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備忘録

混ぜるな危険─国家権力と報道メディア

2010-02-08 19:00:32 | 雑記録

混ぜるな危険─国家権力と報道メディア

高知新聞夕刊のコラム「話題」は、記者個人の感想を書くのでしょうか?いつもは、どうでもいいことばかりですが、時々「おやおや」と思う事が書かれています。10年02月05日の記事もその一つです。新政権をバッシングする理由「答えはシンプル。『政権だから』」には思いっきりひっくり返りました。

●新聞メディアの非論理性にあ然
紙メディアなのに電波出しまくり。高知新聞2月5日夕刊コラム記事
このコラム記事、政権が変わっても政治家はすべからず誤った道に導くのだから信用できんだろ?みたいなことを書いますね。どうやら、ただただ政権を叩くのが仕事だと思っている宗教じみた一元論者のようですな。

せっかく政権を変わえて日本が変わりつつあるのに、ただ「政権だから」という理不尽な理由で国民が選んだ新政権の船出を叩くのが正義のつもりなのか?と思う国民は少なくないでしょう。記事内容は違和感ありまくりですが、そういう感じで新聞社に抗議する声が多そうだと思えます。

新政権は、この半年ほどを見ていても、期待はずれな所もあるもののそれなりに成果を出しつつあります。一気に社会システムを変えると「革命」になってしまうから、徐々に変えざるをえないのが現実です。

したがって、新政権だからしばらく見守るべきだという読者の声は当然だと思います。また、戦後半世紀以上も続いてとっくに時代遅れになった自民党政治にうんざりしている人々が期待を寄せている新政権なのです。それをくだらない理由で叩いて当然という姿勢では、不信が深まるのは新聞メディアの方であり、まともなジャーナリストから公正中立な視点を持っているのかさえ疑われているのです。
新聞の「説明責任」を問う【江川紹子さんのブログ】

小沢資金問題の報道を見ていると、TV報道の方が客観性がありそうですが、新聞報道の方は激ヤバそうです。当ブログで以前の記事は「マスゴミ」で括っていますが、マスゴミを新聞メディアと書き換えようかと思っているぐらいです。

●報道被害の反省がない主観記事
もちろん、民主党の幹事長に収賄の事実があれば、言うまでもなく議員辞職は当然です。秘書の不祥事であっても有罪なら幹事長辞職は当然でしょう。それは自民党だろうが民主党だろうが同じレベルであれば、同じレベルで責任を取るべきです。そういう事実があれば報道するのが権力の番犬の役目です。

ただし、それは事実が判明することが条件で、それまでは容疑・ウワサの段階にすぎません。事実が判明しない容疑段階から「収支報告書虚偽記入事件」と書くようでは、中立で客観的な記事とは言えません。松本サリン事件で無実の人をでっち上げ報道した反省が何も活かされていません。

●やりすぎて自爆した検察とメディア
去年までは、K察(警察・検察)と新聞メディアの癒着関係を叩いていたブログは、当監視員会など「白バイ衝突死事件」関係ぐらいでした。ところが、小沢資金問題で検察リーク記事ばかり目立った報道により、検察と新聞メディアの癒着関係が知れ渡ったのです。当監視委員会としても、小沢資金問題は白バイ衝突死事件と根が同じ事件として突っ込みどころ十分な事件なのです。

高新のコラム記事に「権力者にペンを緩めるのは自殺行為だ」と強い思いこみを綴っていますが、国民の代表である権力者を叩く目的で別の国家権力と結託している新聞メディアこそ愚かな自爆行為」です。

最近は、Twitterや掲示板などネット上の情報があっという間に駆けめぐる時代です。新聞メディアだけの情報に踊らされず、ネットを利用して広範囲かつ多角的に情報を調べる新しいウォッチ層が増えています。その彼らは、小沢資金問題で検察が都合がいい情報だけをリークし、それを国民に街宣するスピーカーの役目を果たしているのが新聞メディアだということに気がついているのです。

ネット上ではK察と新聞メディアは一方的な方向へ世論を誘導し、日本をダメにする悪の枢軸か?とまで言われています。小沢資金問題でリーク報道をやりすぎ、深く静かに急速に広がる「ネット世論」を無視した検察と新聞メディアが自爆したのです。

●検察や報道こそ真の権力者
このコラム記事に、閣僚の言葉は影響力が絶大だから「政治とカネ事件報道に対する、政権与党議員の圧力的言動は断じて看過できない」と大上段に構えてアジっているのは、検察リーク報道の検証チームを立ち上げることに対してですね。でも、中央から配信を受けてコピペ記事を載せる地方紙が心配する話ではないでしょう(バッサリ)

もし、与党が権力を利用して不当に報道の口を塞いだり、情報を隠すような事があったら、それはけしからん事です。しかし、検察と報道に対して国民から疑問の声が上がっているのも事実です。情報の出方や報道の仕方に問題がなかったか謙虚に考え、国民に説明すべきです。たとえば、新聞メディアは、恥ずべき誤報について何の説明責任も果たしていません。与党や政府に対して説明責任を問う資格があるわけがないのです。

地方紙である高新は、懇意にしている国家権力との馴れ合いの実態に飛び火することを心配しているのでしょう。別に変な情報操作をしていなければ、とやかく言う話ではないはずです。市民感覚では、当事者を除く第三者機関でいいから検証チームで徹底的に洗って欲しいですな。そして、中井さんが進めるK察改革で、官民が癒着したあしき馴れ合い体質が叩き直されるよう期待します。

狂犬強権組織と報道が結託すれば戦争も
このコラム記事に「極論だが、時の政権が『国をこうする』となれば、反対があろうがなかろうが、数の力で押し切ることができる。その究極が戦争だ」と書いています。これは極論というより、うそっぱち(笑)むしろ権力組織と結託した報道こそ国民を戦争へ導く危険があるのです。

K察(警察・検察)は国家権力そのもののであり、他の役所にはないスーパー狂犬力強権力を持つ組織なのです。無実の人を刑務所送りにしたり、国民が選んだ国会議員を失脚させるほどの権力組織が検察です。でっち上げで政治家を逮捕し、報道が風評を流せば政権の支持率なんて大打撃で、政権を倒すことさえあるのです。実際に、検察権力と報道権力で政府を倒したケースとして、「検察ファシズム」と言われた「帝人事件」が思い起こされます。

帝人事件は「戦前の1934年に起こった疑獄事件。斎藤実内閣総辞職の原因となったが、起訴された全員が無罪となり、倒閣を目的にしたでっち上げと言われた」という事件です。検察がでっち上げた事件を報道が煽り、文民政府が倒されて世論が一気に軍国主義へと走る契機になった重大な事件でもあります。「検察ファシズム」と言われたように、検察と報道が暴走すると政府も倒すほどの狂犬強権組織ですから、政権与党の比じゃないほどの権力を持っているのです。小沢資金問題は帝人事件の再来と思ってよさそうです。

そもそも、高新記者が言うように文民政権がいきなり戦争をおっぱじめる権力があるはずがないのです。事実、五・一五事件二・二六事件などのように、狂犬強権組織の反乱によって政府要人が殺害されています。選挙で落とされる文民政府の権力など大したことがないのです。

歴史を見れば、軍部にすり寄った報道が喧伝して国民を煽って軍政へと導き、そして戦争へと突っ走ったわけで、文民政府が戦争を始めたのではないのです。まあ、一部の心あるモガリスト記者たちが軍部に反対したものの狂犬力強権力で投獄されるなどの仕打ちを受けたわけで、それを恐れた多数派のマカレスト記者たちの新聞社が煽って軍事政権樹立に加担し、それが戦争へと導いたのですよね。にもかかわらず、過去に報道が戦争に加担したという反省の色がないし、倒閣すら実現できる報道権力の自覚がない現代っ子記者の意識が問題なのです。安易に「政権だから」という記事にそういう恐ろしさが垣間見えます。

●看過できないのは官民癒着報道
いずれにしても、権力組織と新聞メディアは「混ぜるな危険」な関係なのです。いい機会ですから「政権与党議員の圧力的言動は断じて看過できない」などとスピッツが吠えても、検察リークがどう報道されたか客観的に検証する必要があるでしょう。

閑話休題、吠えるスピッツで思い出しましたが(笑)昨日(02月07日)新聞業界が山本一太議員へ献金していたという事実がネット上を駆けめぐりました。平成16年度の群馬県選挙管理委員会の政治資金収支報告書という書面もネットで流されています。メディアの問題を中心に取材しているジャーナリストが情報源のようです。原稿を書いている時点では、この事実を報道したマスゴミは無いようです。やっぱり、新聞業界が自民党議員へ献金したという都合が悪い事実は隠ぺいですかね。

新聞メディアは、泥棒に肉をもらってシッポを振り、飼い主に吠える番犬のようなもの
こういうふざけた連中こそ看過できんのですよ。

ああ、また今回も長文になってもうた.....(苦笑)

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