殺害された佐藤梢(B)さんの死亡推定日時は、2年前の今日(6月30日)から明日(7月1日)にかけての2日間でした。つまり、岩手医大医学部法医学講座の解剖結果に誤りがなければ、2日前の6月28日の深夜、小原に連れ去られた梢Bさんはこの日まで生存していた事になるのです。
★小原が拠点とする田野畑村から梢Bさんの遺体が発見された川井村までの距離は、時間にして片道2時間。往復するだけで約4時間もかかります。
6月30日午前7時10分ごろ、次男夫婦が暮らす村営住宅で目覚めた小原は、高校時代から慕っていた山田ミツオ(仮名)の自宅に連絡を入れたと言います。そして、弟夫婦が外出した午前9時、小原は梢Aに、こんなメールを送りました。
「昨日病院に行った」「夕べ弟の家に泊まった」
このメールに何の意味があるのかはわかりません。しかし、午前11時30分、小原は漁協のガソリンスタンドに立ち寄り、その足で前述した山田ミツオ宅を訪れ、正后ごろから午後5時30分頃までで過ごしていた事が確認されているのです。
さらに、午後6時50分頃には弟夫婦が暮らす村営住宅に戻り、午後8時頃、小原の弟に呼び出された父親が弟宅に出向き、午後8時30分頃、久慈署の千葉刑事に被害届の取り下げを求める電話をかけているのです。
田野畑村から川井村までの距離は往復4時間、これでは、小原一人で梢Bを殺害し遺棄することはできません。
しかし警察は「共犯者なし」と早々に断定し押し切ったのです。
繰り返しになりますが、田野畑村から川井村までの所要時間を思えば、最低でも4時間の空白がなければ小原の単独犯行を立証することはできないのです。
私には小原勝幸を擁護する気持ちはありません。むしろ、小原自身、進んで梢Bの拉致事件に関与(事件と無縁ではない)したと思っています。しかし、梢Bを隠していた場所の特定もされず、一方的に「共犯者なし」と決めつけた岩手県警の捜査結果にも納得できません。
(敬称略)
【取材メモ・山田証言】
正后頃から約5時間半に渡って小原が過ごした山田ミツオ宅に関する取材メモを転記します。
その時の勝幸の服装は『黒っぽいV字型の薄での長そでテーシャツ姿でジーパン。持ち物は、財布、携帯、銀色の鎖の腕時計、たばこ、素足にビーチサンダル』
車は「●●寿司」近くの駐車場に止めてきたと言っていた。右手のケガについて勝幸は、『夕べ弟のところで嫌な事があって●●(弟の名前)の家の壁を叩いてこんなになった』と言った。
勝幸は午後5時30分頃まで滞在したが、その間、携帯電話でメールのやり取りをしたり電話で刑事と話し合っていた。山田が理由を聞くと、「●●(地名)の怖い人(Z)とトラブルがあって、その人を相手に恐喝事件として被害届けをだしてある」と勝幸が答えた。
(以上::山田)