AWA@TELL まいにち

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機械的に教材を作るとね・・・「謙譲語」の死角

2016年01月22日 | 日本語教育
日本語教育実習の教案指導中のこと。

学生さんが、いろいろ調べて、うるさい私の注文に対応しつつ、教案を作ってきてくれます。

教案だけでなく、不安な学生さんたちはスクリプトも準備してきますし、教材も作ったものを持ってきて、指導を受けています。

教案だけ見てOKを出すと、実際の実習のときに、「!?」なことも多く、2年生後半の実習では、学生さん個人の個性や考え方を見る時間にしています。

どんなふうに指導していくとうまくいくかなーって。


ほめたほうがいい学生さんもいれば、きつくいったほうがいい学生さんもいるし、具体的に資料名を挙げて調べてくるように言わなければ、の学生さんから、ポイントを言えばそれなりのものが仕上がってくる学生さんまで、さまざま。

普段の必修の授業だけ見ていると、授業中の様子からの思い込みが結構大きくて、指導中に泣かれたりすると、こっちが困ってしまうこともあります。

で、ああ、こういう学生さんだったのか、と、励ましつつ、指導をすることになります。


ま、それは脇道の話。


今回、謙譲語の教案を準備して来てくれて、

練習の中に、お世話になった先生への手紙を書く、というものがありました。

元は、普通の動詞が書かれていて、それを適切な「尊敬語」や「謙譲語」に変えていくというもの。

一見、ベタな練習ですが、落とし穴があるのですよ。


先生が私の国へ(来る)と(聞いた)ので、今から楽しみです。


という元の文章。「来る」と「聞いた」を適切な形に直します。


学生さんは、「来る」を「おいでになる」や「いらっしゃる」に、「聞いた」を「伺った」や「お聞きした」に変えるのが正解、と考えていたようですが、これが大間違い。

前半はいいんですよ、でも後半。


もとの、「先生が私の国へ(来る)と(聞いた)ので」だと、「私」は、通常、間接的に誰かの情報として聞いたように受け止められるのですが、

「伺った」や「お聞きした」にしてしまうと、先生から直接聞いたことになってしまいます。謙譲語の持つ、相手との関係性が出てくるからです。


間接的に、を意図するなら、「先生が私の国へおいでになると聞いたので」とそのままにしておくか、「先生が私の国へおいでになるそうなので」とするしかないわけ。


尊敬にしても、謙譲語にしても、相手との関係性が重要なので、

単に形だけだと思って練習問題を作ると、変なものができるわけです。


今回の学生さんは、実際のプリントを準備して指導を受けに来てくれたので、こういう指摘ができます。

「先生に書く手紙で、動詞なんかを尊敬か謙譲に直していく練習を考えています」だけだと、こんな指導はできません。


僕もねえ、神じゃないから、具体的なものを見たらできる指導のほうがやっぱり多いのよ。


このブログを見ていたら、指導を受けに来る時の準備、実際に留学生に教える実習のときには、考えてきてね。


何といっても、

みなさん、日本語の授業を受けたことがないわけだから、

なんの経験もないもんね。


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