そのジャーナリストから携帯に電話があったのは、メールを送った翌日の午後だった。その後何度かメールのやり取りの後、願ってもない提案があった。
「最初が肝心ですよ。お手伝いできると思います。」
その通りだと思った。最初が肝心。事故直後に動かなかったこと。片岡さんの免許取消という行政処分が出ても動かなかったこと。地検の事情聴取があるまでに何もしなかったことが、業過致死容疑で片岡さんが起訴された原因と、思っていた。
私はすぐに、ジャーナリストとのやりとりを片岡さんや周りの人間に伝えた。誰も反対する者はいない。ジャーナリストは片岡さんから直接に事故の状況を確認し、その時に手元にあった1枚の現場写真も見てもらった。
地裁公判も2回目の頃で、検察側証人のしどろもどろの証言があったころだ。問題のスリップ痕が本物でないことは明らかで、裁判官に疑いのかけらもなかった私達だったが、公判中にこの事件が有名雑誌で流れることは、さらに有利になると誰もが考えた。
ところが、意外なところから反対の声が上がった。まさか、弁護士が反対するとは誰も予想していなかった。片岡さんも納得できない様子だったが、それ以上に私は理解できなかった。「なんでだめなのか」と片岡さんに尋ねた。『俺にもわからん、余計なことはしなくてよいといった感じだ」片岡さんはやや顔を赤らめて私に答えた記憶がある。
「絶対の自信があるのか」「裁判の様子が漏れるのが都合悪いのか」など、いろいろ理由を想像した。あらゆる理由を考えたが「裏でつながっているのか」といった弁護士を疑う状況は、今、振り返ってみても全くなかった。
片岡側には交通事案では珍しい3人の証人がいた。一人は完全な第三者であったし、もう一人は社会的地位のある現職の校長。地裁公判には立たなかったが22名の生徒も事故を体験している。一方の検察側目撃証人は身内である同僚隊員で、その内容も矛盾が多い。
それを考えると「自信」があったのが一番の理由だろう。 三人の証人の存在、普通の裁判ならそれで十分だろうが、相手が誰であるのか忘れていたとしか言いようがない。
「この事件は表に出さないということになりました」 弁護士の意向をジャーナリストに伝えた。その理由をどのように伝えたのか、メモにも残していない。はっきり記憶しているのはジャーナリストの落胆を感じたことだ。
それは特ダネを逃がしたというよりは、及び腰である私達に対する落胆であったと思う。警察の捜査の実態をよく知るジャーナリストにしてみれば当然だろう。実刑判決という最悪の結果は、この時点で彼にとって想定できていただろう。
私は片岡さんに無断で裁判資料をジャーナリストに提供することには出来たかもしれなかったが、二の足を踏んだ。弁護士にマスコミ協力の必要性を訴えるほどの関係もできてはいなかった。
片岡さんと私に「降りてくれ」と言われればジャーナリストもおりるしかないだろう。そのジャーナリストは約束を守ってくれて、それまでに提供した情報が表に出ることは無かった。このことで私はそのジャーナリストを信頼できる人物とした。
人は不安を打ち消すのに自分に都合のよい情報に頼る。正確には都合の良いように情報を選択したり、解釈したりするものだ。
マスコミの協力がいらない。それだけ弁護士は自信があるのだろうと逆に安心する。公判中に弁護士の尋問にしどろもどろの検察証人を目にしていたから、私も自分を納得させることができた。
しかし、さらに判決に自信を深めるためには「マスコミ」は欠かせないものであるはずだ。「マスコミ協力不要」の理由を自分自身には納得はさせたが、弁護士に対する信頼感が薄れたきっかけとなった出来事だった。
たまに弁護士と私が直接裁判の話をすることはあったが、私が依頼人である片岡さんを通して、いろいろなお願いを弁護士に始めたのはこのころからだった。
目撃証言の矛盾やバスのブレーキ痕がつかない理由。ネガや全ての現場写真の提出、尋問してもらいたい内容など、片岡さんにお願いしたり、他の支援者と同席して話したりした。
振り返れば無茶なお願いもあったかもしれないし、法廷のルールを知っていれば、もっと有効な提案ができたかもしれない。弁護士は一部は私たちの提案をある時は無視して、ある時は採用してくれた。また、片岡さんが要求していた資料もみせてくれたし、そうでないときもあった。弁護士のそういった姿勢を見るうちに裏でどうのこうのという私の疑いは晴れていった。
弁護士が何を考えているのか、つまり、どういう弁護をするのか、どういっった証人審問をするのか、どんな資料をもっているのか。私はすべてを知りたかった。とくに検察の提出した証拠はすべて目を通したかった。そのために必要なものは何か。弁護士と私のコミュニケーションとしか言いようがない。
片岡さんや私の提案が受け入れられなくても、その理由を聞くことは無かった。納得のいかない答えに「どうしてですか」の一言が出ない。理由は一つ「関係の悪化」を恐れていた。
片岡さんがやっと見つけてきた弁護士。片岡さんにとってはとても安いとはいえない着手料も払っている。片岡さんにはその弁護士しかいない中で、当事者ではない私が弁護士と「喧嘩」しても何のメリットもないし、その結果の責任の取りようもないからだ。
私はそんな言い訳を考えていたし、弁護士に片岡さんや私の希望が受け入れられない理由を「俺たちは法廷の素人だからな・・」という諦めもあったし、「素人の意見は無視される」というひがみもあった。
このころはまだ支援する会といった組織はなかったが、片岡さんの周りには多くの人がいた。その誰もが高知県警に怒りを感じ、この裁判の結果を心配していた。その中に一人、私の友人がいた。彼と私が「主戦論」を唱えなければ片岡さんは刑務所に行かないですんだかもしれない。
つづく