般若心経

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四国八十八ヶ所

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2021-10-08 | Weblog

 貞享5年

 ビデオの“おまかせ録画”に松平 健さん扮する芭蕉の旅「芭蕉が詠む祈りのこころ 庶民と巡礼・善光寺参り(BS222 2021/9/27 4:00 再)」という番組が録画されていました。
 江戸時代初め、戦乱の世は遠ざかり人々は平和な社会の中で新たな楽しみを見つけました。 それは旅です。「一生に一度はお伊勢さん」「伊勢へ七度、熊野へ三度」、庶民はこぞって熊野詣やお伊勢参り、さらには西国巡礼へと脚を延ばしました。経済は安定し道路は整備されたとはいえ、そのほとんどが徒歩による数十日にわたる長旅でした。それにもかかわらず、東国から来た人たちが決まって訪れたところがあります。それは長野県 信濃の善光寺でした。
芭蕉も善光寺参りをしています。貞享5年(1688)45歳のときです。
弟子の越智越人を伴い江戸を出発し、名古屋から中山道の木曽路を往き更科の姥捨を経て善光寺にお参りし、江戸に戻るというこの話は後に「更科紀行」という紀行文にまとめられています。
 このビデオを見て貞享5年と聞きえっ!と思いました。
その前年、貞享4年は四国遍路の祖といわれる宥辨真念≪ゆうべんしんねん≫が四国遍路のガイドブック「四国遍路道指南≪しこくへんろみちしるべ≫」を発刊した年です。「四国遍路道指南」は当時のベストセラーになり、全国から大勢の人が四国遍路に訪れるトリガーになりました。
芭蕉が活躍していたころと「四国遍路道指南」の発刊が同じころだったと初めて気づきました。四国遍路が信仰だけによる巡礼ではなく、伊勢参り、熊野詣、西国巡礼さらには富士登山、大山詣りなどと同じ全国的ツアーブームの一環でした。
 なぜこの四国遍路道指南、貞享4年を憶えていたかといいますと、一時、四国八十八ヶ所の遍路道の里程(道のり)について調べていたことがありす。そのとき「四国遍路道指南」が初刊後、何回も改版を重ねられていることに気づき、里程と改版の関係について四国各地の県立図書館のレファレンス、博物館に問い合わせをしました。このときに貞享4年が頭にくっきりと刻み込まれました。
この調査の目的は100パーセントは達成することができませんでしたが、調査の中で、香川県立図書館の空海コーナーに四国遍路に関する膨大な資料があることを知り、愛媛県の博物館に問い合わせたとき、学芸員の方が「四国遍路道指南」は貞享4年に発刊され、改版されたすべてのものは香川県瀬戸内海歴史民俗資料館に収蔵されていると即答されたことなどおどろきの連続でした。
 遍路道の里程などを調べても何の得にもなりませんが、このとき調べる気さえあれば何でもいくらでも調べる方法があるということを知りました。
 この里程の問題については、現地調査が残っています。未だ、だれもしていないようで準備だけはできています。将来の楽しみにしています。





二又のオクラ はじめて見ました




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