遥かなるピリカヌプリを求めて

ピリカヌプリに行ったので、次は1839!

濃昼山道

2012年10月29日 | 登山:増毛方面

平成24年10月27日(土) 濃昼山道(ゴキビルサンドウ)

会の夏山納めで江戸時代に開削されたという濃昼山道に行ってきた。アイヌ語でコク(下)・ウン(そこの)・ポク(渦)が由来というこの地名、アイヌ語からの当て字にも無理があるが、はじめての人には濃をゴキとは絶対に読めない。保存会の人たちによる山道整備のおかげで安心して歩ける道として復活したのが平成17年というから、そんなに昔のことではない。


(こんな緩やかな道が続く)

国道231号線を札幌から浜益方面に向かう滝の沢トンネル手前の安瀬側を朝7時半頃に出発、最初は寒く感じた空気も陽が昇るにつれて暖かな小春日和となった。標高100m前後の等高線に沿って延びる山道はほとんど傾斜がなく、道幅も案外と広いのでとても歩きやく、途中ヤマブドウやコクワの実を見つけるたびに停滞しながらのんびりとハイキングを楽しんだ。


(最初の川の渡渉)

途中何箇所か沢を渡渉するところがあり、変化にも富んでいる。また、山道と何度も交差しながら延びている送電線の下の作業道も笹刈りされ、どちらが楽かは分からないがバリエーションとしてこの作業道をたどってショートカットすることもできる。


(送電線の下にも道がある)

紅葉した山並み、顔前に広がる日本海、そして澄んだ青空を感じながら山道の最高点(標高357m)の濃昼峠で昼食をとった。峠を越えてしばらく歩いたところで3名のトレイルランナーに抜かれた。翌日に予定されている「Gokibiru  Trail 30K」のスタッフの方々とのこと、元気な顔で走り抜けていった。絶好の登山日和であったが当日は他に登山者はいなかった。


(濃昼峠を越えて濃昼方面を眺める)

下山後の浜益温泉で黄金山に登っていた会のメンバとうまい具合に合流、ゆっくりと汗を流して当日の宿泊(宴会)場となる濃昼会館に集合すると、すっかり宴会の準備が終わっていて、当日獲れたという地元の新鮮な魚をおかずにして明るいうちから宴会が始まった。


(秋の木の実、クマは冬眠の準備できただろうか)

 〔コースタイム〕
 安瀬側入口 8:10
 大沢渡渉 9:10
 濃昼峠 12:10
 濃昼側入口 13:10
 ※かなりのゆっくりペースです
















道道914号新富神里線

2012年10月26日 | あれこれ

道道914号新都富神里線は、札幌から昆布岳に行くときに利用する道路、未舗装の道路は初めて通ると迷ったのでは思わせ、これまで昆布岳登山で2回ほど利用していた。

先日、連れ合いと両親の墓参りのため日帰りで函館に行ってきた。出発したのが昼過ぎだったので函館に到着したのは夕方で、急いでお寺にお参りした。あとは帰るだけということで赤レンガ倉庫で食事をして函館を後にした。

帰りは高速代をケチり中山峠経由とするために豊浦で高速を降り、国道を少し進んで喜茂別方面にショートカットする道に左折した。ここが間違いのもと、本来は洞爺湖方面への97号線に入るべきところをその手前の702号線に入ってしまったのだった。

道なりに行けば喜茂別方面に出られると何も考えずにクルマを走らせていたが、途中から舗装が途切れてしまった。工事?と思って更に進んで行くと道路は山の中に入っていく。辺りは真っ暗闇の夜の9時。ヤバイと半分腰も引けていたが、昆布岳に行くときに利用したことのある道のようでもあり、一縷それを信じて進んだ。しばらくいくと見覚えのある橋があり、あの道だという確信を持ったが、なんせ夜の9時真っ暗闇の山の中、不安な気持ちでいっぱいは変わらない。隣に座っている連れ合いは身体が固まって一言も声がない。何度もハンドルを切りながら真っ暗闇を進んで、その先に電柱の明りが見えてきたときは、心から安心できた。

道を走っていつの間にか山奥に迷い込む、よくある怖い話にでてくるシチュエーションだった。

 


朝里天狗岳

2012年10月14日 | 登山:札幌近郊

平成24年10月14日(日) 朝里天狗岳とついでに八剣山

朝起きると空は快晴、今年の春先にスノーハイクで行った朝里天狗岳に登ってきた。インターネットで調べると魚留の滝入口付近の送電線の真下が登山口とあった。


(とにかく尾根に沿って登る)

札幌から朝里方面に向かって少し手前の道路脇にクルマを駐車して登山口まで移動しようとしたところ、その辺りから登っている跡が見受けられたので、道路脇の斜面を直登した。しかし踏み跡があったのは最初だけ、途中から踏み跡が途切れて地図を片手に尾根上を進んでいって、浅い谷を強引に突き抜け(3番目の)鉄塔の下にでた。笹の露で下半身はずぶぬれだ。どのように運んだのか、鉄塔に下には作業用の機材が置かれていた。


(黄色く輝く雑木林を行く)

そこから少し進むと、木に天狗岳と描かれた目印があった。そこからの山頂までのルートは、比較的はっきりした踏み跡とピンクのテープで十分に立派な登山道であった。雑木林の葉が木々の間から差し込む陽の光でキラキラと輝き、足元を見ると苔生した地面にいろいろなキノコが生えていて、生命の躍動感を感じた。

  
(キノコが我がもの顔で生えている)

それほど急な斜面もなく鉄塔から30分くらいで案外とあっさり山頂に到着する。その先に向かう道があったのでそのまま進み5分ほどで北峰に行くと、そこには日本海が広がっていた。再び本峰に戻ってゆっくりと休憩、風もなく穏やかな陽気の中、誰もいない山頂で秋晴れの景観を堪能した。


(北峰から朝里方面を眺める)


(本峰の岩石帯でのんびりと過ごす)

帰りは送電線に沿って下山した。途中で沢を渡渉するが、階段がつけられているので危ないところは一切ない。何気なく訪れた山ではあったが、素晴らし山を発見した気分になった。別な季節に再び来てみたいと思った。



(ずいぶんと広い歩道、冬期間は自転車の訓練場となっているらしい)

帰りがけの駄賃として、八剣山に登ってきた。南口から登り北口に降りて、ぐるっと回って八剣山トンネルを抜けて南口に戻った。当日は親子連れが多く、入学前の子供が微笑ましい。このあと、さらに豊見山に行ってみたが、とうとう登り口を見つけることができなかった。



虫歯の治療

2012年10月12日 | あれこれ

最後に歯医者に罹ったのはいつのことだったか。金属を詰めた奥歯が痛いと感じ始めたのが半年前、伝染したかように両下奥歯が痛むようになった。そうしているうちに、片方の奥歯が欠け大きな穴が空き、食べ物が挟まるたびにズキンという痛みに襲われる。もう我慢の限界にきたので会社の近くの歯医者に飛び込み、歯医者さんの、”これはひどいですね”という言葉で治療は始まった。

初回からいきなり一番ひどい状態という右下奥歯の神経を抜いた。麻酔をしていても少し痛かった。翌週は、左下の神経を抜いた。3回目は、右下の型をとった。4回目は、型で作られた金属型を被せた。5回目は、左下の型をとり、6回目にその金属型を被せて、約1ヶ月強の治療が終了。ホントは他にも要治療の歯があるのだが、優先度が低いので今後改めてとした。計6回分の治療費は約2万円、1本1万円の計算だが、食事をするたびに戦々恐々として一日中歯のことを意識していた悪夢の日々を考えれば安いものである。

歯の痛みに耐えかねて20年ぶりに罹る患者の緊張をよそに、歯科医さんは淡々と処置をする。保険適用や衛生指導などのアンケートによる希望に沿った治療である。前回の虫歯治療はよく覚えていないが、今回とても手際が良いと感じた。これで、しばらくは歯のことを意識することなしに生活することできるだろう。ちなみに通院した歯医者は札幌駅近くの柿崎歯科です。
  


日高神威岳

2012年10月09日 | 登山:日高方面

平成24年10月7日(日) 晴れ 日高神威岳

前日別の山に登っていたパーティと合流した神威山荘での宴会、誰のものか分からない携帯の目覚ましで起きたときには、ヘッドランプがつきっぱなしになっていた。昨日の雨もすっかりあがって、外は最高の登山日和になっていた。

山荘に宿泊していた3人パーティを追いかけるように、朝5時過ぎ7名の集団で神威山荘を出発した。登山道の形態は昨日の楽古岳ととてもよく似ている沢の遡行から尾根急登である。沢の遡行は水量が少ないので登山靴でもなんとかなったが、先行する3人パーティは途中で沢靴に履き替えていた。もう少し水量が多ければ余計な気を使うことのない沢装備の方がよいと思った。

 
(ニシュオマナイ川の水量はそれほどでもありませんが、何回かはまりました)

何ヵ所かの二股分岐を判断しながら約2時間を要して標高750mほどの尾根の取り付き地点まで到達。沢の様相が昨年の連休に登ったチロロ岳と重なる。いよいよここからが本番、標高差900mの鬼の急登に備えて休憩をとる。 尾根取り付きから両手を使っての登りが国境稜線まで続く。昨日の楽古岳よりも速いMさんのペースに合わせて声もなくただひらすら登る。左手に見える中ノ岳の稜線の姿がどんどん変わり、標高を稼いでいるのがよくわかる。中ノ岳と同じ高さになったあたりからハイマツが現れ、穏やかな風が少しは疲れを癒してくれた。


(尾根取り付き地点、石に目印がついている)

国境稜線にくるとその先に山頂が見え、自然と元気が回復してくる。それまでの急登に較べると穏やかな登山道を一歩一歩踏みしめ、尾根取り付きから2時余りで神威岳の山頂に到着した。そこには遮るもののない最高の眺めが待っていた。秋晴れの空、風もない穏やかな陽気にまどろみながら30分ほどゆっくりと山座同定、1ケ月前に登ったペテガリ岳もそこにあった。


(中ノ岳への稜線がうつくしい)


(ソエマツ岳側の日高らしい稜線)

急坂を下山していると、何人もの登山者に行きあった。稜線に近いところを登っている登山者にはもう少しと励ます声にも力が入るが、尾根前半を登っている登山者には、その先の苦しさがよみがえり、気軽に励ますことができなかった。沢筋は河原歩きと巻き道が混在し、赤テープやケルンを目印とするのであるが、ルートを探すのに意外と苦労する。ガスがかかってしまうと益々分からなくなると思われる。途中、ブッシュをかき分けながら、3時間ほどで山荘に到着し、今年の日高夏山納めが終わった。