張本右太郎は完全なる敗北感を背負って病院に向かっていた。
しかしそれは、やけに爽やかな敗北感で、レイを吹っ切れたような気がしていた。
(黄桜のパンチが効いたのかな。フ。)
(俺はバカだ、レイが心配だなんて言って、結局別れた女を未練がましく追っていただけ。
レイにふさわしいのは自分だけだなんて・・・なんて思いあがりだったのか)
黄桜賛成。
あいつの拳は本物だった。
熱い男だ。
レイを任せられる。
いや、任せるも何も、レイはもう、あいつのもんなんだ…。
右太郎は自分に言い聞かせた。
・
右太郎はプチテレビ・アナウンス室御用達の病院に着いた。
[クリスタルベリ・クリニック]
ここには腕のいい医者が揃っており、院長自も診察してくれる。
院長とはフィーリングが合う。
「張本さーん、診察室までお入りくださーい」
診察室に入ると院長はいつもの笑顔で迎え入れてくれた。
「わお。こないだ膝やったかと思えば今日は顔?腫れてるねえ。こりゃすぐ引くかなあ?」
「先生、今日の22時のニュースまでに間に合わせないと張本ケンカか?と騒がれますんで。
何とかお願いします」
「うーん、そうねえ、じゃあね、美容整形外科に腕利きの女医が入ったからそっちいってごらん。
顔にハリを持たせることができるんだから、引く事も出来るでしょ?しらんけど。」
美容整形外科か、はじめてだな。
言われた通り別の診察室へまわった。
「あの、紹介されてきた張本ですが」
「あ、院長から聞いてます。先生を呼んで来ますので、そこに座ってお待ちください」
右太郎は、看護師に指示された通り丸椅子に座り診察室を見回した。
医師の机の上にはスタッズのついた手帳やスマフォケースが置いてある。
スタッズ好きな先生か…。
「サヤ子先生、おねがいします」
看護師が医師に声をかけた。
(サヤ子?ああ、そういえば女医だと言っていたよな)
「はーい」
女性の透き通る声。
コツ、コツ、、、ヒールを鳴らしながらサヤ子と呼ばれた女医が入ってきた。
金髪のボブカットに白い白衣がまぶしい。
顔を見る。
右太郎はハッと息を飲んだ。
その、身を守るようなアイライン。
一瞬、世界のすべてが無音になった。
やがて、ドゥグン、ドゥグン、、、と何かの音。
それは右太郎の鼓動がハートビートする音だった。
「どうなさいました?ほーっとして?えっと張本さんですよね。院長からきいています。すぐに注射しましょう」
注射ときき、ハートはますますビートする。
「え!注射はちょっと、苦手なんです。ほかの方法でおねがいします」
サヤ子女医の目が光った。
「注射しないと腫れがひきませんよ?!」
「いや、でも、だめです、注射とか無理ですぼく」
「いいから!さ、顔こっち向けて!」
「いや、ほんっとムリです!」
抵抗する右太郎。
サヤ子も医者としての意地がある。負けてはいない。そして実は、なにより注射を打つのが好きだ。
特に患者が嫌がると燃える。
スタッズが好きだが、できれば注射針なみに鋭利なものを身につけたいくらいなのだ。
「さ、行きますよ!」
サヤ子は両手で右太郎の顔をとらえ、右頬に狙いを定めた、と思ったその瞬間―
右太郎は最後の抵抗をし、強い力で顔をそらす。
その瞬間バランスが崩れ、サヤ子と右太郎の唇がm思わず重なってしまったのだ。
「・・・!」
「・・・んぐ!」
いそいで離れる2人。
しばしの沈黙。
突然のキスに気まずさが残る。
「ん!あの、これは!」
「―――サヤ子先生・・・しぃ」
「・・・・・・・え、ええ、事故よね、ゴホン!・・・さあ!注射、いきますよ・・」
「・・・・・・・はい」
さすがの右太郎ももう抵抗しなかった。
診察を終え、会計を待つ右太郎。
「張本さん、今日は9,450円です」
「あ。はい、じゃ一万円で。プチテレビで領収書ください。・・・あ、君」
「はい?」
「・・・サヤ子先生って、独身?」
「ああ、独身ですよ。バツイチですけど」
「ひゃ!ラジャー」
独、身。
右太郎はうきうきしながら会社へ戻った。
一方、診察室ではサヤ子が一点を見つめ静止していた。
目の先には右太郎のカルテ。
「は・り・も・と・う・た・ろ・う・・・」
唇に指をあてる。
ほのかに温かさが残っているようにかんじる。
久しぶりのキスだった。
「うたろう…」
なんだろう、この胸騒ぎは・・・。
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そのころ、湾岸、会議室。
[おやすみライブ]初日を終え、会議室ではささやかな打ち上げが行われていた。
「紀村君、すばらしいステージだったよ!」
「玉澤さん!ありがとうございます。 緊張しました…」
紀村俊は今日、U2の後、トリを務めたのだ。
そう、念願の、歌手として。
「俊、いずれは会社を譲渡して、アーティストしながら世界を旅するのが夢なんです。職業:旅人、だよね?」
隣にいるミーコが誇らしげに話す。
「金儲けはもう充分しましたからね・・・。今年中に経営権は譲るつもりです。世界を見て感性を鍛えなきゃ。
まずはイビサ島あたりでのんびりして夜はDJしますよ。ミーコ、ついてきてくれるね?」
「俊・・・。もちろんよ」
「おやおや?ここでプロポーズか?先を越されそうだな」
玉澤がそういいながらシュウコの方をちら見した。
シュウコはゲストの面々と談笑していた。
「・・・でも意外だな。紀村くんはサイパーをもっと大きくしたいんだと思っていたよ?」
「いえ、もともとそんな欲はないんです。もともと音楽が好きでそれで食っていきたかったんですが、
父が早くに亡くなり、母と弟を食わせる為に…。ま、思った以上に成功しましたけどね」
「でも、今日ステージに立ってわかりました。僕の夢は素敵な形をしていました。
それをどうしても掴みたくなった。おやすみライブでいい機会をいただけて感謝しています」
「君の実力だよ!」
と、そこに、右太郎との決闘を終えた賛成がやってきた。
殴られたため、顔にアザが残っている。
「賛成、どうした?!」
心配する玉澤。
「なんでもないです。あ、‥・・・紀村さん、今日はお疲れ様でした」
紀村は賛成を無視した。
もちろんまだ写真の件を根に持っていた。
「――ミーコ、帰るぞ」
いつもはそんな態度にスルーする賛成だが、虫の居所が悪く、つい発言してしまう。
「紀村さん!あなたも度量が狭い男ですね。何度も謝罪をしたじゃありませんか?
もういいです!聞く耳を持たない人と、僕は今後仕事をしたくないです」
「なんだって?ふん、黄桜。いいか?脅しじゃないから聞け。お前のやったことは玉澤さんに免じて全部チャラにしてやる。
社長の言う事にしっかり耳を向け慎重になれ。この恥知らずめ、いい加減に学べ!」
紀村は紀村でライブの余韻が残っており、口調がラップ調だった。
「今度同じようなことをして俺を裏切ったら、何トンものパンチで歯を砕いて、
おまえのメンタル面で医者の先生に包帯巻いてもらうからな!」
賛成の背後に来て言い捨てる。
それは――あまりの言い様だった。ミーコですら、いいすぎだと思った。
大声で話すものだから、いつのまにか、その場に居合わせたものたち全てが、この二人に注目していた。
「お前は黄桜の一族だからな。オヤジさんが怖くて誰も言ってくれないんだろ?
なんでも金と権力で解決できると思ったら大間違いだ。いいか?
玉澤さんの足を引・っ・張・る・な・よ!」
賛成は――いいかえすのを我慢していた。
そこに・・・。
パンパーン!
「そこまで!」
玉澤が割って入った。
「紀村くん・・・。それは・・・誤解なんだ」
「玉澤さん」止めようとする賛成。
「誤解ってなんですか?」紀村が訊く。
「伊藤のスキャンダルをとめるために交換条件に君の写真を売ろうとしたのは、
――俺だ!俺なんだ!
賛成は俺の指示通り動いただけだ。最後まで嫌がっていたよ、君には世話になっているからと」
紀村の顔がみるみる表情を変えてゆく。
「そんな・・・信じてたのに・・・」
「紀村くん、言い訳になるが、聞いてくれ・・・」
「Listen!」
紀村が玉澤の声を制止した。
「It’s over now!なんなんだ、どいつもこいつも!玉澤さん、俺を裏切ったことを後悔させてやる!
首を洗って待ってろ!ミーコ、オードリー、行くぞ!」
「わん!」
「紀村くん!ごめんよーー!!」
玉澤の声は夜の湾岸にむなしく響いた。
第12話へつづく