1962年にフルチェンジしたダットサン フェアレディです。
直截で荒削りな造形が車をよりスパルタンに見せています。
前モデルSPL212はこちらをご覧ください。→Datsun Fairlady 1200 1960-
1969年に誕生したフェアレディ Zはこちらをご覧ください。→Nissan Fairlady Z 1969-
初代のニッサン シルビアはこちらをご覧ください。→Nissan Silvia 1965- -01
Datsun Fairlady 1500 Yamanashi 1967年撮影
Datsun Fairlady 1500 Tokyo 1966年撮影
Datsun Fairlady 1600 Tokyo 1966年撮影
Datsun Fairlady 1600 Tokyo 1966年撮影
Datsun Fairlady 1500 Wakayama 1968年撮影
直截で荒削りな造形が車をよりスパルタンに見せています。
前モデルSPL212はこちらをご覧ください。→Datsun Fairlady 1200 1960-
1969年に誕生したフェアレディ Zはこちらをご覧ください。→Nissan Fairlady Z 1969-
初代のニッサン シルビアはこちらをご覧ください。→Nissan Silvia 1965- -01
Datsun Fairlady 1500 Yamanashi 1967年撮影
Datsun Fairlady 1500 Tokyo 1966年撮影
Datsun Fairlady 1600 Tokyo 1966年撮影
Datsun Fairlady 1600 Tokyo 1966年撮影
Datsun Fairlady 1500 Wakayama 1968年撮影
これまた興味深いエピソードですね。
横乗りだけでもつらいと思われるのに加えて様々な悪条件が重なってはトラウマになるのも十分理解できます。
20系のクーペボディはかっこよかったですね。
20系でした(レビンは27ですがSRは?)。謹んで訂正申し上げます。
コンパーノで私がお書きしたコメントに登場する叔母の元彼と最後にドライブに出かけたのがこのクルマでした。
なんでも叔母の同級生の親が北軽井沢に山小屋を持っていて皆で呼ばれたとかで青山通りのエンドレスと言う喫茶店前に(今もあるのかな?)深夜の12時にオレンジのカローラ30(レビンではなくてSRだった)の叔母の同級生カップルと待ち合わせして、こちらは3人乗りでしたのでこの時は自分は後部座席に横乗りで出かけました。なんでもかなり程度の悪いクルマだったそうで、イグニッションを切ってもしばらく止まらないエンジン(この時初めてディーゼリングと言う言葉を習った)、そして自家塗装のつや消し黒のボディ・・。
アフターファイヤーが社内に響き続け、曇りまくるウインドウを叔母と交代でクリンビューを塗りたくり、豪雨の中を東京からまだ東松山までしかなかった関越道と川越街道を使い6時間半かかって行きました。
さっさと視界から消えていったカローラクーペのオレンジのボディがやたらと眩しかった覚えがあります。それからしばらくはソフトトップのクルマはなんとなく敬遠するはめに。なにせ到着して一眠りしたらまたすぐ帰路に付かなければならなかったんで猛烈に疲れまくったんです。それがトラウマになってまして(笑)。
集まりでの赤の2000の写真、拝見しました。
たしかに凌駕していたかもしれませんね。
特に2000は凄かったですからねえ~
しかも安かったし・・・
いつも現れる車なので、
とっても身近な車として見てしまいます。
MGの人には悪いですが、
当時からMGB(1800cc)などを
この車はすでに凌駕していたように感じますが。
おっしゃるとおりウインドウが小さいとかっこいいですね。
幌を上げるとちょっとなんですが。
それにしても"プアマンズMG"の後裔が後に北米で本家MGを駆逐してしまうとは・・・この時代誰も想像すら出来ないことではありました。
やはりフロントウィンドウが後期型に比べ小さいのが魅力的。
この時代のフェアレディは、その後のアメリカン志向と違って、英車的なのが特徴ですね。
意地悪な言い方をすれば、プアマンズMGですか。
当時の日産はセドリックにしろブルバードにしろ欧州志向だったので、個人的には大好きです。
販売面ではかなり苦戦したらしいですが。