300SLと190SLの後を継ぐ形で1963年に誕生したメルセデス ベンツ 230SLです。
ピニンファリーナが関与したと思われる瀟洒でキュートなボディが魅力的です。
300SLはこちらをご覧ください。→Mercedes-Benz 300SL Roadster 1957-
190SLはこちらをご覧ください。→Mercedes-Benz 190SL 1955-
Mercedes-Benz 280SL Tokyo 1971年撮影

Mercedes-Benz 230SL/250SL/280SL Tokyo 1969年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1968年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1968年撮影

Mercedes-Benz 230SL/250SL Tokyo 1968年撮影

Mercedes-Benz 230SL/250SL/280SL Tokyo 1968年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影 <2012年4月画像追加>

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影

Mercedes-Benz 250SL Tokyo 1967年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影 <2012年4月画像追加>

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影 <2012年4月画像追加>

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1967年撮影 <2012年4月画像追加>

Mercedes-Benz 230SL/250SL/280SL Tokyo 1968年撮影 <2012年4月画像追加>

ピニンファリーナが関与したと思われる瀟洒でキュートなボディが魅力的です。
300SLはこちらをご覧ください。→Mercedes-Benz 300SL Roadster 1957-
190SLはこちらをご覧ください。→Mercedes-Benz 190SL 1955-
Mercedes-Benz 280SL Tokyo 1971年撮影

Mercedes-Benz 230SL/250SL/280SL Tokyo 1969年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1968年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1968年撮影

Mercedes-Benz 230SL/250SL Tokyo 1968年撮影

Mercedes-Benz 230SL/250SL/280SL Tokyo 1968年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影 <2012年4月画像追加>

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影

Mercedes-Benz 250SL Tokyo 1967年撮影

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影 <2012年4月画像追加>

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1966年撮影 <2012年4月画像追加>

Mercedes-Benz 230SL Tokyo 1967年撮影 <2012年4月画像追加>

Mercedes-Benz 230SL/250SL/280SL Tokyo 1968年撮影 <2012年4月画像追加>

価格表を見ると280SLで470万、今も人気の280SE3.5が676万となってますから、買える方にとってはお買い得だったのですかねぇ。
ところでkoyapopさん、まさかC111は撮られてませんよね(^^
はい、そちらのブログに触発されて勝手にコラボレーションしております !
お買い得かどうかは判断つきませんが、当時230SLは相当数走っていた気がします。250SLの販売期間は短かったのであまり売れてないかも・・・どうしたわけか家には250SLのカタログだけありますが。
C111は残念ながら見たことがありません・・・先日発売された自動車アーカイブ、80年代のドイツ車篇にCW311が出てましたが、これってC111に似てますねえ。
当時私の家の近所に1台だけめちゃくちゃ綺麗な白い280SLに乗ってやってくる人がいました。中央がくぼんだルーフの形状がやたらに珍しく、しかもオーナーさんが子供心に何だかとってもおしゃれな方に見えて少々憧れていまして、じーっと見つめていると時折にっこり微笑んで下さいました。
ある時母親と歩いている時いつもの場所に駐車していたので、指を刺してそんな話をしたら思い切り叱られました。何でもそのオーナーさんは「安藤昇」さんという当時一世を風靡した俳優さんで、元々は渋谷界隈を取り仕切っていたヤクザの親分さんとのことでした。
当時自分は小学生でしたのでオンタイムでは全くどういう方なのか分かりませんでしたが、後に色々と調べてみたらあのホテルニュージャパンのオーナーだった横井秀樹氏を銃撃したとか、相当な美男子でその後俳優に転身していわゆる東映ヤクザ映画シリーズの元祖となったとか、その世界では当時珍しかった大学出身者で後のいわゆる「インテリやくざ」の先駆けだった等々とにかく話題には事欠かなかった人だったようで憧れた人も多かったそうな。
その世界でもかなり早くからメルセデスベンツに乗り始めた人の一人だそうで私の中ではまさに<昭和の真っ只中>のイメージを背負った貴重な一台ですね。
またまた貴重なお話をありがとうございます。
280SLは単なるスポーツカーというよりはエレガントな雰囲気の漂うファストツアラーですから乗り手を選ぶ車のひとつとしてこの方にぴったりだったのかも知れませんね。
どうしても、浮かんでしまう人は、
藤村俊二さんです。
車の雑誌に「愛している車」
と表現されていました。
お似合いですね。たしかに。
おひょいさん、そういえば以前何かで聞いた気もします。
たしかにお似合いですねえ。
こだわりを持ちつつも気張らずに自然体で乗っているさまが容易に想像できます。ぴったりです。
最近の雑誌に掲載されていたこの車の解説にも”ピニンファリ-ナ”のデザインという旨が記述されていたのですが本当でしょうか?230SLにワンオフのピニンファリ-ナがデザインしたクーペがあることは存じているのですが・・・
一時期(とはいっても20年程前になるから大昔ですね)幾つかの日本の雑誌に屋根のデザイン(所謂パゴダ・ルーフ)はミケロッティが関与しているという内容が書かれていたのですがこれも真偽不明です。
外誌では当時のメルセデスのデザイン部門にいたポール・ブラック(Paul Buacq)氏のデザインという説が一般的なようです。(何故か日本の雑誌のこの車に関する記述で彼の名前を見たことがありません)
ようこそお越しくださいました。
専門的なご意見をお聞かせいただきありがとうございます。
「ピニンファリーナが関与したと思われる」とは書きましたが実はさしたる根拠はありません。
230SLの優れたデザインを見て直感で書いただけです。
あえて理由らしいものを考えると・・・以下は全くの想像ですが・・・
ピニンファリーナは発表されたもの以外にもいくつかのスタディモデルを当時ベンツに提供していたのではないでしょうか。
1国、1パートナーの原則からしても発表された車だけの関係だったとは信じがたい部分です。
それらのスタディモデルをベースに手を加え(程度は不明ですが)あるいはモチーフを採用して製品化されたのが220SEクーペや230SLではないでしょうか。
ピニンファリーナの58、9年の一連のキャデラック クーペのユニークなかたちのクォーターピラー形状は220SEクーペにそっくり生かされていますし、タテ目変形ヘッドライトも後にイノチェンティ IM3に使われますがこれもオリジナルが自社であるがゆえの矜持と思われます。
全体や各部位のプロポーションや処理などを厳密に比較検証していけばはっきりする部分も出てくると思いますが時間もないので、モチーフが似てることとデザインレベルの高さから判断した次第です。暴論ではありますが。
>一時期(とはいっても20年程前になるから大昔ですね)幾つかの日本の雑誌に屋根のデザイン(所謂パゴダ・ルーフ)はミケロッティが関与しているという内容が書かれていたのですがこれも真偽不明です。
昨日見たCG66年5月号には「・・・パゴダ・ルーフあたりにミケロッティの構想があるとうわさされるが・・・」とありました。
これが元になっているかもしれません。
同じく昨日見たBBSにこのブログにご投稿いただいたこともある大内誠さんが「これの元はPF時代のチャーダデザイン」と書いておられます。
一度ご覧になってはいかがでしょうか。↓
http://ash-institute.cats.st/ash_personal/frame_bbs_car_styling_design.htm
答えにならないことをとりとめもなく書いてしまいました。申し訳ありません。
これに懲りずにまたのお越しをお待ちしております。
これからもいろいろ教えてくださいね。
ところでこのSL達ですが、MBはホイールキャップの真ん中をボディーと同色で塗ってあるのが当たり前と思っていたのですが、ハードトップの色に合わせたクルマもあったのですね。トップの色を決めるときに一緒にオーダーしたのでしょうが、新発見です。
ご紹介頂いたところでも尋ねてみることにいたします。
それにしても大変なコレクションですね。自分も子供の頃から大の車好きでしたが写真に撮っておくということはありませんでした。
この時代の車には非常に興味があるので、またコメントさせていただきます。
今後も楽しみにしております。