研究・技術開発長期計画」という本にまとめました。
そのため審議の過程で水道管路について色々と勉強することが出来ました。
更に良かったことは、技術委員会のメンバーには、後に大都市の水道局長になられた方がお二人もおられたように、
優秀な水道人や企業人が参加されており、その方達と親しくなれたことは、
その後の仕事を進める上に非常に役立った事でした。
終わり
専門家の方方が製品向上のためご苦労されているんですね
もし水道がとまったら大変なことになりますね
北海道では、苦しんでいます
子供の頃、田舎で井戸水を風呂に入れる作業が楽しくて、
夏休み等お手伝いしましたが、祖父や祖母は大変な作業だったと思います。
雨の日も井戸端で洗い物をしたり、洗濯したりですからね。
汲み上げる井戸で、ポンプなど無かったので、家事は重労働でしたね。
断水すると、水道の有り難みがよく分かります(^^)
“新設用水道碑”に出会いました。
から暗渠で水路を造り、各家庭にマンボを設置して
生活用水・防火用水にしていたそうで1904年(明治37年)に完成したとのことでした。
今でこそ上水ですけど、昔は川の水を家庭に引いていた水道ですね。
我々の目にふれませんね。今この水道管が老朽化しているのが
多く、各自治体はその対策に苦労している様です。
今この水道管が老朽化しているのが
多く、各自治体はその対策に苦労している様です。
共同の井戸での水くみは大変でした。
確か洗濯は庭の裏に流れる小川で行っていました。
始めて出会い知る事ができました。有難うございます。
小生の長野の家も小さい頃は水道が無く、共同井戸で
水くみをして運ぶのが大変でした。