AWA@TELL まいにち

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日本語教育を学んだ人が小中学校の教壇に立つことの意味

2017年10月26日 | 日本語教育
たいそうなタイトルですが、そんなに大層なことを書くわけではありません。


愛教大の日本語教員養成コースが、今年度、初等教員養成課程に移り、

これまで以上に、学校現場で活かせる技能を身につけさせることを意識しつつ、教える内容について考えを重ねてはいるものの、

日本語教員が様々な科目を教える、という考え方に今一つついていけず、

どちらかというと、いろいろな科目の教員が日本語教育について最低限の知識を持つ、という形のほうが、

少なくとも、ほとんどの小中学校に日本語指導が必要な子どもたちがいる愛知県では自然な流れのように思い、

来年度始まる900名の必修授業「外国人児童生徒支援」の意義を感じてはいるのです。


これまで、教育実習だけでなく、研究授業やら学生の引率やらで、とてもたくさんの、小中学校の授業を見せていただく機会がありました。


ここで一つ、日本語教育を学んだ人が教員であることの意味について、考えさせられたケースを一つ紹介したいと思います。


理科の授業でした。

生物の授業で、植物の花の構造について先生がお話になっていたのですが、

花びらの外側にある緑色の部分があるじゃないですが、「がく」と呼ばれるところです。

この部分の名前を先生が復習を兼ねて質問されたのですが、

手を挙げて指名された生徒さんの答えは「カク」と聞こえました。

先生は、「うーん、おしいなーちょっとちがうなー」と。


その生徒さんは、「カクです。カには点々があります。」と。

そこで気づいたのは、この生徒さんは、語頭の濁音化が難しい母語の生徒さんであるということ。わかってるんですよ「ガク」。「カには点々があります」って答えてるようにね。

でも、先生は、「カ・・・じゃないんですよね。なんだろう?もう一回言ってみて」と続け、

結局、「うーん、おしかったね、ガクですね」と引き取られました。


もし、語頭の濁音化が難しい母語である、という知識を持っていたら、

 「前に出て書いてみて」という対応だってできたはずです。それ以上に「カには点々があります」という言葉をなぜスルーするのか。


もしかしたら、日本語教育を学んだ人が、学んだというよりも、経験したことがある人が教壇に立つというのは、こういうところの対応が無理なくできるということに意味があるんじゃないかと思った瞬間でした。



多文化共生、といくら言ったところで、具体的な対応が今一つつかめないままに過ごしている方も多いはず。

日本語教育で、学習者さんがどんな日本語を話すのか、を知っていることのほうが、コミュニケーションには役に立つんじゃないかなあ。

日本語指導、ということで、日本語教育に注目が集まっているけれども、

実は、日本語指導のところよりも、日本語を話す人たちの母語に対する理解があることのほうが、より広く、より多くの日本語指導が必要な子どもたちのフォローになるような気がして。


学校現場の授業を見せていただくというのは、こういう気づきをいただく時間でもあり、実際はもっともっとたくさんの授業が見たいわけなのですが、会議と書類と授業とプロジェクトに追われ、まあ、ゆっくり考える時間はないですよね。

それだけに、普段からipadを持ってうろうろしたり、スマホを持ってうろうろしたり、最近買ったモレスキンの手帳を持って歩いたりして、今思いついたことを後で見直して考える時間を作るしかないんですよね。バスの移動中だったり、地下鉄の移動中だったり、会議の席だったり。


学習者の母語を知るということは、その言語にない概念に気づくということになり、

教科指導の際にも、いくつも起きる厄介なことを先回りして考えておけるという意味では、非常に役に立ちますよね。


先生方に、日本語の教え方、という研修をすることも多いのですが、

テクニックよりも、考え方が大切、というスタンスでお話しすることが多いです。

教えるテクニックは、皆さん、すごいですから。何を目標に教えればいいのかさえ理解できれば、日本の学校の先生方の対応力は素晴らしいと思います。



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