丙午男の独り言

50歳を過ぎた今、日々の暮らしで思ったことを気張らず気楽に。

国宝多数@特別展:禅

2016年10月29日 20時13分50秒 | 芸術
10/22に東京国立博物館で特別展「禅」を見てきました。
非常に充実した展示で、国宝や重文が多く、見どころ満載です。
ただし、前後期入れ替えがあるので、全部を見るには2回行かないといけません。
ということで、この日は前半展示品の鑑賞。
朝一から行って、昼過ぎまでみっちり見てきました。

鑑賞した国宝は以下の通り(番号はこれまでに見た累積の数。-は鑑賞済)
(223)伝藤原光能像(京都・神護寺蔵)・・・これは通常展示
以下は特別展での展示品
(224)達磨図(山梨・向嶽寺)
(225)円爾印可状(京都・東福寺)
(-)禅院額字并牌字「大円覚」(京都・東福寺)
(226)蘭渓道隆像(神奈川・建長寺)
(227)金剛般若経(京都・龍光院)
(228)与長楽寺一翁偈(京都・相国寺)
(229)亀山天皇宸翰禅林寺祈願文案(京都・南禅寺)
(230)宗峰妙超像(京都・大徳寺)
(-)法語(破れ虚堂)(東博)
(231)宋版史記(黄善夫刊本)(千葉・国立歴史民俗博物館)
(232)油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館)・・・さすが美しい茶碗
(-)玳玻天目(京都・相国寺)
(-)竹斎読書図(東博)・・・前にも見たが改めてじっくり鑑賞
(-)秋冬山水図(東博)

後期も10点ほど出展予定のようですので、また行きます。

野外映画&国宝@東京国立博物館

2016年10月15日 15時50分28秒 | 芸術
10/14,15は、東博で野外シネマ「秒速5センチメートル」(今話題(らしい)の新海誠監督作品)と、それに合わせて夜10:00まで開館という特別日。
14日は映画を知らずに22:00まで開館を目当てに、藪そばで腹ごしらえをしてから19:30ごろ到着したので、映画は素通りして、展示を見た。

帰って家族(すでに「君の名は」を鑑賞済)に話すと、見たいということで、翌15日も行くことにした。
6時過ぎに着くと、すでに見やすいところは満席。
しばらく、芝生の上で何とか半分くらいは見えそうというところに座っていたが、意を決してずっと後方へ。
ちょうど花壇の縁に腰かけて、画面全体が小さいながらもよく見える場所を確保。
ゆったりと見ることができました。

で、鑑賞した国宝(番号はこれまでに見た累積の数。-は鑑賞済)
(-)十六羅漢像(第2、第14尊者)
 あと見ていないのは、4,6,8,10,12,15
(219)円珍関係文書(円珍戒牒、大宰府公験)
(220)群書治要(巻第二十六)
(221)瀟湘臥遊図巻
 これは素晴らし水墨画。一見の価値あり。14日にもじっくり見ましたが、15日も改めて鑑賞しました。
(222)海賦蒔絵袈裟箱(京都教王護国寺)

さらに、特別展「平安の秘仏」も見てきました。
充実した二日間でした。

小三治@鈴本

2016年10月10日 22時45分35秒 | 落語
10月上席夜の部は、今年も小三治がトリ。
平日に行く予定を立てていたが、仕事の都合で行くことが適わず、あきらめていたところ、日曜日に都合よく家人の許しが得られて出かけられた。
17:00会場のところ、16:00ごろ到着。結構な列ができていたが、係の人曰く、まだ7,80人くらいで、席は280ありますから余裕ですよ、とのこと。
もしかしたらもう入れないのではと危惧していたが、一安心。(最終的には立ち見が出ていたので、ギリギリに行くと入れないかも)

小三治は、小学校の同窓会についてのマクラに続いて、初天神。
CDでさんざん聴いていたネタなので、違いを味わいつつ楽しんでいたが、団子屋の行でおしまい。
もうちょっと聴きたかったが、定席では仕方ないか。

その分、他の演者は結構面白かった。
前座:寿伴 狸札・・・なかなか上手だった。出世するかも。
入船亭遊京 湯屋番・・・京大出身で扇遊師匠の弟子だから、遊京か。
入船亭扇遊 道灌
三遊亭歌奴 棒鱈
柳家はん治 粗忽長屋
 この3題はしっかり端から終いまでやってくれて、堪能できた。それぞれ味があって面白かった。

あとは、紙切りの代演が漫才のホームランだったのはちょっと残念。まあ笑えたけど。

今度は仕事帰りにぶらっと寄りたい。

読了:英語という選択~アイルランドの今

2016年10月01日 09時55分25秒 | 読書
英語という選択、なぜこの本を手に取ったかというと、アイルランドでは、母語ともいうべきアイルランド語がほとんど英語に置換されており、それが現地では問題視されているということを考察検証した本らしいことを知り、もし日本語が英語に置き換わったら・・・ということを考えてみたくなったからでした。

置き換わるくらいだから、元々似ていたのだろう、その点は日本語とは違うだろう、と思っていましたが、アイルランド語と英語は文法も単語も結構違うことを知りました。これで置き換わるのなら、日本語でも起こり得るかも、と思えるくらい。
また、3世代あれば言語置換が起こってしまう、という分析も、インパクトがありました。

その危機感とともに、言語というのは、その民族の世界の捉え方というか、宗教観、自然観などがにじみ出るものだということも感じました。そしてそれが、以前に読んだ本の感想につながりました。

以前に、日本語で科学することが重要、という趣旨の本を読みましたが、それは、日本人の世界の見方が、日本語という言語に表れているおり、その世界観を大事にすることが、英語圏の人との差別化、競争力になる、と解釈できる内容でした。

結論としては、英語も大事だけれども、やはり日本語を大切にしていかなければならないと改めて思った次第です。
ちなみに私は、安易にカタカナ英語を使わないように心がけています。