元麻布、黄桜邸
レイはある決心を胸に黄桜邸を訪れていた。
女中に応接間に通され、しばらくすると良子がやってきた。
・
紅茶の置かれたテーブルを挟んでレイの真向かいに座る良子は
今日も仕立てのよい着物を着ている。
「驚いたわ?私のお願い、聞いてくれたんじゃなかったの?」
女優だった良子の声と見た目は、年を重ねた今も美しい。
良子が東活映画のスターだったころ、”野に咲く薔薇の花”というキャッチコピーを付けられていた事も納得できる。
そう、薔薇の花だ。
残酷な棘を隠し持つ彼女はいまや野に咲くそれではなく、
黄桜という温室で充分な養分を与えられ咲く、高級な薔薇となっていた。
お互い紅茶には手を付けず、視線を合わせる。
レイが口火をきった。
「一度お約束しましたが撤回させていただきます。わたし、賛成さんとは別れません」
すると良子は着物の袖から何かを取り出しレイの前に置いた。
茶封筒。
また、金か。
「はっきりおっしゃいな?お金が足りないの?」
「いいえ、お金はいりません。賛成さんから離れることはできません。それだけです。
きちんとお伝えしたかったんです。」
「あなた、わかっているの?八頭ノ小路の支援がないと、賛成ちゃんは全てを失うのよ?
(ファンチャンソン主演あなたのノワールいよいよ本日23:10KBSにて放映)
「それでも...離れられないんです、わたしたち。
賛成さんもすべてを知っています。お義母さまが私に言った事も、隠せませんでした」
賛成の前から消えろと言ったこと。
良子にとって息子には知られたくない事だろう。
しかし、良子は特に気にしていないように平然と紅茶をすする。
「私とお義母さまの問題だと思ったので、賛成さんには何も言わずに今日ここへ来ました。
お義母さまは...私のこと気に入らないと思います。
でも、出来れば認めていただきたいんです。だってつらいのは賛成さんだから」
(ファンチャンソン主演あなたのノワールいよいよ本日23:10KBSにて放映)
母親を憎みたい子供なんていない。
だから良子に歩み寄ってほしい。
しかし、
「お義母さまなどと…呼ばないで頂戴っ!」
良子の声が初めて、強く乱れた。
「おかあ…」
取り乱す良子が怖いというよりは…哀れだと感じた。。
「あなた...の言うとおり、一度は賛成さんの前から消えました。それが彼のためなら身をひこうと。
でも本当にそれが彼のためなんでしょうか?お金や権力や…」
「お金や権力より愛だっていいたいのね?」
「そう思っています」
「ふん、本当の貧しさを知らないのね...」
良子が遠い目をする。
彼女が戦争で父親を失い、母、兄弟を養うために早くから女優になったことはレイも知っていた。
この遠いまなざしはその貧しかった子供時代を思い出してのものなのか。
「レイさん、さっきわたくしに向かって”あなた”と言ったわね?
失礼よ。まったく、躾けのなってない娘(こ)ね!
愛だなんだというのは、持たないものが生きていくための慰めですよ。
いい?賛成ちゃんは生まれてから何不自由ない、いえ、最上級の暮らしをして来た子よ。
本当に何もなくなるという事を頭で理解しているかもしれない。でも実際に無かった事はないの。
賛成ちゃんが路頭に迷ってもいいの?あの子は貧乏暮しなんて出来る子じゃなくってよ?
愛しているというなら、まず相手の立場を考えるものでしょう?」」
(ファンチャンソン主演あなたのノワールいよいよ本日23:10KBSにて放映)
話は平行線どころか、どんどんと距離を開けてゆく。
レイは言い返したいことの多くを飲み込み、心を落ち着け冷静に言葉を選ぶ。
「立場は考えました。だから…消えたんです。でも…。
賛成さんの愛を、見てみぬふりをする事はできません。
そして私は彼を諦める事ができません。あなたは、愛を軽んじてますが、
私は愛を信じることができます、愛を裏切れません…!」
「ああ!あ--!!もう帰って!」
良子はついにヒステリーを起こし叫んだ。
「...はい、帰ります。言いたいことは、言わせていただきました」
「帰りなさい!帰って!」
レイはソファから立ち上がった。
高級な家具、食器、古いが手入れの行き届いた屋敷。
もう二度とここに来ることはないかもしれない。
「わたし…あなたをお義母さまとお呼びしたかったです」
良子の顔をじっと見る。しかし良子は視線を合わそうとはしない。
レイはその場を立ち去った。
・
良子は女中に水をもってこさせ一気に飲み干す。
頭に血がのぼる。
賛成ちゃんの愛?
あの小娘はよくもいけしゃあしゃあと・・・。
飲みほしたグラスを乱暴に机の上に置いた。
そのそばに-
さっき良子が置いた、金の入った茶封筒がそのままの形でそこにあった。
それは小汚く見え、出した自分がなんだかとてもみじめに思えた。
息子の事を考えて最善の方法を考えただけだ。
愛で生活は出来ない。
しかし-
母親としてなにかを見落としているかもしれない事は賛成が不良になった頃から感じていた。
その”なにか”を見て見ぬふりをして今まで来てしまったのだ。
(愛…)
ふと
今まで目の前にいた娘の真剣なまなざし、あれは、不良時代の賛成が時々良子に見せていた目と似ている―。
そう思った。
(あの娘の濁りのない瞳はなんなの…?愛を裏切れない?
なにを...台詞みたいな事をいっているの...映画でも言ったことなくてよ?)
いままでレイのように面と向かって良子に対峙し意見してくる人間などいなかった。
それはわけのわからぬ憤りとなって良子を不安定にさせた。
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渋谷、サイパー.com
「ホーリー!」
「俊!」
堀辺創と紀村俊、久々の再会。
二人の接点。
それはJの想像通りだ。
デイヴィッド・ベッカム。
ユニセフのボランティア活動を通じて知り合った堀辺創とベッカム。
一方、紀村とベッカムはWWF(世界自然保護基金)を通じて知り合った。
パンダマークに触発され(パンダグッズ目当てという事もあったが)以前から寄付金などの協力をしていた紀村と、
サッカーワールドカップ南アフリカ大会で人権ボールが発売された際、WWFに賛同し広報に尽力したベッカム。
(出典:共同通信社)
やがてベッカムを通じ知り合いになった紀村と堀辺はすぐに意気投合し、
ホーリー、俊、と呼び合う仲になったのだ。
「ホーリー、久しぶりだな。ロンドンでデイヴィッドとも話してたんだぜ?なにしてるかなってさ!」
創は微笑んでうなづく。
「なあ、メシいこうぜ?道玄坂にいいタイ料理があるんだ。好きだったろ?安いけどうまい店だ。ゆっくり話したいな」
「うん、俊。ほんとにそうしたいところなんだけどネ...いまから湾岸に行かなきゃならないんだ」
「湾岸?」
「...ああ」
創が言いにくそうに下を向いた。
「湾岸って」
俊は無言になる。
ホーリーこと堀辺創がJYグループの御曹司なのを俊は知っている。
JYグループ。アメリカの巨大企業。
その跡継ぎがこの時期日本を訪れ紀村、それから湾岸に行くと言っている。
何を意図してのことか、
東大理1を現役合格した俊は瞬時に悟った。
創が口を開く。
「俊、もうやめないか?敵対的TOB」
真剣な問いかけ。
「今からプチテレビに公式訪問する。ぼくが-ホワイトナイトだ。プチを助けるために日本に来た」
「なん...で?」
俊はわなわなとふるえていた。ホワイトナイト?プチを助ける?信じられない。
「俊、君には才能がある。それもビジネスセンスとアーティストセンスを兼ね備えた稀有な才能だ。
こんな不毛な戦いに注力するのはもうやめないか?」
「ホーリーお前!いつから知ってた?いつからこうする事考えてた?!」
「いつから?いつからかな...夏の初めかな?
いや、それより随分前から考えていたともいえる。ずっと、見守っていたから」
見守ってた?
何を?
「俊、一度仕切り直すんだ。敵対的にではなく友好的に。
プチテレビとサイパー.comが手を組めばすばらしい未来が開けると思うよ?
ぼくはそれを見てみたいなあ?」
玉澤社長×紀村社長、きっと魅力、無限大。
「悪いがぼくはサイパーについて調べさせてもらったよ。一連の株取得で資金は底をついているね?
このままじゃ、君の経営責任が問われる。身を滅ぼすぞ?」
確かに資金は底をついていた。
それでも買収を進める俊の強硬な姿勢に、サイパー社内でも経営責任を問う声があがっているのも事実だ。
俊は創の情報網の底知れない広さに怖れを感じた。やっぱり半端な企業じゃない、JYグループ。
「創」
うっ
「それでも俺はやめないよ?やりたいことはすべて叶えてきたんだから…今回だって…」
俊はかたくなだった。
「やりたいことじゃ、ないだろ?」
「……」
「俊、君にとってほんとにやりたい事をもう一度考えてみて?今やってることは…ただの復讐だ」
「もういい。プチテレビの味方を止めるつもりはないんだな?ホーリー?」
俊が創へ、ゆっくりとした口調で問いかけた。
「ああ」
創は一歩も引かなかった。
「おまえのこと、友達だと思ってた」
「友達だよ?俊、ぼくはずっと君の事が、大好きだよ?」
創は静かに部屋を去る。
また…俊は大切な人を失う喪失感を感じていた。
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プチテレビ副社長室
扉が突然開いた。
「おい賛成!堀辺創から正式訪問の依頼があったぞ!今日の17時だ!」
玉澤が興奮気味に部屋に入ってきた。
着替え中だった賛成は急いで腹を隠した。
「…すまん」
「いえ…」
「俺も着替えないとな…さっきまでソファでねてたよ」
しわしわのシャツを伸ばしながら玉澤がつぶやいた。
「公式訪問ですか…ついに」
賛成は吉田常務にも連絡し、三人で緊急打ち合わせを始めた。
・
「公式訪問ですか。ではニュース22を繰り上げて放送にのせましょう。
白日の下にさらしたほうがいい。あくまで我々は買収される側です。
世論をプチの味方につけましょう」
さすが切れ者の吉田常務だ。
「ぼくも吉田常務の意見に賛成です。すぐ各通信社、新聞社に連絡します。
あ、東経の顔を立てたいのでそこは任せてもらえますか?」
賛成はJにいち早く情報を伝えてやるつもりだ。
玉澤も賛成と吉田の意見に同意した。
「そうだな、それじゃあ俺たちと堀辺創との会談は張本右太郎に進行役をさせよう」
(右太郎 成田空港よりリムジンバスで都内へ移動中)
「それから紀村の様子も誰かにレポートさせるんだ。実況でつなごう。伊藤がいいかな?」
(伊藤純保 すいか割り、一分何個割れるかな?のロケ中)
「吉田常務は弁護士を呼んで説明しておいてくれ」
「はい。油断なりませんからね。紀村と接点があったならなおのこと…これは運命なのか…」
吉田常務も会社に泊まり込み昨日と同じシャツを着ている。
そう。
皆、疲弊しきっていた。
「いよいよだな…」
玉澤がつぶやく。
「はい、玉さん…」
いよいよだ…。
-第26話につづく-
いよいよです。
ファンチャンソン主演あなたのノワールいよいよ本日23:10KBSにて放映