録画人間の末路 -

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メカゴジラの沖縄戦

2019-03-24 17:19:34 | 特撮・モンスター映画
すでに書きました通り、先週は東京の「ゴジラ対メカゴジラ」上映会に行ってきました。何回も見た作品ではありますが、それでも劇場で見るのは全く違います。不思議なもので、家のDVDで数十回見るより劇場で一回見る方が新たな発見ができるのが映画というものなのです。わたしは映画とは感覚を作品と空間に支配される一種のバーチャル体験の娯楽と考えていますが、暗闇、視界いっぱいに広がる映像と大音響によってもたらされる集中力が、雑音の多い部屋では見えなかったものを見せてくれるのでしょう。ただ、発見と言っても他のファンの方には常識で、今まで見つけなかったわたしが抜けているだけだった、という可能性もありますのでご了承ください。
恥ずかしながら今回の「ゴジラ対メカゴジラ」の鑑賞で初めて劇中の沖縄で自動車が右側通行していることに気が付きました。ただ、対面通行などしているわけではなくあくまで道の右側を走っているだけなので気づきにくかったことを言い訳の理由としておきます。これに気付いたとき、「ああ、そういえばこの作品は日本復帰後すぐの沖縄を舞台にしているんだったな」と言うことを思い出しました。沖縄では日本復帰後も直後はアメリカ占領時代の習慣が残り、自動車は右側通行だったのです。他の都道府県と同じ左側通行になったのは1978年のことなので、公開の1974年当時(劇中の本土シーンでは雪が残っていますので、73~74年の冬季頃撮影が行われたと思われます)は右側通行だったのです。
本作は沖縄とのタイアップで行われました。こうした観光地とのタイアップで作品を作ることは東宝の怪獣映画としては珍しく、わたしの知る限りこれ一本くらい(ボツになったケースはあります)しかありません。ただ、テレビの特撮ヒーローものではよくあることでしたし、映画でも大映の怪獣映画ガメラでは「ガメラ対深海怪獣ジグラ」で観光地タイアップが行われています。また、制作会社大映倒産のため実現はしませんでしたが、次回作の企画も観光地タイアップ前提でした。これは予算節約のためなんでしょうが、話には飛びつきやすかったと思います。妄想ではありますが、大映倒産がなければ沖縄にはゴジラではなくガメラが行っていたかも知れません。そしてその場合、本作のメカゴジラはなかったでしょう。

話を「ゴジラ対メカゴジラ」に戻します。わたしが本作最大の不可解な行動と思っているのが、メカゴジラによる無駄撃ちです。クライマックスのバトルでゴジラともう一匹の怪獣であるキングシーサーに挟み撃ちにされたメカゴジラは手足をゴジラに・首を真後ろに回してキングシーサーに向け、前後への同時攻撃でこれを粉砕します。が、この後、ゴジラもキングシーサーも登場人物もいない、しいて言うなら少しだけ民家のある箇所にミサイルを撃ち込むのです。勢い余ったとはいえ、どう考えてもこれは無駄撃ちでしょう。今回の上映会後に行われたトークショーでガイガン山崎氏がこの件に触れ、「悪の余裕によるもの、悪役は余裕の行動があってこそ引き立つ」と語りました。ですが、個人的にはちと違うと思ったのです。
まず考えたのが、当初の予定では主人公ら登場人物はセットの民家のような建物にいる予定で、メカゴジラは無意味に建物を狙ったのではなく返す刀で主人公たちを狙った、が、時間やの都合等で沖縄のシーンはすべて沖縄で撮影することとなり、当然ながら大規模セットや火薬の使用などはできず、特撮の攻撃シーンだけが残って無意味なものになった・・・というもの。はい、つまらないですね。面白みのない説はおいといて、別の発想をしてみましょう。それはメカゴジラが破壊者だから、というものです。
前から「ゴジラ対メカゴジラ」におけるメカゴジラ演出は前半のコンビナートと後半の沖縄決戦で異なる、と感じていました。本編は担当した福田純監督の得意とするスパイアクションがベースで、戦いは小規模かつ静かに行われます。その空気に近いのはコンビナート編のクールさを見せる殺し屋風メカゴジラです。一方、沖縄、特にゴジラが登場してからのメカゴジラはその殺し屋風をかなぐり捨て、デタラメな能力を次々と発揮する破壊者へと姿を変えます。そのすさまじい火力と爆発の嵐の前にゴジラは逃げ惑い、大量出血し、ハリネズミのようなボロボロの姿になります。この映画が"沖縄"が舞台と意識しながら見たとき、そのゴジラの姿は第二次大戦中の沖縄戦における犠牲者の姿が被って見えました。言うまでもなく第二次世界大戦では沖縄で上陸戦が行われ、日本は破れてアメリカに沖縄は占領されました。直接見たわけでも話を聞いたわけでもなく、本などで読んだだけですが、軍人だけでなく無力な民間人にも相当の被害があったと聞いています。艦砲射撃であちこちが吹き飛び、その中を逃げ惑い、よけきれずに傷だらけに・・・。そうした無力な人も少なからずいたイメージがあります。ゴジラシリーズは第一作からしてその攻撃力のイメージはアメリカ軍の空爆でした。ならば第二(第三かも知れませんが)のゴジラたるメカゴジラの上陸先が沖縄なら、沖縄戦のアメリカ軍の攻撃をイメージして演出するのは当然のことです。だからこそ、わずかな民家であっても容赦せずに破壊する、無関係な民間人でも平気で巻き込む描写が必要だったのです。作中ではそれでもゴジラが勝ちます。対メカゴジラ用に用意した新技、マグネット・パワーによってメカゴジラを吸い寄せて背後から羽交い絞めにし、その首を叩き折って倒すのです。強力な磁力を発生させるのには電力が必要、このシーンでゴジラは間違いなく発電しています。そしてゴジラは核エネルギーを持った怪獣ですから、ゴジラの発電は一種の原子力発電です。メカゴジラが第二次大戦当時のアメリカ軍のメタファーなら、ゴジラは原発のメタファーです。
当時、原子力は未来のエネルギーとして宣伝されていました。破壊の・戦争の力であった原子力を、人間の生産活動には欠かせない電気を作る発電手段として用いることで正義と平和の象徴してイメージする空気が作られていたと思われます。こうした流れはゴジラのヒーロー化とも無縁ではないと考えていますが、それがアメリカ軍の占領から沖縄を守った、あるいは解放したとすることが、少なくとも特撮側の意図であったように思えてなりません。本来沖縄を守るはずだったキングシーサーは威勢こそ良かったもののメカゴジラの前に全くの無力でした。占領や侵略から解放してくれるのは古い伝統的な戦力ではなく、未来の平和の力・・・そんな考えも頭を過ります。今でこそ原発はむしろ危険な存在とみなされることも多く、単純なイメージで語ることはできませんが、45年も前の作品ですからそこは大目に見ましょう。

ただし、本編からはそのような意図は全く感じません。本作は沖縄とのタイアップであり、沖縄側の意図は観光に来てもらいたくなるような美くて楽しい沖縄を見せることだったでしょう。怪獣ものですから殺伐としてはいますが本編の戦いは小規模に抑えられ、あくまでヒーローもの的な演出で格好良くはあってもリアリティは必要以上に出ないように配慮されています。そしてそれと同じくらい沖縄の海や玉泉洞を映すことに配慮されており、少々しつこく感じるほどです。そこには戦争の爪痕、という観光にとっては負になろう要素は全くありません。むしろ避けられています。だから、本作では怪獣の攻撃から逃げる人々も、怪獣迎撃のために出動する自衛隊も出ないのです。だけど特撮ではこっそりやって毒を残そう・・・。そんな演出プランがあったかも知れません。

以上のことは、「そういう考え方も出来る」というだけで、自説として強く主張することはしません。そんな細かいことなし、単にガンガン爆発させただけ、と考えてもそれはそれでいいと思います。が、一度「日本復帰直後の沖縄」ということも頭の中に入れてみれば、ただの子供向け作品ではない「ゴジラ対メカゴジラ」が感じ取れるかも知れません、できれば劇場で。
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特撮(レビュー感想)
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