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備忘録

高知白バイ事件で、裁判官の明らかな「論理矛盾」 温故知新聞(読売新聞)

2009-05-16 06:47:11 | 雑記録
高知白バイ事件で、裁判官の明らかな「論理矛盾」 温故知新聞(読売新聞)
2009.05.16 Saturday
温故知新聞

痴漢冤罪 裁判の実相ありありと
■裁判官も誤る

 裁判官もまた、膨大なノルマにあえぎつつ、勤務評定を気にしている一個の市民だ。この市民は、大学を出て何年もたたないうちに法服を身にまとい、法廷と自宅の往復、考えただけでノイローゼになりそうな膨大な調書読みと判決書きに、全精力を傾けざるを得ないでいる。具体的な社会生活の実相にまみれる機会が乏しいのも事実だろうし、時には、提示される検察側の立証に寄りかかり過ぎた判断を下してしまうこともありうるだろう。二十数年の間、裁判官を務めたあと弁護士に転身した秋山賢三氏は、民事の例としてだが、次のような数字を上げている。「大都市の裁判官は、民事事件を常時一人あたり平均250~300件くらいは担当している。(…)土曜日や日曜日にも、(…)『25件ずつの記録読みと手控えの確認作業』が不可欠になる」と(『裁判官はなぜ誤るのか』岩波新書)。忙し過ぎると物理的に省力化の誘惑に駆られることもあるだろう。刑事事件においてもまた、現場を見ることの少ない裁判官が主に検事の調書を頼りに頭の中で組み立てた事件について、有責者を断罪することは同じだ。その過程で、弁護側の証拠申請をなおざりにしたり、非論理的かつ非実証的な推論で判断が下される裁判があることも、さまざまに指摘されている。粟野仁雄氏は、高知県の国道でスクールバスに白バイが衝突した事故について、裁判官の明らかな「論理矛盾」を糾弾している。裁判官は、学校側の証言は身内だから信用できないとしながら、警察側の証言は身内でも信用できる、さらに第三者の証言については「第三者であるからといって信用できるわけではない」と融通無礙の証拠採用をしたという(「『この人、痴漢!』と言われたら」)。恣意的と言われても仕方のない論法だ。スクールバスの運転手には最高裁から上告棄却が告げられ、禁固1年4月の実刑が確定した。粟野氏はまた、論理のみならず表現も“難解”を極める判決(文)をも例示して、司法の意図するところに疑問符をつけている。「目撃していないという可能性がないとは必ずしも言えないわけではない」(前掲書)──もはや日本語ではない、と。

読売かあ…。

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