絵日記「着物で旅行」

伝統的な日本のスタイルで旅したいと考えた試行錯誤と紆余曲折。

近所の祭

2005年07月28日 | バックパッカー ときどき 着物
毎年行ってる祭りに行きました。
いつもどおりの涼しい着物です。それにしても、今年は
米沢織の単袋帯しか締めてない気がする。
次の旅もこれで行こうかな。

今日のいでたち
・上布の薄着物
・米沢織の単袋帯
・暈し入り帯揚げ
・揃い色の帯締め

旅を読む「バター茶をどうぞ―蓮華の国のチベットから」

2005年07月27日 | 旅を読む
チベットを馬で行く、わたしのチベット紀行など、チベット関係のことも書いている渡辺一枝(写真)、クンサン‐ハモ(著)氏の本。写真と文章と分かれているけれども、2人で協力して書いたんだろうか。
読んでて、途中、途中で出てくるチベットと日本の時代比較もあり、分かりやすい。

「秘境チベット」ではなくて、チベットの生活を感じて欲しいという意図もあり日常について書かれている。
ラサでよく食べられているモモ(チベット風の肉入りぎょうざ)が家庭ではちょっと特別な料理であることや、荒涼としたチベットの大地でも野菜が育つとか(行けば分かる。本当にだめそうな土地で育つ野菜もあるのかといまさらながら驚いた)。
また、ちゃんと一面花畑の写真もあり、自分行ったときとのイメージの違いに驚き、改めてチベットが広いんだなと思う。

本の半分は日常について語られていたけれど、印象に残ったのは、中国政府のチベット支配についての文章。中国政府の圧力はますます強くなってるらしく、歴代ダライラマ法王住居のポタラ宮前に掲げられている中国のスローガンがなんとも言えず嫌な後味を残す。

自分が行った前回の旅では、すでに中国政府のスローガン掲げられていて、ないときが思いつかない。白亜のポタラ宮に不似合いな赤色。これをどういう風にチベット人は見ているんだろう。

毎年、たくさんの旅行者がチベットを訪れているにも関わらず、一瞬にして通り過ぎていく旅行者にとっては、やはり1面しかみていない。その一瞬でも、チベットは多くの旅行者の心を捉えて離さない。そして、またチベット人の懐の深さと、チベットの広さと同じように深みにはまっていくのだ。

旅を読む「チベット _Le Tibet_」

2005年07月26日 | 旅を読む
フランス人研究家の書いたチベット入門本。
「秘境チベット」(だと思っている)を読み解く1冊。写真、注意書、文章と入り混じっていて読みずらいのが難点。

チベットに少しでも知りたいと思ったら、、チベット仏教に触れてみるのが一番の近道だ。
これで、ずいぶんとチベットをわかったつもりになる。
もし、興味がなくても、チベットへいくなら嫌がおうにも、チベット仏教に触れることになる。
チベット人にとって仏教は生活の中にある。そして、今は政治的にも重要な役割を担っている。
Le Tibetでも、時代を追いながら、多くのページが割かれている。

この本を読んで改めて思ったのは、チベットから強い影響を受けている地域は多いということ。
中国・西蔵自治区(チベット自治区)はもちろん、ブータン王国、モンゴル。インドのラダック、スピテイ、シッキム、アルナチャル・プラデシュ。そして、ネパールのドルポ、ムスタンなど。前回の旅でも、チベットを終えてネパール、北インドに入りボーダー(国境)が変わっても、チベット文化圏がついてまわるなあと思っていたけど、地図を見て改めて納得した。
これだけの大きさの文化圏、広い。

地形や環境も違う各地のチベット文化圏を訪れることができたら、また違う側面も見えてくるかも知れない。そして、まだまだ自分が行ってないチベット文化圏もたくさんあり、改めて行ってみたいとチベタンフリークは思うのだ。

旅を読む「盆地」

2005年07月25日 | 旅を読む
小林紀晴の本。この前読んだ、ASIAN JAPANESEから気になって読んでみた。
その後、続きのASIAN JAPANESE(2)と完結編の、ASIAN JAPANESE(3)も既読済みだが、
ASIAN JAPANESEには続いていかないような気がして、この本を手に取った。

ろくろく見ないで表紙買い(ジャケ買い)したので、どっかアジアの田舎のことについて書いてあるんだと思ってしまった。表紙のオヤジがあんまりにも日本人に見えなかったし、ずばりカッコいいというのが大きな理由だ。
この表紙のオヤジは、ちょっと見た感じ別民族みたい。

小林紀晴の地元である長野・諏訪の御柱祭について撮ってある。概して祭りはハレの場面だ。
7年に1度の祭。祭は日常とは別の時間が流れている。
同じ人でも祭のハレが移りちょっと別に見えるのかも知れないし、
それとも自分でもわからないうちに本来の姿が現れるのだろうか。

7年に1度と言わず、毎年恒例のように祭に行く。
行かなかったのは旅で日本にいなかった去年くらいだ。

今年も祭に行った。
今年の祭を思い出そうとしても、今年の祭よりも小さい頃の懐かしい記憶と、匂いを強く思い出す。
それも、ふわふわしていてあんまり現実感がない。
そして、いま、ごく最近の今年の祭をもう一度思い出そうと試みても、
遠い記憶のような気分にさせられる。その時は、やはり自分も日常とは別の時間が流れて、別のように見えたんだろうか。

旅を読む「ASIAN JAPANESE」

2005年07月23日 | 旅を読む
岩手Y氏のところに泊まった時にあった本。
部屋で途中まで読んでいて、戻ってから読み始めたASIAN JAPANESE。
著者の小林紀晴はカメラマンなので、本には写真が使われている。

モノクロフィルムの現像や焼付けくらいはできるけど、写真のことはほとんど分からない。
技術的なこともあんまり知らない。そんな自分でも、人間が写ってるのは興味がある。
特に人の顔をみていると、ずっと見ていたいと思う。みていて飽きない。

かっこいい、かわいい、おしゃれなのは街にあふれているけど、それが魅力的かというと、
必ずしもイコールではない。ASIAN JAPANESEには日本人が写っている。
日本以外で写した日本人だからか、良い顔をしている人が多い。
笑っているかと言えばそうでもない。
変わらない人、さまよう人、不安な人、途中の人、その一瞬を収めてる。

写真は、それは、プロだからうまいんじゃないかと思う。たぶん、人間の写真以外も魅力的なんだろうと思う。
写真と写真の間にある言葉は、小林紀晴が引き出したもので、それがとても美しい。

写す人と写される人ととの関係性も透けて見えるような気がする。
人生の一瞬を写した写真と引き出された言葉。
でも、あんまり素直で美しいから、ちょっと読んでいて悲しくなる。