AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

高校履修の問題

2006年10月28日 | どーでもいいこと
記事を読んでいたら、ある学生が、『どこの高校でもやっているのだから・・・』といっていましたが、それは違う。やっている高校のほうが少ないのですよ。だいたい、他の高校を引き合いに出すほうがおかしい。自分たちが事前に決められたルールにのっとっていたかどうか、それだけの問題です。

それにしても、これだけ増えてくると、高校や学生の責任というだけではなく、確実にチェック機能が働いていなかった教育委員会の責任が大きくなってくると思います。「知らなかった」ではすみません。

この問題で文部科学大臣が救済措置は取らないといいましたが、僕もそれに賛成です。50分授業が350回必要だという嘆きもありましたが、その学生以外の高校生は、50分授業350回分、受験には必要ない科目を勉強していたのです。いまさら、その学習を免除するなんて、マラソンで一人だけ半分先からスタートするようなもの。受験の終わった後での補習ということですら、救済処置に思えます。

それにしても、受験が高校教育に与える影響が何でこんなに大きくなったのか。

進学校でのルール違反が目立ちますが、中には高校卒業で社会に出る学生もいるでしょう。偏った授業をしているというのはいただけません。

受験制度を変えようというのは、順序が逆です。
まあ、必修科目は必ず受験科目に入れておく、くらいはできるかもしれませんが。

でもねえ、世界史って面白い科目でしたよ。
高校1年のときの呉石先生、大正時代のモボって感じでかっこよかったです。毎週お目にかかるのが楽しみでしたけどね。

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2 コメント

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ふたつの「なぜ?」 (「ちょっとした顔見知り」の夫)
2006-10-30 00:55:19
よくわからないなのは、「なぜ今まで」と「なぜ今になって」ということです。



これまでの未履修の生徒数はどうみても数十万、多ければ百万を超えるわけですし、周囲にいる教員(もちろん予備校や大学も)や父兄をあわせれば、それよりはるかに多くの人が事態を知りえたことになります。だれしも感覚が麻痺していたのでしょうか。



そして、なぜいま急に問題が噴出しているのでしょうか。数年前に兵庫県(だったと思います)でこの問題が表面化したとき、マスコミはあまり注目せずに終わったように記憶しています。教育の骨格のあり方が議論されようとしている今、この問題でダメージを受けた教育現場が意見を具申できなくなることのないよう、願っています。
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そうですね (管理人)
2006-10-30 08:24:46
確かに「何で今になって」と「何で今まで」というのは大きな疑問です。

現場から「無理だ」という声が上げられないという状況が続いたんでしょうねえ。無理に無理を重ねて1かい乗り切ると、「この前できたから」といわれるのは、どこも一緒なんでしょうね。

成果を求めすぎると過程が放置されるといういい例だと思います。



一つ一つの段階がきちんと抑えられていないというのが、教育現場だけじゃなくて、今の日本の社会全体に言えそうな気がします。その段階で終わらないから、次の段階が押せ押せになってしまうんですよね。



教育の改革が単に組織の改編に終わったり、履修や受験の科目数を減らすという安直な結果、教育内容の右傾化に終わらないように祈っています。
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