末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

復元された東京駅 その2

2012-10-20 21:19:10 | 東京散歩
皇室・貴賓専用出入口
沢山の人が写真を撮って見ている皇室・貴賓専用出入口

右手前の石には「東京駅」の表示

東京駅標識

皇室・貴賓専用出入口が何故東京駅舎の中央にあるのでしょうか。

それを知るには東京駅建設の歴史を見ることです。


東京駅建設の歴史

1889年に官営鉄道の新橋 - 神戸間が全通し

私鉄の日本鉄道は上野を始発駅として青森に向けて線路を建設していました。

しかし上野―新橋間は結ばれていなかったために

そこを結ぶ高架鉄道の建設が行なわれる事になり

新線の途中に中央停車場を建設することが

1896年の第9回帝国議会で可決されました。

建設は日清戦争と日露戦争の影響で遅れて1914年12月18日に完成し

「東京駅」と命名されました。

1919年には中央本線が、1925年に東北本線が乗り入れ

1929年には東側の八重洲口も開設され徐々に発展していきました。

所でこの東京駅の設置場所は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく

建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設されたのです。

それは丸の内側の中央皇室・貴賓出入口を皇居の正面に設定することで

国家の象徴的な「天皇の駅」としての位置付けをした様です。

現在この出入口から皇居方向へ進むと

行幸通りを経て皇居・和田倉門へと通じています。

立派な行幸通り
(写真を撮るのを忘れましたのでインターネットサイトからの借物)


駅長室と0キロポスト
皇室・貴賓専用出入口付近

上の写真で皇室・貴賓専用出入口の向かって左側には

普通の乗客が利用する小さな中央口があります。

向かって右側の人が沢山いる後ろに入り口がありますが

これが多分駅長室入口(今回確認していません)です。

NHKの復元東京駅紹介の中に、駅長室が鉄道の重要な位置になっている

ことを紹介していましたのでそれについて触れてみたいと思います。

鉄道線の距離を表すのに必要な路線の起点となる場所を

「0キロポスト=正式な起点」と呼ばれます。

新幹線も在来線も、JR線の多くの起点は東京駅にありますので

東京駅の各ホームや線路脇に0キロポスト標識が設置されているようです。

1番線の0キロポスト標識(借り物写真)

各番線により標識は違っているとのことです。

小生今まで全く気がつきませんでしたので、今後の調査対象の一つです。

実は駅長室のある位置が0キロポストにあたり

それを基準に各線路の0キロポスト標識が置かれているとの事です。


復元された南北二つのドーム

復元結果の注目ポイントは、何と言っても南口と北口の二つのドームです。

八角形の天井

天井を見上げると、一番上の天井には鷲8羽のレリーフが

その下の壁角には見にくいですが8つの干支のレリーフを見ることができます。

鷲のレリーフ

翼を広げ空を舞う大きな鷲の両翌間は約2.1mと非常に大きなものです。

鷲のレリーフ

大きさを実感して頂ける取り付け作業状況(NHKTV放送より)


干支のレリーフ

干支のレリーフは全部を一緒に撮れません

干支のレリーフの数は全部で8つです。 

上の写真でご覧頂けるように、8角形のそれぞれ角についていますから

8つしかつけられません。では8つは何の干支がどうして選ばれたのでしょうか? 

なお南口と北口のドームはどちらも全く同じです。

実はこの干支のレリーフは

単なる飾りではなく方角を示しているのです。

飾られている干支レリーフは、丑(北東)、寅(北東)、辰(南東)、

巳(南東)、未(南西)、申(南西)、戌(北西)、亥(北西)です。

一方省かれているのは卯(東)、酉(西)、午(南)、子(北)であります。

では何故でしょうか?

干支の飾られている位置と方角

上図をご覧頂けば分かると思いますが

東西南北にあたる部分は角でないために干支が飾られていないわけです。

干支が卯、酉、午、子の方は、ご自分の干支のレリーフ無くて残念ですが

機会があったら是非ご覧になって下さい。

撮影が上手くいかず、レリーフが正確に撮れていませんが

北東の丑から右回りに掲載します。


丑(北東)

寅(北東)

辰(南東)

巳(南東)

未(南西)

申(南西)

戌(北西)

亥(北西)

その他写真に残っていたレリーフ





最後にドームの下までの姿

写真が切れている一番下は通路